固い話ばかりじゃつまらない。見聞きした、おもろい話も書いてみよう。
Part.1
<オーストラリアのマフィア屋さん> 2000年8月6日
さて、どんな話から話そうかと思ったが。やはり順路に沿って書いてみましょう。
私がワーキング・ホリデイ・ビザでオーストラリアに入った頃は、まだ日本とオーストラリアがワーキング・ホリデイ制度を締結して、それほど年数が経っていない頃だったし、観光の面でも、やっと日本でこの国が人気に成りかけの頃だった。だから日本や日本人慣れしていない人が、オーストラリア人の中にもまだ沢山いた頃だった。
そんな状況下で私はシドニーで職探しを初めて、なんとか建築会社の仕事にありつく事が出来た。そして最初に回された現場は、市庁舎の改修工事の現場だった。
仕事を始めて二日目の昼休み。私はニコニコ笑いながら近づいてきたプラスター(左官)に声をかけられた。きゃつは前日そこにはいなかった。だからその日私を見付けて、話しかけるチャンスをねらっていたようだった。なにせ、オーストラリアの建築現場で働く日本人なんて、おそらく過去見たこともなかっただろうから。
”お前はチャイニーズか?”
”なに、違う。じゃあ何だ。”
”なに、日本人!どうしてここにいる?”
彼は矢次ざまに質問をなげかけてきた。イタリア人特有の、あの明るく身振り手振りを加えた動作で。その時の私は、”ハハハ、イタリア系はやはりおもしろいな。”と、思った。が、周りにいる人達の雰囲気は、何故か違っていた。そして、しばらく私達はつまらない話をしていたのだが、彼は突拍子もなく私にこんな質問をしてきた。
”お前は、マフィアを知ってるか?”
”マフィア、好きか?”
”ウーン?”私はどう答えるべきか考えてしまった。日本にいて、ヤクザ屋さんが好きですと言う人は、たぶん少ないと思う。だから、”ノー”と、答えてしまった。
彼の態度が急に変わった。
”おい。こいつは嫌いだとよ。”そう言って、いなくなった。
彼と同じプラスターの中に、ジョージという、アフリカのマダガスカル島から移住した、もの凄く性格の良い奴がいた。ジョージは私の側に来ると
”あの男はマフィアだよ。それもイタリアのシチリー島から来た奴でね。あいつの叔父さんはオーストラリアのイタリアン・マフィアの大ボスで、彼もバリバリの幹部だよ。
”・・・・”アーングリ”。
まさに私にはそんな表現しか当てはまらないほど、唖然としてしまった。なんでそんな男がここにいるの。日本のヤクザ屋さんの大幹部が、コテ持って左官なんかしないよ。本当に驚きだった。
次の日から、彼の逆襲が始まった。
”二十セントコインひとつで、お前の体に風穴くらいすぐにあけられるが、それじゃあ面白くない。”
”そうだな。叔父さんの家のプールにはサメが飼ってある。そこに入れてやろうか。”
(これは本当らしい。海沿いに住む叔父さんの大邸宅のどれかのプールで飼っているらしい。)
万事この調子が一週間続いた。
が、私には何故か、この男が怖いと思えなかった。第一脅していても明るいのだ。それに、毎日のように休み時間になると、きまってせっせと奥さんにラブ・コールの電話を入れるのだ。私はそれをそばでニタニタしながら聞いていた。イタリア人は明るく相手を脅すのかもしれないが、陰険さがないと解らなくなる。そして、一週間が過ぎた頃、彼はフレンドリーになった。
正直言って、私にはこれからの方が大変だった。週末になると決まってやってきては、今週はどこどこの女の子とチョメチョメ。断ると。次の週末は、じゃあこの国の女の子では・・・、と、こられる。現場では半ズボンにTシャツで、汚い格好していても、家に帰ればパリッとスーツ着て良い車乗り回し、マシンガ・・何とかもお持ちだろうし、チョット私ごとき人間では付いていけない。
ただ、今思うと。
”もし、オーストラリアの永住権が欲しければ、パスポート持っといで。叔父さんの力(圧力のこと?)ですぐスタンプ押させるよ。”この一言は惜しかったと思う・・・。
イタリアン・マフィアのジョーさん。お元気でしょうか。日本人にはあちら関係の人が解るように、白人の方にも、マフィアの方を見れば解るそうです。しかし、私には、白人のマフィアの見分けは出来ません。