・・・ スクラップ&ビルドの丸の内 ・・・

 日比谷にある「三信ビル」の解体を知り、かろうじて現状を捉えておくことができました。 そしてその後、歩くともなく歩いているときに「丸の内八重洲ビル」を見て、これもまた解体間近であることを 知りました。さらに周囲をよく見れば、「丸ビル」は建て替えられ、そして今、「新丸ビル」が建て替え工事中です。 すでに付近のビルの何棟かは建て替えられて、新たな景観を作りつつありました。

 丸の内とはつまり外堀の内側、かつての大名家の上屋敷のあったところです。 明治の後期になって岩崎弥之助率いる三菱グループによりビジネス街として開発されました。 当初、ビルの高さは31mとして揃っていました。またカンバン等も取り付けないことになっているようです。

 三信ビルについてはこちらで紹介しています。
 
(2006年10月記)

 【丸の内八重洲ビルヂング】
 

 東京駅から丸ビルの前を左方向に少し進むとこの「丸の内八重洲ビルヂング」があります。 全体は白一色のビルですが1階部分の外壁のみは石材を積み重ねた構造になっているのですぐにわかります。

 6月に訪れたときには時すでに遅く、扉は閉まっていて内部に入ることができず、 外壁を一通り眺めるだけに終わったのですが、それからまたひと月ほどして訪れたときには工事用シート で全体が覆われていました。シートの内側ではすでに解体工事が始まっています。スクラップ化進行中でした。

 このビルの特徴的な部分と思いますがビル側面に地下階への入口があります。


 計画によれば隣の二つのビル(三菱商事ビルおよび古河ビル)と合わせて取り壊され、 跡地にはその昔に取り壊されたさらに古い「三菱一号館」という赤レンガ造りのビルを復活、 そして混在させた高層ビルに建て替えられるとのことです。

 【第一生命館と農林中央金庫】
 

 お堀端から見た第一生命館の姿はとても美しいと思います。旧第一生命館はこの裏側にある 農林中央金庫のビルと合わせて再開発され、DNタワー21(第一生命館のDと農林中央金庫のNをとった) という名の高層ビルに変わりました。再開発の際に旧第一生命館と農林中央金庫のかなりの部分は スクラップにならず残されましたが、これは歴史的な建造物を保存すると容積率が有利になるとのことでとられた処置とのことです。

 ビル自体は1938年(昭和13年)に建てられましたが、保険書類を守るためか非常に堅牢な 造りになっているようです。終戦後の一時期、連合軍総司令部(GHQ)本部として使用され、 マッカーサー元帥の執務室があったところです。
 なお、21階建ての高層部分が増築されたのは1995年(平成7年)のことです。

 農林中央金庫のビルはお堀端から見ると旧第一生命館の裏側に隠れてしまい、いまひとつ存在感が ありません。そればかりか旧第一生命館はかなりの部分が残されているのに対し、農林中央金庫ビルは ほとんど壁面だけのように思えます。それでも特徴のある扉や円柱はそのままの状態が保たれています。

 建物の完成は旧第一生命館より古く、1933年(昭和8年)のことでした。やはり終戦直後には 第一生命館と同様、占領軍により接収されています。

 【明治生命館】
 

 明治生命館は第一生命館ビルと同じくお堀端に面した重厚な建物です。竣工したのは1934年(昭和9年) のことで、その重厚さゆえに1997年(平成9年)、昭和の建造物として初めて国の重要文化財に指定されました。

 現在は明治安田生命保険相互会社の所有で、2004年(平成16年)、背後に地上30階の 高層ビルを竣工し、明治生命館とともに「丸の内 MY PLAZA」と名づけています。つまり、 ここはスクラップにされずにすみました。

 外壁には巨大な柱が並んでいて上部には古代ギリシア・ローマ風の「アカンサス(ハアザミ)の葉飾り」 があります。

 明治生命館は休日に一般公開されていて、営業室、応接室、会議室など重厚な施設・家具を 見学することができます。内部も大理石を多用し、木製の家具とともに外部同様重厚な雰囲気でした。 ちなみに床面大理石の一部にアンモナイトの化石 がありました。

 【東京銀行協会ビルと日本工業倶楽部ビル】
 

 スクラップ&ビルドの方法として典型的なものがこの東京銀行協会ビルと日本工業倶楽部ビル だと思います。つまり、旧建物をスクラップにせず保存する替わりに新建物の容積率を有利にする典型的手法です。

 大手町のビル群周辺の雰囲気からするとちょっと場違いな感じのこの建物は東京銀行協会ビルで、 三菱地所の所有するビルの一つです。1916年(大正5年)に竣工した旧東京銀行集会所のレンガ造りの 建物を建て替えるにあたって、道路側に面した外壁の2面のみを高層ビルの足元に貼り付けられるようにして 残されました。つまりこの場合、見た目だけの建築遺産の保存ということになろうかと思います。

 同じく日本工業倶楽部ビルは1920年(大正9年)に完成した歴史的建造物で戦前、 戦後を通じて財界人たちの拠点であり、現在でも日経連と経済同友会の事務所があり日本産業界のシンボル的存在になっています。

 三菱地所は隣接する自社ビルを含めてこの地を再開発し、高層ビル化しました。このとき 元の建物の歴史資産を重視した結果がこのような外観になったのです。気持ちはわかるのですが いたって圧迫感のあるデザインだと思います。


 東京駅正面左手の丸ビル(丸の内ビル)はすでに平成14年に37階建てのビルに建て替えられました。 正面右手の新丸ビル(新丸ノ内ビル)も平成19年度竣工予定です。東京駅丸の内北口近くの旧国鉄のビルは 平成16年、丸の内オアゾ(OAZO)というよくわからない名のビルになっていました。

 その後、丸の内南口の東京中央郵便局もその一部を残し、JPタワーという超高層に建て替えられています。(2012年)


 少し離れていますが、有楽町の旧東京都庁跡地は東京国際フォーラムになりました。そのなごりか 大きなガラスビルの中には太田道潅像が鎮座していました。

 有楽町のガード下にはスクラップ&ビルドとはなんのかかわりのない懐かしい風景が残っていて、 とても安らぎを感じました。

廃物メニューに戻る

ホームページに戻る