裸足の人魚・第二部


第二章・嵐の予兆


  入学式の翌日、勇魚と晃子は連れだって明桜学園への通学路を歩いていた。二人のカバンの中には、泊まるのに必要な着替えや洗面用具などが詰め込まれていた。今日と明日は、高原にある学校附属の宿泊施設で行われる、一泊二日のオリエンテーションだ。
「持ち物で何か困ったことなかった?」
 晃子は勇魚に尋ねた。
「ヘアドライヤーとか髪を止めるゴム、簡単な化粧用品など、女の子が出かけるのに必要な小物はだいたい姉ちゃんが用意してくれたからね」
「よかったじゃん」
「でも姉ちゃんったら、女の子同士で泊りがけで出かけるときくらい、下着はかわいいのつけておけって言うんだもの」
 勇魚がそう言って自分の胸のあたりを気恥ずかしそうに見渡すと、晃子も赤面した。
「バカ」
 二人が学校に着くと、すでに校門の前には貸切バスが何台か停まっていた。校門のところに集合していた少女たちは、みんなオリエンテーションが楽しみらしく、明るい表情でみんなおしゃべりに花を咲かせていた。勇魚はその中で、どこか落ち着かない面持ちをしていた。
「どうしたの? 瀬波さん。なんか緊張してるけど」
 須藤成美がさっそく、勇魚に声をかけてきた。
「瀬波さんももっとみんなと仲良くすればいいのに」
 成美はそう言って、勇魚の背をそっと押して少女たちの輪の中に連れていった。袋田恭子も、勇魚に明るい声であいさつをした。
「おっはよ、瀬波さん」
 恭子の明るく快活な様子を見ると、勇魚も元気を多少なりとも分けてもらったような気がして、ほのかに笑みを浮かべた。
 やがて生徒たちがクラスごとに分れて貸切バスに乗り込み、バスが走り出すとさっそく生徒たちはおしゃべりやゲームを始めた。晃子は中学時代の写真を入れたアルバムを持ってきて、まわりの少女たちに見せていた。成美はその写真を興味深げに眺めていた。
「石川さんの中学の制服はセーラー服だったんだ。いいなあ。でも瀬波さんも石川さんと中学一緒だったんでしょ? 瀬波さんの写真はないの」
 勇魚が答えに窮していると、晃子が卒業式の翌日、勇魚と晃子、美鶴と一緒にセーラー服姿で撮ったプリクラを成美に見せた。勇魚はとっさに助け舟を出してくれた晃子の心づかいに内心で感謝した。
「瀬波さんってセーラー服着ても似合ってるじゃん。でもなんか瀬波さんだけ照れくさそうにしてるけど、そこがかえってかわいいよね」
 勇魚は成美が明るい口調で話すのを聞きながら、どう答えたらいいか戸惑っていた。
「勇魚はああ見えてけっこう照れくさがりのところがあるからね。このプリクラだって、あたしがむりやり連れ出して撮ったんだけど」
 晃子は適当に話を取りつくろったが、その言葉はさらに成美を調子づかせたようだった。
「瀬波さんって一見かっこよさそうに見えるけど、実はけっこうシャイなんて、そのギャップがまたかわいいじゃん」
 勇魚は成美の明るく屈託のない様子に、ただまごまごするのみだった。
 そうこうするうちにバスは高速道路に乗って市街地を抜け、車窓にも緑が目立つようになった。キャサリンにとっては、こういう日本の景色は何もかも新鮮に目に映るらしく、熱心に車窓を眺めては周囲の少女たちにいろいろ話しかけていた。しかし勇魚は、バスに揺られる行程にいささか疲れと退屈さを感じていた。
「もし男子がいたら、この辺でバスガイドに向かって卑猥なジョークを飛ばすやつも出てくるわけだし。夜になったら下ネタで盛り上がったりプロレスごっこやったり、こっそり持ってきたエロ本広げたりして」
 勇魚がこう言うのを聞いて、晃子は勇魚をにらみつけると、手のひらをぎゅっとつねり上げた。玉造鈴音もそのような勇魚の様子を見て少々眉をひそめたものの、もの静かな口調でこのようにきいてみた。
「共学の学校ってそんなものなの?」
「ああ。男女共学の学校にはかっこいい男子がいて彼氏ができるなんて思ってたら大間違いだよ。少女マンガに出てくるイケメンとか見てると、こんなやつがいったいどこにいるんだとか思うもの。男子なんて口を開けば卑猥なことばかり言うし、年がら年中バカ騒ぎばかりやってるし、運動部の部室なんて汗臭いし汚いし」
