貧乏旅行者



作家、小田実氏が、"何でも見てやろう"、という意思を持って、1日1ドルの予算を前提に旅をした1960年前後から、私が世界一周をした1980年代頃までの間、日本の若者達は、勿論欧米と言う先進国の若者の影響、日本円が変動相場制に移行して、経済の発展と共に強くなったことも追い風になり、そのスタイルを大きく変えていった。

1970年代中頃までについては、はっきりしたことは私にはわからない。ただ、この頃海外に出て行ける日本の若者はまれだった。と言っていいだろう。何故なら、日本国内での生活がまだ十分できなかった頃に、1ドルが300円以上のレートでドルを買って海外に出て行くなど、そこいらの若者にできるはずもない。だから、小田実氏などの世代が1人で出て行ったことは、その後の我々には凄い事だった。

私の記憶では、1970年代も後半になると、日本のバックパッカーの姿も年を追って増えていったように思う。この頃世界をまたに掛けて歩く若者にとって、中心となる都市が世界に二都市あった。ひとつはタイのバンコクであり、もう一箇所はギリシャのアテネだった。

これは飛行機の南回りルート上にこの二つの国があり、ともにそこから多方面に飛んでいく便が多く出ている事で、チケット販売に競争が生まれた事。そして、その国のチケットに掛かる税金が安いことなどがあり、飛行機のチケットが安く買え、その上に偽造の学生証も作れるという便利性があったからである。

世界中から若者が集まれば自然と安宿街が出来上がる。バンコクのカオサン、アテネのシンタグマ広場周辺などはその後、世界中から集まる旅人の情報交換の場から、居心地の良い、旅行者と現地の商売人達のためのスイート・スポットに変わっていった。

それが始まったのは1980年代中頃からである。これは逆に言えば、それまで先進国に大きく遅れをとっていた発展途上国が、経済的成長を始めた頃と重なり、日本のバブル期突入と重なる。この頃を境に、旅をする人間がぐっと減り、旅行者が増えていった。



ラフでいい

今の私には残念ながら旅をするだけの経済的余裕も時間もない。至極残念な状態である。子育てのために日々頑張っているだけであるが、近い将来子供達を引き連れて、必ず南の島に行くつもりでいる。
しかし、もし今ふらっと海外に出て行ける幸運が舞い込んだら、私は普段と変わらない顔で、普段と変わらない格好で飛行機に乗り込むだろう。旅に出るのに着飾る事もなければ、特別気を張った気持ちになることもない。

ショート・パンツにTシャツ。毛むくじゃらの足はサンダル履きである。私が海外を歩いていた頃は、飛行機に乗る時も、国境を越える時もこの格好だった。仕事を取って定住する時のためにスーツは持ち歩いていたが、それを着て移動することはなかった。バック・パックの中には二回分の変えの下着と、予備の上下があればじゅうぶんだった。

格好を気にすることはまったくない。頭から格好なんてくそ食らえ、程度に思うべきだ。日本で長い間養われた固定観念など、海を渡った時点で忘れた方がいい。汚い格好をしてれば変な目で見られる。向こうの人は、あなた達が思うほど格好で人を判断はしない。目的があって長い旅をしていると知れば、逆に納得するだろう。

昔の強者の中には本当に凄い人がいたものだ。中でもインドのカルカッタで会った、ヨーロッパ帰りの50歳前後の親父は凄かった。肩まで伸びた白髪混じりの長い髪。黒いズボンの股は塩がふいた様にズボンが白かった。しかし、何故か臭くなくて不思議だった。特に発展途上国において見かける人にはこんな人はざらだった。どうやって生きてきたのか?何をしてきたのか?

さまよい続けた訳など、他人にはどうでもいいではないか。目的を持って歩こうが、何かから逃げようが、第三者にはまったく関係ないことだ。その時を生きている本人が満足できれば、おのずと本人にとっての旅の価値は決まってくるものだ。少なくても、苦労の果てにそこにたどり着いた人間には、目に力が漲っている。

日本人にしても白人にしても、旅が長くなればなるほど、格好や他人の事には疎くなっていくものだ。それなら最初からそう思っているにこしたことはないのである。格好が気になって無駄なものを使うなら、その分食費に回そう。いつかはそう思うようになる。それほど貧乏旅行というのは腹にくる。

腹が減る

全世界で、日本ほど食に恵まれた国はない。これは言い換えれば、買う金があるということだが、貧乏な旅になれば、使う金はケチらなければならなくなる。飽食に慣れた人間には辛いことだ。だが、欧米の若者達は今だに違う。彼らにとって、おそらく一日の食費は先進国を通過している時でも2ドルないし3ドル程度だろう。

昔から公園のベンチなどで白人の若いカップルが、牛乳とパンだけで食事を済ます姿をよく見かけた。この姿勢に早く近づくことは、長期の旅を継続するためにも、貧乏旅行に慣れるためにも必要な事だろう。切り詰めて旅をすれば、よく歩きよく動くしかない。その分腹が減ってしかたがなくなるのだが、そうして体に負担をかけて絞り込んでいく内に、精神的に強くなって何も感じなくなるものだ。ただ、白人社会では皆早くから自立してそうしてきてるから目立たないだけだ。不足分はどこかに一時定住した時に補えばいい。

最後に。長期の旅をすれば最低でもその半分の期間は、旅の資金確保のため、不法滞在を含めてどこかの国に一時定住しなければならない。最近ではワーキング・ホリデイ制度がオセアニア、北米、ヨーロッパなどの、三地域の主要国と結ばれているので、それをうまく利用しない手はないのだが、これも出国時に二国のワーホリのビザをダブって取る事はできないので、どこの国を利用するかよく考える必要があるのだが、それだけで旅の資金を捻出できるはずもない。

てめいの事はてめいで

そして、この一時定住の時が、最も大きな旅のポイントになる。この時、てめえの事がてめえで出来ない奴は、まず長期の旅は出来ないと思った方がいい。自炊、掃除、洗濯。自分の身の回りのこといっさいがっさい。全て自分でする、出来る人間でないと必ず何かに流される。女、ドラッグ、解放された生活。誘惑は多い。厳しい事だが、全て自分でやろうという意思のある人間は緊張の糸が切れない。

酷なことを言うようだが、出国して帰ってくるまで、この糸を切らないでおられることが、目的の達成に繋がる。完璧ではないが私はそうした。働いている時は日本式の弁当まで作って持参したりもした。オーストラリア米、イタリア米、カリフォーニア米と世界中で日本米に近い米は手に入る。おかげで料理の腕は随分上がった。どこに行ってもサバイブできる自信はついた。

そこまで、と思うだろうが、小田実氏や我々のように、何でも見てやろうという気持ちで海を渡って行くのなら、それ位の気概がないと何も見れずに終わってしまうのである。何でも見てやろうという気持ちに終わりはないと思った方がいいのである。先があるから、その先を見るために今を頑張ろうという気持ちになれるのである。