・・・ 地方都市で見つけた廃なもの ・・・

 お仕事のついでに立ち寄った町を散歩していて廃なものを見つけました。 石岡市境港市、そして 小樽市で見つけたものです。

 (2005年9月記)

(画像をクリックすると拡大できます)

【石岡市】
 茨城県石岡市はかつて国府が置かれていたという土地だけに歴史にまつわる見どころがたくさんあります。 常磐線石岡駅の西側、国道355線沿いは国府、府中という地名の通り歴史を感じさせる町並みが続いています。 ただ、残念なことに石岡駅を降りてから街道に向かって歩いていても商店街に活気がなく、 どことなく寂れた感じがしました。

 石岡市は西に筑波山を望み、東に霞ヶ浦を湛えた茨城県のほぼ中央に位置し、 東京からもそう遠くない位置にあります。温暖な気候と豊かな水に恵まれて古くから栄えてきました。 常陸国の国府が置かれ、水運を活かした物資の中継拠点として、また「関東の灘」とも呼ばれた 酒造りを中心とした醸造、製紙等の諸産業が盛んな土地としてこの辺り一帯の街道が栄えたのです。
 常陸国分寺跡・常陸国分尼寺跡をはじめとした史跡・文化財が市内に数多く点在し、 街道沿いには重量感のある建物が今でも残っています。

 ところどころで新しい建物や近代的な商店と共存してはいますが、どちらかといえば町全体として 寂しい感じがします。ぽつんぽつんと営業しているお店もあるのですが、シャッターが閉じられたままの店舗も 多いようです。
 また、ひとたび脇道に入ると、建て替えられることもなく、荒れるに任せた住居さえありました。

 造り酒屋が多いことと、あちこちにこのような石造りの蔵が立っているところから往年の繁栄がしのばれます。

 そして例年9月には関東三大祭りの一つとも言われている「石岡のおまつり」が行われるそうです。 かなり有名らしく、街のあちこちに「石岡のおまつり」のポスターが貼られていました。

 これは、とある商家の脇に捨てられていたほうろう看板です。

 ところで、せっかくのこの町並みなのですから歴史を感じさせる建物を大切にして、 これらを生かした街づくりがされていくことを願いたいと思います。

【境港市】
 境港市は、鳥取県の北西部、弓浜半島の北端に位置していて、港の水道を挟んだ向こう側は 島根県という位置にありますます。三方を海に囲まれ、特に白砂青松の続く弓ヶ浜は風光明媚なところです。 また島根県側の半島が防波堤の役割を果たすという自然条件に恵まれ、天然の良港として、 古くから港を中心に発展してきました。

 また、境港市は漫画家にして妖怪研究家、冒険旅行家でもある水木しげる氏の出身地でもあり、 市中には記念館とともに道路の両側に妖怪の彫刻を配した「水木しげるロード」なるものがあります。

 さらには米子〜境港間を走るJR境線に、鬼太郎のまちとして注目の「鬼太郎列車」が 1〜2輌編成で走っています。

 ちなみにJR米子駅の境線乗り場ホーム「0番のりば」は「霊番のりば」に改称され、 ホームの愛称は「ねずみ男駅」とのことです。

 さて、国道沿いを何気なく走っているときに廃なものを見つけてしまいました。 何かの工場があるところですが、倉庫代わりにでもされている貨車(ワム)のなれのはてでした。
 

 また、そのすぐ近くにはこれまた車掌車(ワフ?)の残骸が廃な自動車とともに置き去りにされていました。 どちらも車輪はなく、うわものだけです。境線の線路からは少なくとも1kmは離れているので 妖怪の仕業ではないと思いましたが不思議な気がしました。

【小樽市】
 北海道における鉄道発祥の地、手宮〜札幌間は日本でも新橋〜横浜間、大阪〜神戸間に次ぐ 3番目に敷かれたことでも知られています。明治13年に敷かれたレールは産炭地(幌内炭鉱)からの 石炭輸送が目的で、明治35年には石炭の輸送量が91万トンにもなったといいます。それにともない 手宮駅の規模も次々と拡大されていき、駅から海へ向かって20本以上もの引込み線レールが敷かれ、 ここから船へと積み込まれていったそうです。
 その後の時代の変遷の中で昭和60年には105年の歴史を刻んだ手宮駅も閉鎖、廃線となりました。

 小樽の観光スポットといえば歴史的建造物と赤レンガ運河、ガラス工房が定番となっていいます。 代表的なところでは日本銀行小樽支店、金融資料館(この画像)ですが、ほかに旧安田銀行銀行小樽支店、 旧日本郵船小樽支店、田中酒造店などがあります。基本として歴史的建造物を大切に扱い 公的に保存していることがうかがえます。

 小樽運河では運河の両サイドにこれまた重厚な感じの倉庫が並んでいます。 絵になる風景とはまさにこのことでスケッチをしている人が何人もいました。

 JR南小樽の駅を出ると本線の隣にとぎれとぎれに旧線の跡が見られます。 やがて本線は左にカーブし高架になって小樽駅に向かっていきますが、旧手宮線は右下の空間を直進しました。 草に覆われた線路跡は寿司屋通りの有名な店の脇に出ます。
 この画像はその寿司店の道路を隔てた対面にある高架橋跡で、 ここからは手宮線跡地としてきれいに整備されていました。

 開通当時のことですが、1日1往復で停車場は手宮、開運町(今の南小樽)、銭函、札幌の4箇所、 そして料金は手宮〜札幌間上等1円、所要時間は3時間だったといったことが説明表示板にありました。

 大正元年には旅客専用駅として南小樽〜手宮間に色内駅が開設されました。現小樽駅の500mほど東です。 手宮線開通により石炭、穀物、木材などの交易港湾都市として小樽を発展させ、 多くの金融機関が軒を連ねるもとになったのです。
 しかしやがて駅そのものは昭和36年(現地説明版による)に廃止されてしまいました。

 個人的にはいわゆる観光スポットよりもちょっと路地裏に入ったところに見られる古い民家や商家、 倉庫などのほうが好みです。建て替えられず、手付かずにそのままの状態が見られることに感動さえおぼえます。 この画像もそのひとつの光景です。

 手宮線跡は路地裏のなんとなく懐かしい光景の中を、 色内2丁目の信号まで遊歩道として整備されたなかを歩くことができます。

 その先も草に覆われているものの何とか線路をたどって歩くことはできます。
 いくつか道路を横断したところで単線から複線になりました。

 これはポイント切り替え機ですが、ほかに踏切の信号機や、遮断機など鉄道設備もいくつか見られます。

 さらに分岐したかと思うとその先はとうとうフェンスに阻まれてしまいました。

 フェンスの先には転車台が見えますが、この先は小樽交通記念館の敷地で、 静態保存の機関車などがあるようです。つまりこの場所は旧手宮駅の構内ということになります。

 まったくの余談ですが、千歳川にサケが遡上しているというので見に行ってみました。 右に赤く見えるものは「インディアン水車」というものでサケを捕獲する道具です。 この場所は「サケのふるさと館」の一部で、 館内に入ると千歳川を水族館のように水中から観察できるようになっていました。

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