 勇魚は明桜の生徒は男子と接する機会がない分、男子に対して変な幻想を持っているのかもしれないと思った。しかしそこで須藤成美が、あっけらかんとした表情で横から口をはさんだ。
「そうだよね。あたしもお兄ちゃんと弟がいるけど、家の中がドタバタ騒々しいし。でも女の子同士だってエッチな話だってするよ。うちの学校の部室だって散らかってるし」
 勇魚はその話を聞きながら、これから夜になったらどうなるかと思うと身震いがした。しかしそこで晃子が、悪戯っぽい口調でそっと勇魚に耳打ちした。
「少女マンガのことなんかよく知ってるじゃない」
「姉ちゃんがそういうマンガ持ってて、昔から自分もそういうの読んでたからね」
 晃子は呆れたような表情をしていた。
 そうこうしながら施設に着くと、まずは学校生活の心構えやら進路の話やらについて久恵の講話があった。これからは女性も社会に進出して活躍する時代だから、その自覚をしっかり持って勉強に励み、規律正しい生活を送るようにとかいう久恵の講話を、生徒たちは退屈そうな面持ちで聞いていたが、それが一段落するとクラスごとに集まって、クラス委員が決められた。委員長には鈴音が選ばれ、副委員長は二人のうち一人は成美ですんなり決まったものの、あと1人は立候補する生徒がなかなか現れなかった。そのときクラスの一部から、「天童さんがやればいいんじゃない?」という声が聞こえてきた。勇魚がその天童琴絵という少女に目を向けると、落ち着いたまじめそうな、どこかクールそうな感じのする少女だった。琴絵は特にいやそうな顔もせずに副委員長の職を引き受けたが、勇魚は一部の少女たちの琴絵に対する態度が気になっていた。
 それから今晩泊まる部屋の割当てをどうするかを決めた後、クラスの目標をどうするかとかいった話合いが持たれたが、そこでクラスの委員長に選ばれた鈴音は、はっきりとした口調でてきぱきと議事を進めていった。勇魚は一見おっとりしているように見えながらもクラスをまとめていく鈴音の力量を見て、彼女はやはり大物かもしれないと思う一方で、そのいかにもお嬢様然とした、プライドが高そうでつんとした態度には、どこか親しみにくいものを感じていた。
 クラス討議が終ると、美咲が元気よく生徒たちに声をかけた。
「これからクラス対抗でスポーツをやる時間だわ。チーム分けはどうすればいいかしら」
 クラスのみんなで体育館に向かい、更衣室で体操服に着替えるときには、勇魚はさすがにごくりと生つばを飲み込んだ。勇魚が制服のブラウスのボタンを外しながらちらりと周囲に目をやると、周囲の少女たちは何ら気兼ねすることなく、にぎやかにおしゃべりしながら体操服に着替えている。少女たちのつけていた、色とりどりのブラにも勇魚は目を奪われていた。しかしそこで勇魚は我に返ると、周囲の視線を少々気にしながらも、なんとか顔を伏せてそそくさと着替えを済ませた。そこで一息ついて更衣室を出ようとすると、鈴音に呼び止められた。
「制服はそんな風に脱ぎ散らかさないで、きちんと畳まないとしわになるわよ」
 勇魚は周囲を見渡して、みんながそのように制服をきちんと畳んでいるのに気恥ずかしい思いがした。
 勇魚が体育館に足を踏み入れると、他のクラスの生徒たちもすでに体育館に集まっていた。勇魚はバスケットボールをやることにしたが、そこでクラスごとに集まってチーム分けを行うときになって、一部の少女たちは内気で運動が苦手な琴絵と同じチームになるのを露骨に嫌がるようなそぶりをした。その様子を見て勇魚は、入学式のとき以来感じていた重苦しい感情をこらえられなくなって、思わず声をあげていた。
「そんな態度とることないだろ。これは勝ち負けがどうとかいう試合じゃないんだから」
 勇魚の一声で、先ほどまでは琴絵に対して敬遠するような態度を取っていた少女たちもしんと静まり返った。琴絵は少々気恥ずかしそうな表情をして、ぼそりと口を開いた。
「…いいです。私はタイムとスコアの係をやるから」
