三菱一号館

 「三菱一号館」とは本来は明治の中ごろに東京丸の内に出来たレンガ造りのオフィス ビルであったのです。一丁ロンドンとも呼ばれた赤レンガの街並みができる最初の建物でした。 ジョサイア・コンドルにより設計され、1894年(明治27年)に建てられました。
 当初は三菱合資会社の銀行部などが入っていましたが老朽化のために1968年(昭和 43年)に解体されました。その後この地にはごく普通のオフィスビルが建てられましたが、 さらに40年が経ち隣接するビル(丸の内八重洲ビルなど)とともに再開発され、高層ビルに 建て替えられることになったのです。そしてこのとき取壊した昔の建物の一部がもとの設計に 沿って再現されることになり、「三菱一号館」がよみがえったのです。

 新「三菱一号館」は2009年(平成21年)に竣工し、今は美術館として開館してい ます。内部も再現され、旧銀行の営業室はカフェとなっています。
 しかしこの新「三菱一号館」は忠実に再現されてはいるもののあくまでもコピーであっ て、もしも明治の建築のままであれば本当の意味での文化財であったでしょう。

 地上34階という高層ビルの全体は「丸の内パークビルディング」といいますが、新「 三菱一号館」はそのふもとの一角に、かぎ型のスペースで建てられています。
 この場所は15階建て三菱商事ビル、9階建ての古河ビル、8階建ての丸の内八重洲ビ ルをまとめて壊し、建て替えたものです。特に「丸ノ内八重洲ビル」 は素人目にもよい建物であったと思います。そしてその名残として申し訳程度に「丸ノ内 八重洲ビル」の部材が再利用されていました。

 東南角にかろうじてその面影を残しています(上の画像)。また、当たり前のことです が正面玄関の「丸ノ内八重洲ビルヂング」という表示は「丸の内パークビルディング」に変わ っていました(右の画像)。
 丸の内には再開発ということでかつてのビル街が高層化され つつあります。丸ビルを始め、旧国鉄のビルが丸の内オアゾになったように多くのビルが建て 替えられました。しかもその際、東京銀行協会ビル、日本工業倶楽部ビルのようにいくつかの ビルで旧の建物の文化財的な価値を何らかの形で残すように配慮されています。東京駅隣りの 東京中央郵便局においても結局はその一部が再利用されることのようです。つまり、このこと は新しい景観の中に古いものが混在するという何とも中途半端なものとなっています。古いも のなら古いままに何もせずに残せばよいものをあえて混在させて息苦しいような感じにしてい るように思えてなりません。素人考えですが、古いものの文化財的な価値を言うならば新しい 建物の価値はどうなるのでしょう。100年後にこの景観を見た人はどう思うでしょう。
 (個人的には、できればトップの画像のような景観は見たくありませんでした。)
 
(2010年 4月)



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