旧万世橋駅を訪ねたときから「甲武鉄道」のことが気になっていました。 甲斐と武蔵の国を結ぶ甲武鉄道は明治時代の鉄道で、新宿〜立川間を開業したのを皮切りに 御茶ノ水(万世橋駅)〜八王子間を結び、後に国有化されて中央本線の一部となりました。 線路は甲州街道に沿うことなくほぼ一直線に敷設されましたが、これは街道各宿場の反対の一方で 沿線農民の協力によるものだということです。新宿から東京中心に向っては神田三崎町に向けて進むところを 青山の練兵場を経由するため、いかにも不自然なカーブを描くこととなってしまいました。 では新宿淀橋浄水場跡、 四ツ谷の御所トンネル、 防衛庁市ヶ谷記念館、 飯田橋駅の貨物ヤード、 東京駅を順に紹介します。 |
(2006年2月記) (2008年1月追記) |
【淀橋浄水場跡】 その昔(昭和40年代)、新宿の繁華街といえば東側だけであって西側には某大学と郵便局が あったことくらいしか覚えていません。そこにいつのまにか京王プラザホテルが超高層ビルとして建ち(昭和46年)、 その後都庁を始め続々と超高層ビル群が林立するようになりました。 このあたりの西新宿一帯は旧東京府南豊島郡淀橋町といい、かつて玉川上水によって導かれた多摩川の水を浄化する 画期的な規模の淀橋浄水場があったところです。ちなみに「淀橋」という橋は神田川に架かる 青梅街道上の橋の名称です。 淀橋浄水場は後にその機能を東村山浄水場に移し、昭和40年3月末日をもって閉鎖されました。 その跡地は「新宿副都心計画」により新しい東京の象徴ともいうべき超高層ビルの街に生まれ変ったのです。 この超高層ビル街を縦横に走る道路はなぜかすべて立体交差となっていますが、これは浄水場の水面と 底面の位置関係からきているものなのです。 下の画像は1947年(昭和22年)当時の航空写真です(国土地理院提供)。 1974年(昭和49年)の同じ場所(クリックしてください)でもまだ京王プラザホテルと 住友三角ビルなど数えるほどしかありません。 |
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【旧御所トンネル】 旧御所とは旧・東宮御所のことをいい、現在の迎賓館のことです。そしてその下にある畏れ多いトンネルが 旧御所トンネル。・・・と思ったのですがそうではなくて、この場所のトンネルを御所トンネルといい、 新しい、つまり3本セットの方を「新御所トンネル」、古くからある単独一本の方を「旧御所トンネル」というのです。 地下鉄丸の内線の四ッ谷駅はちょっと変わっていて地下から地上に出ます。しかもJR線の上を通っています。 そしてJRのホームとは平行しているようで、互いの行き先方向は逆転しているので方向感覚が一瞬狂ってしまいます。 そしてこの駅の新宿方面行きホームの南端(赤坂見附よりの端)からJRの「新御所トンネル」と 「旧御所トンネル」を見ることができます。 |
【防衛庁市ヶ谷記念館】 市ヶ谷でちょっと寄り道します。防衛庁市ヶ谷基地のあるところは、古くは尾張徳川家上屋敷のあった場所で 江戸城を守るのに絶好の高台だったそうです。 |
【東京駅】 そして最後のシメは東京駅ですが、辰野金吾氏により設計され大正3年(1914年)に完成し、 開業しました。着工から完成まで6年余りを要したそうです。鉄道の歴史を見ると南には新橋起点で東海道に、 また北へは上野を起点に東北へと伸びていました。つまり東京の中央部分でプッツンと切れていたのですが、 東京駅の完成で日本列島を縦貫しました。 |
小学生の時の遠足で東京見学があり“きゅうじょう”といっていた所が皇居のことでした。 少し混同した記憶があります。東京駅はその皇居を正面にして建てられています。 関東大震災ではびくともしなかったのですが太平洋戦争の空襲により壁面を残して焼失し、 終戦後の修復でドーム状の丸型の屋根は台形状の角形になりました。 (注:最近になってこのドームを復元しようとする動きがあります) |
これまで、この駅を正面からまじまじと見たことがなかったのですが、全長320mもある駅舎の中央部分は 正面玄関なのですが皇室専用とのことです。駅の施設としては「ステーションギャラリー」や 「東京ステーションホテル」があります。 |
この画像は丸の内北口のドーム型天井ですがなかなかのものと思います。東京ステーションホテルの客室は 南口のドームをぐるり取り囲んでいるのだそうです。 (なお、駅の改修工事によってこのドームは消えてしまうようです。) |
東京駅のホームで今、一番古いものは5番、6番線ホームです。ホームの南側(有楽町側)に行くと 木製の梁とこれらをつなぎ合わせる飾り模様の継ぎ手がみられます。 この飾り模様は鉄道省のマークだということです。このマークの左右にある支柱にも小さな飾りがついています。 (東京駅については古建築コレクションからもどうぞ) |
【水道橋駅】 実は、もう一つの話題として水道橋駅近くの「小石川後楽園」と「元町公園・元町小学校」があるのですが、 これは古建築コレクションからお願いします。 「小石川後楽園」は水戸徳川家の中屋敷として江戸時代初期に造られた庭園ですが、 戦時中はこの後楽園と東京ドームを含む一帯が陸軍造兵廠東京工廠でした。幸いにも大きく破壊されることもなく、 現在は国の特別史跡・特別名勝に指定され大切に守られています。 そして「元町公園」は昭和5年1月25日の開園ということで、関東大震災の復興事業として 造られたいくつかの公園のうち現存するものはこの公園だけだといいます。 隣の「元町小学校」は創立明治44年で、校舎が竣工したのは1927年(昭和2年)です。 震災の経験から不燃性と耐震性に優れた鉄筋コンクリ−トで造られていますがすでに廃校になっています。 |
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