 そこでなんとかチーム分けも決まってゲームが始まると、勇魚はコートの中を所狭しと走り回り、シュートも何本か決めてみせた。まわりの少女たちの視線は、そのような勇魚の姿に釘付けになった。勇魚は体を動かして汗をかくことで、心の中に積もっていたわだかまりを多少なりともほぐすことができたような気がした。
 その一方で、勇魚は前日に学校からの帰り道で一緒になった袋田恭子の姿に目を向けていた。彼女は小柄ながらツインテールの神を揺らして、相手のマークをかわしながらきびきびと敏捷に動き回り、パスを巧みに回していた。
 ゲームが一セット終ると、勇魚の周囲にクラスの少女たちが集まってきて、歓声を浴びせた。しかしその一方で、先ほど琴絵に対してつっけんどんな態度を取っていた少女たちの一群は、勇魚とその周囲に集まった少女たちに冷ややかな視線を投げかけていた。
 勇魚は最初こそ自分を取り囲んだ少女たちの反応に気後れを感じたものの、その中から恭子が手のひらを差し出してきたので、思わずハイタッチでそれにこたえた。そのときの恭子の顔は、明るさではちきれそうだった。
「やるじゃん、袋田さん」
「恭子と呼んでいいよ。そのかわりあたしも瀬波さんを名前で呼ぶから。瀬波さんの名前って何と言ったっけ」
「勇魚って言うんだけど」
「『いさな』ってなかなかかっこいい名前じゃん。でも勇魚こそバスケなかなかうまいよね。中学で何かスポーツやってたの?」
 勇魚が少々答えに窮していると、恭子は明るい表情で言った。
「無理に言わなくてもいいよ。あたしは中学のときからバスケやってたから、ここでもバスケ部に入ろうと思ってるんだ。しかしそのためにはもっと背が高くなればいいのにって思うんだけど、こればかりはなかなかね」
 勇魚は恭子の親しげな様子を見て、恭子は自分を仲間として認めたということなのだなと思った。
 ちょうどそのとき、琴絵がどこか気恥ずかしそうな顔をしながら勇魚のところに寄ってきて、はにかみ気味に口を開いた。
「瀬波さん、さっきはありがとう」
 そう言って琴絵はぺこりとお辞儀をすると、そそくさと勇魚の前から立ち去った。
「あの子…やはりちょっと人の前で自分の気持ちを素直に表現できないのかな」
 琴絵が走り去っていく様子を見送りながら恭子が少し心配そうな表情で言うと、晃子も勇魚のそばに寄ってきて言った。
「こうやってお礼言いに来るだけでも大したものじゃない。やはりあんたが心を開けば、向こうも答えてくれるんだから」
 そのように言う晃子の顔には、かすかに笑顔が浮かんでいた。
 次に対戦したのは美鶴の所属するC組だった。勇魚がC組の少女たちに目を向けると、特に一人の気の強そうな少女が黄色い声で声援を受けていた。そしてゲームが始まると、その少女もなかなか巧みなプレイを見せていた。勇魚や恭子も奮戦したものの、惜しいところで敗れた。
 ゲームが終ると、C組の気の強そうな少女が勇魚に声をかけてきた。
「あなたはB組なの? なかなかやるじゃない」
 勇魚が戸惑いながらも握手で応えようとすると、鈴音がむっとした表情でその様子を遠巻きに眺めていた。少女もそのような鈴音の様子に気がつくと、鈴音を向き直して言った。
「玉造さんは今度はB組の委員長なの? 私もC組の委員長になったんだけど、さっそくB組にはいい子が入ってきたじゃない。来月の体育祭が楽しみだわ。うちのクラスも頑張らなくちゃね」
「まさか赤倉さんって、去年の体育祭で負けたことまだ根に持ってるの? いいかげんつまらない意地張るのはよしてよね」
「あら。誰もそんなこと言ってないでしょ。意地張ってるのは玉造さんの方じゃない」
 勇魚と恭子は、鈴音とその「赤倉さん」と呼ばれた少女との間に、どこか一触即発の気まずい雰囲気が流れているのをひしひしと感じて、思わず息をのんだ。そこに成美がやってきて、なんとかして鈴音を下がらせた。
 バスケの試合が終るころには、日も西に傾きかけて、高原の空気も冷え冷えとしてきた。体育館の後片付けの途中で、さっそく成美が勇魚に元気よく声をかけてきた。
