[3]「ニューブリテン島へ」
 わしらがニューブリテン島に着いたのは昭和18(1943)年10月ごろ。赤道直下のニューブリテン島はまさに常夏の島じゃ。確かにめちゃめちゃ暑いのじゃが、湿度がさほど高くないので日本ほど蒸し暑くはない。そして珊瑚礁は本当にきれいじゃったぞ。「浦島太郎に出てくる竜宮城はこんなとこなんやろうか?」と当時のわしは思ったもんじゃ。そんな南国の楽園が地獄の戦場と化したのじゃ。
 わしらはラバウルから船で10時間ほどかけてイボキという町へ行き、そこからマーカス岬を目指して行軍するよう命じられた。ラバウルから岸づたいに行けば船で24時間ほどでマーカスへ行けるんじゃが、それではすぐ敵軍の偵察機に見つかってしまう。そこでわしらはジャングルの中を偵察機の音に注意しながら進軍することになったわけじゃ。もっとも、船や飛行機については、日本軍の格納庫が敵軍の爆撃に遭いすべて破壊されておったため、使いたくても使えんかったんじゃがの…。
 そんなわけで、マングローブのジャングルでは道なき道を切り拓き、また背丈を没する大湿地にも悩まされつつ進んでいったわけじゃ。特に川幅130mのプリエ川を渡ったときは往生したわい。敵に監視されているため昼間に渡ることはできんので、イカダを作っておいて日が暮れてから渡るのじゃが、そこには世界最大ともいわれるワニが何十匹も住んでおっての、わしら人間なんてほんのひとのみで食われてしまうのじゃ。イカダの上は安全じゃが、まず向こう岸の木に綱をくくりつけるために最初に誰かが泳いで渡らねばならん。その役目をわしがやったんじゃが、ホントによく生きとったものじゃ。
ニューブリテン島
ニューブリテン島