小石川後楽園


 東京ドームの隣に水戸のご老公、徳川光圀さまゆかりの庭園、小石川後楽園があります。 水戸徳川家の中屋敷として江戸時代初期に造られたそうです。
 池を中心にして山や小川が配置されているのですが、この円月橋をはじめ、どことなく中国風で あるのはそのころ日本に来日した明の儒学者朱 舜水(しゅ しゅんすい)の影響によるものとのことです。


 おりしも梅まつりの真っ最中で紅梅、白梅が見ごろでしたが、ここを訪れた目的は梅ではないのです。

 この後楽園と東京ドームを含む一帯がかつて陸軍造兵廠東京工廠であったからです。 水戸藩主の屋敷ごと陸軍の管轄地となったのです。このことを示す記念碑が東門近くにあります。 そしてこの石碑はかつての工廠跡地をかたどっています。 (1974年航空写真:国土地理院より)
 なお、東京工廠そのものは関東大震災で焼失し、その後この地では稼動していません。

 園内にはこの空飛ぶ円盤のような、傘のような妙なものが九八屋というところの脇に無造作に置かれています。これは工廠で使用していた 弾丸製造機械の一部とのことですがこれといって説明板などはありません。(注1)

 東京工廠ではおもに小銃の生産が行われ、日清・日露戦争の時期に急速に発展し、 労働者も2万人を越えたといいます。また、東京ドームの北側にある礫川公園 では銃の試射が行われていました。

 (注1:参考文献「知られざる軍都東京」(洋泉社MOOK)より)

 園の西側外周の石垣には江戸城の外堀に使用されていた石材が再利用され、 建設当時と同じ石積みの技法で再現(平成10年に改修)されています。 石材には江戸城の石垣を築いた大名を表す「刻印」(“山”は備中成羽藩主山崎家。ほかに◇や、矢形など) や石を割るときに必要な「矢穴」が残っています。

 今の東京ドームは実は後楽園競輪場の跡地に建てられたもので、元の後楽園球場の跡地は東京ドームホテル になっています。(後楽園競輪は美濃部都政によって廃止された公営ギャンブルでした。)

 そのホテルの裏手、つまり旧後楽園球場の跡地に東京工廠の基礎レンガブロックが掘りだされて 展示されています。「旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠跡の基礎用レンガ」との説明板があります。

 あのキャンディーズの解散コンサートが催された後楽園球場の その下には工廠の基礎レンガが埋まったままでした。1937年(昭和12年)の球場建設の際は あまりの強固さのために取り除けなかったのですが、2000年(平成12年)東京ドームホテル竣工に先立って 掘りあげられました。

 幸い、小石川後楽園は戦時を通じて大きく破壊されることもなく、現在国の特別史跡・特別名勝に 指定され大切に守られています。
 

(2007年2月)
(2010年2月 追記)



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