三浦半島には幕末から、明治、昭和にかけて東京湾の守りとしての備えがいたるところに存在しました。 以下、深田台、猿島、観音崎、剣崎、城ヶ島と順を追って紹介します。 |
(2006年5月記) |
【剱崎の砲台跡】 三浦市南下浦から城ヶ島にかけての剣崎を中心とした一帯にも海の備えはありました。 ちなみに剱崎は「つるぎざき」となっていますが筆者がこどものころは「けんざき」と呼んでいました。 その名の由来は徳川幕府の御用船がこの沖で暴風のため難破したのですがその際、 神社の神主が剣を海に投じて神の怒りを鎮めたところから来ています。 |
【金田の砲台跡】 剱崎の少し奥、南下浦町金田にも砲台の跡があったようです。というのは少し前までの地図には 「砲台跡」と記されていたからです。古い航空地図によれば4基の砲座が確認できます。 |
【城ヶ島の砲台跡】 最後の場所は城ヶ島です。観光客でにぎわう城ヶ島公園の下にも要塞がありました。 |
この原稿を書くためいろいろと調べてみると、この付近一帯にもまだまだ戦争遺跡のあることがわかりました。 またいつか訪ねてみたいと思います。 |
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