「瀬波さんってすごくバスケうまいじゃん。袋田さんもだけど」
 そこで勇魚は、成美にさっき鈴音と話していたC組の委員長についてたずねてみた。
「あの子は赤倉優菜っていうんだ。あの子も成績優秀でスポーツ万能のお嬢様で、弓道部の主将もつとめているんだけど、それだから玉造さんとは何かと仲が悪くてね。まあそれ自体は『ケンカするほど仲がいい』ってものかもしれないけど、二人とも学校の中で面倒見がよくて人気があってそれぞれに取り巻きがいるから、ますます話がややこしくなってね。お互い意地張り合ってないで素直になればいいのに」
 勇魚はこの学校には、やはりいろいろとよそ者にはわけのわからない部分があるんだなと思った。
「ところで、バスケやったら汗かいちゃったよね。もうそろそろお風呂の時間になるから、早く片付け終わって部屋に戻って準備しなくちゃね」
 勇魚は「お風呂」という言葉を聞いて、内心でびくりとした。

 勇魚が浴室に向かう間、晃子はむっとした表情をして傍らにつきそっていた。勇魚は脱衣場で周囲の視線を避けるようにしながら、ためらいがちに服を脱いだ。タオルで体を隠しながら浴室に足を踏み入れてから後も、勇魚は周囲の少女たちがおしゃべりに花を咲かせるのに対してあえて背を向けながら、黙々と体を洗っていた。晃子は勇魚の隣のシャワーに腰を下ろしながらも、そのような態度を取っている勇魚の姿を見て、逆にかえってやりきれないものを覚えた。
 勇魚がなんとか浴槽につかってふと息をつくと、すぐそばで鈴音も浴槽に足をつけようとしていた。しかし勇魚がそこで鈴音の体にそっと目を向けると、その見事なプロポーションや、白磁のようなつややかな素肌にぞくりとさせられた。長い髪を編み上げた鈴音の姿には、普段の清楚な姿とは違った趣があった。
 しかし浴槽の中で勇魚が赤面していると、鈴音も勇魚のそばに寄って声をかけてきた。
「瀬波さんってなかなか引き締まった体してるじゃない。さっきも見てたけど、どうりでスポーツうまいはずだわ」
 そしてその場に成美も寄ってきた。
「玉造さんはさすが体操部で鍛えてるだけあって、全身バネみたいなしなやかな体してるよね」
「あの…体操部ってことは、当然レオタードとか着るわけ?」
 勇魚がためらいがちにきいてみると、鈴音はあっけらかんとした口調で答えた。
「当り前でしょ。今度いっぺん体操部の練習に見学に来ない? 瀬波さんも今から体操始めたら、けっこういい線いくかもよ」
 勇魚は鈴音が自分に対して格別警戒心を抱いていないことに、気まずさを覚えずにはいられなかった。そこでそばにいた成美も口を開いた。
「玉造さんって体操すごくうまいんだから。それにあたしだって玉造さんくらいスタイルよければ、レオタード着たって似合うのに」
「須藤さんこそ気にすることないでしょ」
 勇魚は鈴音が成美と親しげに話すのを聞きながら、浴槽に体をあごまで沈めてじっとしていた。
 ようやく風呂から上がって脱衣場に足を踏み入れても、勇魚はその部屋全体に充満している、ほてった体から立ちのぼる独特の香気に頭がくらりとした。さらにその中にほのかに漂ってくる、洗いたての髪やローションの香りが、より勇魚の心の奥をむずかゆくさせた。そして周囲からはこのような声が聞こえてきた。
──少し太ったかな…。甘いものはなるべく食べないようにして、ダイエットしてるつもりなんだけど。
──このローション使ってみたら? 肌がすべすべになるよ。わき毛もそった方がいいかな…。
──そのブラかわいいじゃん。でも前はワンサイズ下のブラつけてなかった? また大きくなったんじゃない? 私もこのくらいスタイルよくなればいいのに。
 勇魚は引け目を感じながらも、そそくさと下着を身につけようとすると、そこでまた背後から鈴音の声がした。
「瀬波さん、けっこうかわいいブラつけてるじゃない。そりゃせっかくスタイルいいのだから、下着にも気をつけないとね」
 勇魚が鈴音に目を向けると、鈴音はレースの飾りをあしらったおしゃれなブラを胸につけている。そこで勇魚は、思わずスウェットシャツで自分の胸を隠して鈴音をきっとにらみながら言った。
