1989年12月1日(金)
 
   
”もしかしたら”の願いむなしく、土産屋”D”から採用の電話は掛からなかった。まぁ、またみつけるだわさ。
  この次は日本食レストランにでもあたってみようかな?英語に自信の無い人はここから始めるのもいい、って
  情報もあったし。


  1989年12月2日(土)

   今日はゴミ捨て場やお花のお使いに行った後、ポテトピッキングに行きました。帰りに初めてのお給料を
  もらっちゃいました!$60だけどうれしかったワン♪
ニュージーランドに来て初めて稼いだお金だもんね。


  1989年12月4日(月)

   今日お昼にカテドラル前でポテトをかじっていると、日本人の女の子が同じベンチに座った。話してみると
  彼女もWHでここに来ているという。”お仕事みつからないねー”って、2人でため息。これまで他のWHメー
  カーと話す機会が無かった私は、仕事の話などいろいろ聞かせてもらいました。彼女の通っている英語学校
  のWHメーカーは、お土産屋関係に入ったり、ここではみつからないからクィーンズタウンやダニーデンに移
  ったりした人もいるって。やっぱり考える事はみんな一緒だよね
.
英語学校に通う人の大半はWHメーカーら
  しく、そんなにたくさんの人が仕事を探しているのだもの、そうそう仕事にありつけるものじゃないよなぁ、

  思ってしまいました。


   彼女と別れた後、Pホテルの日本食レストラン”Y”に行くとマネージャーと会うアポイントがとれた。さらに
  その近くのお土産屋でパートタイムなら、って話も持ちあがった。ボスに確認してみるわね、と女店長。日に
  2、3時間のパートでも,この際いいや!と、ちょっとがっくりきていたところだったので、元気が出ました。


   


   1989年12月5日(火)

   今日は、日本食レストラン”Y”の面接に行きました。ここはホテル内の和食店でホテルの人事担当者の
  KIWI女性によるインタビューでした。難しい事聞かれたらどうしよー、とドキドキしつつ、下手な英語でがんば
  りました。印象に残ったのは、レジメの職歴にちょっとつけ加えた山のホテルでのウエイトレス経験について
  詳しく聞かれたこと。退職後、インド旅行に行くまでに2ヶ月ほど時間が空いてしまったので趣味と実益を兼ね
  てほんの資金稼ぎにしたバイトだったのに、彼女がこだわるのが意外でした。考えてみれば同種職歴なんで
  当たり前なんですけど。バイトも重要な(?)職歴なんだなぁ、と感心しました。

   ”なにか希望は?”と聞かれ、何か言わなくちゃ!と思い、”夜の帰宅は怖いので、なるべく昼間の時間帯
  がいい”と言ったら、”ローテーションの関係で昼間だけの仕事は無理。あなただけの希望を聞くわけには
  いかないわ”とすげない答え。うわぁ、余計な事、言っちゃった!今にして思えばもっともな意見だけど、私の
  中では大きな失点、わがままな奴って思ったかも、と青くなりました。とりあえず面接は終わり、今のところ
  店員は足りているという
。決り言葉の”See you again”にかすかな希望を持つ私でした。


  1989年12月6日(水)

   今朝朝食を食べにキッチンへ行くと、新聞にマーキングされた記事が目に入る。”日本語が話せて、日本
  に興味のある人”の求人欄
。Jが私のためチェックしてくれたらしい。これって英語が話せるのが前提だよなぁ
  と思いつつまぁチャレンジ。ところが、いきなり日本語の留守番電話につながりびっくり。頭の中が英語になっ
  ていたので、二言三言話してたまらず電話を切ってしまいました。当時は日本でも留守電はさほど普及して
  おらず、ましてやNZでは初めて。NZにも留守電ってあるんだーと感心しつつ、あらためて電話を入れなおす。
  先方からの折り返しの電話で明日の面接が決まりました。それにしても、もうネタ切れ、求職するようなところ
  ないよー、と思うと次の募集に出会う。気長に待っていればなんとかなるんじゃないかなー!?っと、ちょっぴり
  気持ちが明るくなりました。


  1989年12月7日(木)

   今日、インタビューに行ってきました。2階までたどりつくと、木材がごろごろ。”開店するんだ!”とひらめく。
  クリスマスオープンの日本食レストラン”J”という。面接するマネージャーはみるからに若い!上にシドニー
  他いくつかの店を総括するチーフマネージャーがいるらしいが、それにしてもこの人でお店立ち上げて行ける
  のかな?とちょっと不安がよぎる。とても感じの良さそうな人なんだけどね。面接自体はなかなかの好感触で
  した。


