2002年8月 〜 マイホーム建築計画策定、そして涙の計画延期〜 



1.きっかけ 
 マイホーム購入を考え始めたのはH14年の夏、たまたま興味本位で妻と一緒にモデルルームを見学に行ったのがきっかけです。見学に行ったB社のモデルハウスで対応してくれた店長さんはマイホームに関する知識が殆どない私達に対して商品の住宅、資金計画、土地探しに至るまで親切丁寧に説明してくれました。毎月家賃と駐車場代合わせて\74,000を払い続けて4年、払った家賃の総額は350万円を超えますが、手元には何も残っていません。ここは思い切ってマイホームを建築するのもイイかなということで妻と意見が一致し、マイホーム購入計画は急浮上。先ずは良い土地を探すことから開始。

2.土地探し、計画策定 
 新居の建築候補地は現在住んでいるT市内の南部地区に絞りました。住環境(=現在住んでいるT市に住み慣れている)、私と妻の通勤、まなまな♪の将来の教育環境を考慮しての選択です。入手した土地情報を隅から隅まで目を通し、気に入った土地は実際に現地へ出向いて自分の目でしっかりとチェック。安い物件にはそれなりの訳があり、高い物件には価格が高くつく理由があるんだなと感心。様々な物件を検討したので、土地を見る目はかなり養われたと思います。
 様々な物件を見ているうちに、まさに私達の希望に添う物件を発見。場所は4〜5年ほど前から再開発でひらけてきた閑静な住宅街。JRの駅から徒歩10分、陽当たりも良く、スーパーやショッピングセンターにも近い立地で価格は相場よりも安めでお買い得!マイホーム建築の可否は土地次第と考えていた私達はかなり乗る気になりまして、早速B社で見積もりを取って貰いました。見積書に記載された月々の住宅ローン支払額を見ると、現在支払っている家賃と同等の金額。これなら買えそうだと思い、地主さんに書面で土地購入の意志があることを伝える。(優先交渉権確保の為;1週間以内に正式回答) 丁度その週に鹿児島の実家に帰省する予定があったので、両親からマイホーム建築に関して助言を貰うことにしました。(※決して親の金銭的援助をあてにしている訳ではありません。)

3.涙の計画延期 
 土日の2日間を利用して実家に帰省。今だから言えますが、実は私達は父がマイホーム購入に関してどの様に思っているか非常にビクビクしていました。親が持ち家に住んでいるのに長男の私が福岡に家を建てることを好ましく思っていないのではという推測があったのです。
 早速両親に資料一式を見せて意見を伺う。父はこれまでに2度マイホームを建築しており、3年前に現在の家を建てたばかり。つまり、マイホームの購入に関しては達人と言える頼れる存在である。緊張して父の一言を待つ私達に、「う〜ん・・・ちょっと厳しいんじゃないかな。もう少し自己資金を貯めて2年後くらいに検討した方がいいよ。」とのこと。
 理由としては、
 (1)総額の1/3程度は自己資金でまかなわないと後々苦しくなる。
 (2)見積書の金額の1割程度追加の費用が発生するので、現状では予算がギリギリでリスクがある。
 (3)親として援助をしてあげたいが、今年は弟が結婚するので無理である。
  ・・・ の3点。
 その後父は、自らも私くらいの年齢でマイホームを購入して苦労した体験談を話してくれました、詳しいことは割愛しますが、予算ギリギリで建てざるを得ない事情があったので大変だったとのこと。長男の私でさえ初めて知りました。「福岡に家を建てるのは君たちの自由だから、親としてその決断を尊重する。でも、今回はちょっと急過ぎたね。建てるならあと2年後くらいかな?もう少し頑張って貯金してみなさい。2年後には君たちに色々と援助するよ。子供を応援することは親の義務だから。」すると、私の横で父の言葉を聞いていた妻が泣き出してしまいました。まなまな♪(=当時2歳)は「お母さんどうしたの?」と何度も問いかけますが、妻は「うう〜ん、何でもないよ」と繰り返しました。(後で理由を聞いたところ、私達の見通しの甘さに直面したことと、父の暖かい言葉に感激したことが交錯して思わず涙腺が緩んだとのこと。)
 私達は今回のマイホーム購入を延期することにしました。(親の意見に流されたのではなく、自らが決断しました。)残念ながらマイホーム計画はしばらく延期です。


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