「どうだっていいだろ。何でさっきからオレにいろいろちょっかい出してくるんだよ」
 鈴音は勇魚の態度を前にしても、とりすました態度を崩さないままてきぱきと服を身につけていった。
「あら失礼。でも瀬波さんって、こうしてみるとけっこう美人なのに。しかし瀬波さんってどこか男っぽい感じがするのに、なぜそのように髪を伸ばしているのかしら」
 勇魚はスウェットシャツを身につけながらむっとした表情をしていた。
──この委員長、いちいち癇にさわるようなことを言う奴だな。悪気がないだけに余計にいやな感じがする。
 勇魚は服を着終わると、ふて腐れた表情で鈴音に答えた。
「どうだっていいじゃん。髪が長いと女らしくて、短いとボーイッシュだなんて、そういう風に決めつけるものでもないだろ。今じゃ男だってロン毛にしてる人はいるじゃないかよ。だいたいタマゾーさん、なんでいちいちオレにからんでくるわけ」
 そこで鈴音はむっとした表情で言った。
「私の名前は『タマゾー』じゃなくて、『たまつくり』と読むの。でも瀬波さん、バスに乗ってたときから思ってたけど、その乱暴な言葉づかい、なんとかならないものかしら。自分のことを『オレ』なんて言ったりして」
 勇魚と鈴音との間に気まずいムードが漂うと、周囲の少女たちの間にも動揺が走った。学園の中でリーダー的な存在として一目置かれていた鈴音に対して、このような態度を取る少女は今までいないようだった。何人かの少女が勇魚の前につかつかと歩み出た。
「ちょっとあんた、さっきから見てたら高等部から入ってきたくせに態度でかくて生意気じゃないの」
「悪いのかよ。ちょっと名前間違えただけだろ。それにさっきだって、天童さんをのけ者にすることないじゃないか。ちょっと中学から私立行ってるくらいででかい顔するなよ」
 そこで鈴音は、勇魚につっかかってきた少女たちにぴしゃりと声をかけておしとどめた。
「あなたたちは下がってなさい」
 そのとき晃子があわてて飛んできて、勇魚をおさえながらもじもじした態度で鈴音に言った。
「あの、瀬波さんは私と同じ中学だったんだけど、もともとそういうとこあってさ。だから気にしないでよ」
 そして晃子は勇魚を下がらせて、浴室を後にした。その間も晃子はむっとした表情をしていた。
「あんた、自分から騒ぎを起こしてどうするの」
「だってあの委員長、さっきからやたらオレにからんでくるんだもの。それにちょっとお嬢様学校行ってるくらいで偉そうにしてる連中って、見てるだけでむかつく」
「そりゃあんたの気持ちだってわかるけど…ともかくあまり目立つようなことするのはやめてよ。…そりゃさっきのバスケのとき、あんたがのけ者にされてた子をかばってやったのはえらいと思うよ。でもあまり周囲に対してつっかかることなんかないじゃない。変に身構えてないで、もっと自然にしてりゃいいのに」
 勇魚はそこで首をかしげた。
「その『自然に』って、いったいどうすりゃいいんだよ」
「だからそんなにクヨクヨ考えることないってば。あんたはまだこの学校の雰囲気に慣れてないかもしれないけど、だからこそもっと落ち着きなって。そうしてたらそのうちにどうすれば自然にできるか、きっとわかってくるよ。早くしないと夕食の時間になっちゃうよ」

 勇魚が晃子と一緒に食堂に向かい、夕食のテーブルにつくと、周囲の少女たちの勇魚を見る視線は二通りに分かれていた。先ほど勇魚に食ってかかった少女たちは鈴音の近くに座を占めて、勇魚を険しい視線で見つめていたが、その一方で勇魚に親しげな視線を送る少女たちもいた。勇魚はこのような少女たちの視線にはじめは気がかりなものを感じたものの、いざ食事を目の前にすると、それをかきこむようにして勢いよく食べ始めた。袋田恭子もそれに劣らぬ勢いで食事をもりもり食べている。晃子は呆気にとられながらその様子を眺めていた。
「いっぱい食べるのはいいし、そりゃあたしだってダイエットとか何とか言って食べたいものも我慢するのはバカらしいと思うけど、もう少しお行儀よく食べた方がいいんじゃない? ほら、玉造さんやキャサリンなんか見てみなよ」