  1989年12月10日(日)

   ここのところ何をするでもなく、毎日を過ごしている気がする。スランプだなぁー。NZに来て3週間になるのに
  英語が上達しているとはとても思えないし・・・。ずーっと家の中で本を読んでるのもなぁ・・・。今日みたいに
  天気の良い日は、テニスとかスポーツをして思いっきり体を動かしたい。スポーツならしゃべらなくても友達が
  できる気がするもの。たとえお仕事がみつからなくても今週辺りから引越しを考えなくちゃ。いつまでもJの厚意
  に甘えてはいられないもの。



  1989年12月11日(月)

   今日、お土産屋のパートの話がボツになりました。私の他に応募した人はいなかったみたいだけど、結局
  ボスから増員が認められなかったそうです。そーだよねー、そんなに大きい店じゃないのに、店員を増やす
  必要があるようにはみえなかったもの。その後ぶらりとはいった小さなお土産屋さんで、オーナーのおばあ
  さんとおしゃべり。”仕事を探しているなら、先週Pホテルの日本食レストランで女の子の欠員がでたそうよ”
  とおばあさん。私がアプライしたというとちょっと気の毒そうな顔で”それでは、他の子で決まったのね”と言い
  なぐさめてくれた
。もう少し早く面接を受けていたら、お仕事とれたのかなぁー。タイミングの悪さをちょっとだけ
  後悔した。
  
  


  1989年12月12日(日)

   今日ははじめてのラズベリーピッキング。久しぶりの早起きはつらい・・・。7時の予定が1時間遅れて
  しまいました。網を攀じ登って農園へ。すでにたくさんの人が仕事をはじめてました。ラズベリーを詰める
  トレイとバケツを渡され説明を受けるがよく聞き取れない。周りの人の様子をきょろきょろみながら”そうか
  バケツに入れた後、箱に移せば良いんだ”と早速ピッキングをはじめる。真っ赤に熟したラズベリーは
  ルビーのよう!2m弱くらいの茂みのあちこちにぎっしりと実をつけていました。どのくらい熟したのをとれば
  いいのかな?いくつも口に運んでは確認します。ちょっと赤黒くなったくらいのがおいしいけど、周りの人の
  皿をみながら”この位はOKかな”と仕事を進める。トレイの中のいちごパック(何パック入ったか覚えてない
  のだけど)が全部詰められたらカウント場所にもっていって、名前を告げて新しいトレイをもらう。手間賃は
  1トレイいくらで決まっていて、帰りに清算してくれます。ラズベリーはポロリと簡単にもげるし、軽いし、農園
  仕事としてはかなり楽なんじゃないかと思います。
さて、うーん、なかなか上手に仕事できてるんじゃないか
  なぁー、とちょっと自信をつけていると、”おい、君は仕事のやり方を間違っているぞ!”中年のおじさんの
  怒鳴り声。”バケツにいれるのは熟しすぎたラズベリーだけだ!トレイの中にはきれいなラズベリーしか
  いれちゃいかんっ!!” ・・・そうゆうことでしたか・・・。スーパーバイザーなる監督官の彼に平謝りの
  雪いちごでした。その後はさしたるトラブルもなく昼までの仕事を終えました。そして今日の労働対価は、
  チーン、$9也(4.5時間労働)。
次女Sの”Verry slowly!”の冷やかしにも負けず、J達の”Oh、dear”の
  なぐさめにもめげず、”私の胃袋は満足!”と言い放つ雪いちごでした・・・。

    さて、くつろぎの午後を過ごしていると、日本食レストラン”J”から電話。結局日本語の話せるKIWIが
  たくさん応募してきたので雇えなくなったとのことです
。うまくいくかも、と思っていた件なので、ショックも
  大きいよー。やっぱり現実は厳しいよな.良い条件だと思ったんだ。昼間に学校へ行けるし、日本語を話
  せるKIWIと友達になれるし。世の中甘くないんだなぁ・・・。

   


  1989年12月13日(水)