 勇魚が晃子に言われるままに彼女たちの方向に目を向けると、二人はテーブルの端の方の席に腰かけ、もの静かな様子で箸を動かしながら、イギリスでの生活の話などをしている。そしてそのまわりの少女たちも、その様子をどこか憧れているかのような様子で眺めていた。天童琴絵も、その二人の話を興味深そうに聞いていた。
「それにしてもなぜキャサリンって、イギリスで育ったのに、あんなにお箸使うのがうまいんだろう」
 晃子がキャサリンの様子を見ながら口を開くと、勇魚もふと息をつきながら言った。
「それになんかあの三人って、飯食ってるだけでも雰囲気からして上品そうだよね」
「だから、『飯食ってる』じゃないでしょ」
 晃子はむっとした表情をしたものの
、しばらく考えた後にこっそり小声で勇魚に耳打ちした。
「ちょっと話があるの。ご飯終ったらあたしのところまで来てくれない? 食堂の出口で待ってるから」
 勇魚は軽くうなづいた。
 しかしそのすぐ隣の席では、恭子がこのような勇魚の心中などそ知らぬかのように、料理をもりもり食べていた。
「勇魚もそんなに気を使っていないで、もっといっぱい食べればいいのに。バスケやっておなかも減ったし、それにたしかにお行儀悪いのはよくないけど、おいしければいいんだから。明桜ってさすがにご飯おいしいじゃない。中学の給食とはやはり違うよね」
 勇魚は恭子の元気で快活な様子を見ているうちに、自然と顔がほころんでいた。勇魚もいつしか、恭子と笑顔で向き合って意気投合していた。そこで勇魚は、思い切って近くの席で周囲の少女たちと談笑していた成美に声をかけてみた。
「あのさ…天童さんってどんな人なの」
「天童さん? まあたしかに引っ込み思案で内にこもりがちなところがあるし、ちょっと何考えてるかわかんないところもあるけど、根はいい子だよ。お父さんは有名な大学の教授で、テストの成績だって玉造さんや赤倉さんと学年トップを競ってるし、文芸部で自作の小説なんかも書いてるんだ。毎年一月には百人一首大会があるけど、そのときばかりはあのクールな天道さんも柄になく燃えるので、天童さんのいるクラスは三年連続で学年トップなんだよ」
 勇魚はそのまま、琴絵が落ち着いた物腰で食事を取る様子をじっと眺めていた。しかし食が進むにつれて、近くの席の少女の中には勇魚に親しげに声をかけてくる者も現れた。勇魚はどこかよそよそしい態度で、彼女たちとの話に加わった。
 食事が終ると、晃子はさっそく勇魚を物陰へと連れ込んで神妙な表情をして言った。
「勇魚、あの委員長のことどう思う?」
「たしかにお嬢様かもしれないけど、なんかオレのことに目をつけてるような感じがするんだよな」
 そこで晃子は、少し考えるようなそぶりをした後で言った。
「あの委員長、あんたの正体にうすうす気づいているんじゃないかしら」
 そこで勇魚はびくりとした。
「え…何も言ってないのに」
「女の勘というものをなめてもらっちゃ困るわ。少なくともあの委員長は、あんたは普通の女の子とは違うということをはっきり見抜いているわね。だからあんたももう少し気をつけた方がいいわよ」
 そこで勇魚は思わず声をあげていた。
「だからといって、なるべく目立たないようにして猫かぶってなきゃいけないわけ? そんなのおかしいじゃん。だいたい普通の女の子って何だよ。アイドルが引退するときのセリフじゃあるまいし」
 そのとき、背後で声がした。
「何二人でこそこそ話してるのかしら」
 勇魚と晃子がびくりとして声がした方を振り向くと、そこに天童琴絵が腕組みをして立っていた。
「天童さん…聞いてたの」
 むしろ晃子の方が大きく動揺していた。
「瀬波さんはたしかに自分のこと『オレ』とか言ってるけど、何かもっと深いわけがありそうね」
 勇魚は琴絵の話をびくびくしながら聞いていた。
「それだけ動揺するということは、やはり何かあるってことを自分から告白してるようなものじゃない」
 琴絵がそのように言う間も、落ち着いた冷徹な様子を崩そうとしなかった。勇魚は琴絵のそのような態度に、むしろじりじりと追いつめられるような感じがして、心臓が縮こまるような思いがした。しかしそこで琴絵はさらに言葉を続けた。
「なんか瀬波さんと石川さんがしゃべってるとこ見たら、なんか男の子と女の子がしゃべってるような感じがするのよね。まさか瀬波さんって、女装してるけど実は男だとかいうのじゃないかしら」
 勇魚がびくりとすると、琴絵は自分で笑顔を浮かべてみせた。
「まさかね。さっきみんなと一緒にお風呂入ってたし」
 勇魚は一見冷徹そうに見えた琴絵にも、このようなお茶目な面があるのかと意外に思った。しかしそこに、美鶴も姿を現した。
「さっきから聞いていたら、瀬波さんのことで話してたわけ」
 続いて美鶴は、琴絵に簡単に自己紹介をして、勇魚や晃子と中学で同級生だったことを話した。
「なかなか見る目が鋭いじゃない。でも違うわね。実は瀬波さんは中学までは家庭の事情で男として育てられたの。小学校のときのランドセルだって黒かったし、中学の制服も詰襟の学ラン着てたし」
 琴絵ははじめ、この話を呆気にとられながら聞いていた。しかししばらくたつと、声を上げて笑い出した。
「こんなチープな少女マンガみたいな話が、まさか本当にあるとはね。なかなか面白いじゃない。でもだったらなぜ明桜に入学したのかしら」
 そこで美鶴は、勇魚を向き直しながら言った。
「これだけ胸がでかくなって、生理まで来るようになったらごまかせるわけないでしょ」
 琴絵は美鶴の落ち着き払った様子をしばらくじっと見守った後で口を開いた。
「まあそういうことにしとくわ。ところで野沢さんだっけ、クラス別だけどあなたとは仲良くなれそうね。ここだと人に聞かれるかもしれないから、外に行きましょ」
 琴絵は勇魚たち三人を屋外に連れ出した。ドアを開けたとたん、高原の澄み渡ったひんやりとした冷気が、勇魚の頬をそっとなでた。辺りはぽつりぽつりと照明が灯る以外全くの暗闇で覆われて、物音はほとんど聞こえてこない。
「空を見てよ」
 勇魚が琴絵に言われるままに夜空を見上げると、暗い空いっぱいに星がまたたいていた。
「こんな星空、東京じゃ見られないでしょ? こうやって星空を見上げてると、つまんないことなんか忘れられそうじゃない?」
「その『つまんないこと』ってどういうこと…。それになんで天童さんは、今こうしてオレと一緒にいるの」
「どうせ今ごろ部屋の中では、みんなでだれそれに彼氏がいるとか、渋谷や原宿に買物に行ったとか携帯がどうだとかいう話したり、枕投げとかやったりしてるんでしょ。私はそういう乗りってどうも苦手だからね」
 そこで晃子は、琴絵にきいてみた。
「天童さんって携帯持ってないの? もっといろいろ話とかできそうなのに」
「実は私、携帯持ってないんだ。うちは親が厳しいというのもあるし、そりゃうちの学校で携帯持ってないのなんて私くらいだろうけど、別に欲しいとも思わないしね。四六時中あんなちっぽけな機械のとりこになってるなんて、なんかばからしいじゃん」
「オレは天童さんのこうやって自分をしっかり持ってるとこは偉いと思うよ。でもだからといって、わざわざまわりと壁作ることなんかないのに。…オレだってそんなに人のことなんか言えないけど。天童さんはこうやってオレなんかと話するくらいだから、心は優しい人だと思うよ。でも天童さん…さっき野沢さんが言ってたこと、本当だと思うの?」
 勇魚にそう言われて、琴絵はしばらく黙ったまま宵闇をじっと見つめていた。
「さあね。私はもしその話が本当だったら面白いのにと思ってるだけよ。これ以上あれこれ詮索する気もないしね。でもこうしてみると、瀬波さんって学ラン着ても似合いそうじゃない。男装の麗人なんて言ったらちょっと言い過ぎかもしれないけど」
 勇魚は琴絵の話をどこか複雑そうな表情で聞いていた。
「そんなにびくびくすることないじゃん。それに玉造さんだって、えらく瀬波さんのこと気にしてるじゃない」
「気にしてる…ってどういうこと」