   今日もラズベリーピッキングに行きました。結果は5.5時間で$12.まぁ、楽だからいいけどねー。多分
  仕事を丁寧にしてしまう分スピードが上がらないんだと思います、結構本人はペース上げてるつもりなん
  だけどな。それから、このバイトしてると、他の人から声をかけて貰えたりしてちょっと楽しいです。バイトを
  しているのは子供やマオリの人達が多いです。今日声をかけてくれたのは中学生の女の子。”日本語で
  数えられるよ。イチ、ニ、サン・・・”と途中でつまりながらも10まで数えてました。今時の中学校って日本語
  教えるんだぁー、と感心してしまいました。
 
   昨日は相当落ち込んでしまったけど、だいぶ気持ちが晴れてきた。私、もう1軒だけお土産屋が残って
  いるのを思い出した。今月の15日になったら定員の補充があるかないかわかる,って言ってた。たぶんダメ
  だと思うけど、そこに顔を出したら、1月は学校でしっかり英語を勉強しよう。そして2月に再トライよ!2月も
  チャンスの季節だっていってたし。


  1989年12月15日(金)

   今日、土産屋”O”に行った。以前店員の補充が今日くらいにわかると聞いていた店。これが今年最後の
  ジョブトライアルよ、なんてJに話して家を出た。”仕事を探しているのですが”と声をかけるとすぐに2階の
  マネージャー室に通された。この前は店先で話しただけだったのに
。応対してくれたのは以前にも会った
  マネージャーの奥さん。”先日伺った時に今日わかると聞いていたので”と切り出すと”はいはい、店員の
  補充あります
。すぐに働いてもらえるシフトもあるのだけど、もう決まったのかしら?ちょっと待っててねー”
  と部屋を出て行く。ドキドキ。”ごめんなさい、すぐのシフトはもう他の人に決まったみたい、2月からならある
  のだけど待てるかしら?
””待てます!”思わず力む私に奥さん大笑い。”どのみち仕事がみつからなかった
  ら、ひと月学校でじっくり英語を勉強してから再トライしようと思っていたので”と話すと”それでは、2月に再
  トライして下さい。”とにこり。マネージャーに話して、また連絡します、と聞いて別れた。っという事はまだ決定
  ってわけじゃないのかな?、一抹の不安を抱えつつ、でも彼女の態度からたぶん大丈夫だろう、の確信が
  あります。それに万一だめだったとしても、やっぱり2月は求職のチャンスが巡ってくる時期なのかも、と強く
  感じました。1ヶ月じっくり英語力を養えば必ず仕事が得られる気がしてきました。不思議よねー、最後に必ず
  自分の条件に合った仕事がまわってくるのだもの。今までだめになってきたのも、逆にラッキーだったな、
  なんて思ってしまう。”Ask and it will given you”なんて念じてきたけど、ほんとうに願いがかないました。



  1989年12月16日(土)

   今朝、土産屋”O”店のマネージャーから採用の電話がありました。フラット捜しに関して手助けするので、
  一度店に顔を出してみなさい、とのこと。また夜勤の時は必ず全員車で送ってくれるとの話に、気がかりな
  ことが次々解決するようでこの先のNZ生活の展望が開けて行く気がしました。仕事が始まってからの不安
  はもちろんあるけれど、とりあえず一番の難関をクリアーできて、ほんにとよかったです。採用の話を聞いた
  次女S。”そのお店、オーナーがきらいなんじゃなかったっけ?○○○” おほほほほ、それはそれ、です。

   次の難関はフラット捜し!でもそれは、また別の機会に♪




   ちなみに、その後1月の旅行へ出ている間に日本食レストランの”Y”と”J”から働く気があればコンタクト
  してくれと電話があったそうです。友人Mの話では、英語学校に通う彼女の友人達もそのころバタバタと
  採用が決まったらしいです
。今はどうなのかわからないけど、WHって1年しか滞在できないし、職場の
  ローテーションは早いと思います。あきらめずにトライしてみて下さいね。掲示板等での募集にアプライする
  のも大切だけど、やっぱり直接職場にアプローチする方が効果的かな、と思います。


   それと、ラズベリーピッキングのバイトですが、その後もクリスマスくらいまで毎日ありました。(雨天中止)
  収穫に応じての手間賃なので、みんなその日の気分でしたり、しなかったり、誰でも参加できそうな感じで
  した。興味のある方はシーズンになったら直接農園の方に問い合わせてみてはいかがでしょうか?私が
  働いたのはTai Tapuにある農園でした。小学生の男の子もしてましたよ。親切にしてくれた高校生の
  スーパーバイザーのお姉さんがその後ケンタッキーでバイトしているのをみかけました。スーパーバイザー
  もバイトなんですね。