「玉造さんはこの学校の中で、美人で頭がよくてリーダーシップもあるということで、学園のリーダーな存在として周りからちやほやされてきたからね。玉造さんからすれば、瀬波さんは自分の天下を脅かすように見えるんじゃないかしら」
「オレ…そんなに目立とうとしてるつもりなんかないのに。第一、さっきだってオレがああしてなかったら、天童さんはバスケの仲間に入れなかったかもしれないじゃん」
「私は別に…そういうのに慣れてるから」
 琴絵はまたそこで言葉をつぐんだ。そこで勇魚は、意を決するとおもむろに口を開いた。
「実はオレ…」
 勇魚が口を開いたとき、晃子と美鶴の表情に一瞬動揺の色が浮かんだ。しかしそのとき、背後から声がした。
「あんたたち、そこで何やってるの。ここは夜けっこう冷えるから、そんなところにいるとカゼひくわよ」
 美咲の声だった。美咲は三人の顔を見ると、少し首をかしげた後で口を開いた。
「なんかいわくありげな顔ぶれじゃない。瀬波さんにはちょっと話があるの」
 そして美咲は勇魚を一室に連れ込むと、勇魚を椅子に坐らせてお茶を出してやった。
「やはり緊張してるのかしら。そりゃそうよね。さっき天童さんとは何話してたの?」
 美咲の口調はあくまで明るかった。勇魚はそのような美咲の様子に、かえって気詰りなものを感じた。そこで美咲は、ため息混じりに話を継いだ。
「まあ天童さんにも困ったものだけどね。いい子なんだけど、もう少し素直になればいいのに。まあそのへんが、あなたと気が合った理由かもしれないけど」
 そこで勇魚は、身体をこわばらせながら口を開いた。
「私…今になって何のためにこの学校に入ったか、ここで自分は何をしたいのかわからなくなってきたんです。入試のときはただ行ける学校があればいいというだけで、何も考えずに明桜を受けたけど」
 勇魚のそのような態度を前にしても、美咲はとりすました態度を取っていた。
「そんなことばかりクヨクヨ考えていたって仕方ないわね。そんなこと言ったら先生だって、なぜ自分がこの学校で先生やってるのかわかんなくなることだってあるのよ。せっかくだからみんなでパーッと遊べばいいのに」
 それでも勇魚は、身構えるような様子を崩そうとしなかった。
「晃子は…いや石川さんはよく自分にこう言うんです。『あんたはあんたなんだから、あんたらしく自由にしてればいい』って。でも自分は…その『自分らしく』ということがどういうことかわかんないから、こんなに悩んでいるのに」
 この勇魚の言葉を聞いたとき、美咲は少しどきりとした表情を浮かべた。しかし美咲はそこでしばらく考えた後、勇魚に言った。
「それはあなただけの問題じゃないわね。そんなに太ってるわけでもないのに無理なダイエットに走って摂食障害になったり、いじめにあったり、一見恵まれた家庭で優等生として育ったように見えながら、むしろそのために親といざこざを抱えてぐれちゃったり、私はそんな女の子を今まで何人も見てきたわ。それに『自分らしく』なんて、学校卒業して社会に出てからの方が、ずっとわからなくなるものよ。私と同い年の友達だって、一流企業に就職した人や、すごくいい旦那さん見つけて玉の輿に乗った人もいるけど、みんな多かれ少なかれ、それでいろいろ悩んでるわね。それに比べりゃあなたはこうして家族の支えでちゃんと学校に入って、石川さんのようなあなたのことを理解してくれる友達もいて、それだけで十分大したものよ」
 そこで勇魚は首を振って言った。
「わかんないんです。学校に行って勉強して友達と遊んでなんて、みんなが普通にやってることなのに、なぜそれが自分だけはすごく大きなことのように言われるのか」
「その普通のことができなくて苦しんでいる人が、世の中にはどれだけいると思ってるの。ちゃんと朝起きてご飯を食べて、学校なり職場なりに行ってそこでやることやって人とつき合って、それこそが一番大切だけども、一番難しいことなのかもね。学校や私みたいな教師の仕事は、あくまで生徒がこうやって普通の生活をきちんと送れるようにすることだわ。卒業生がどこそこの大学に何人受かったとか、OGから有名人が出たとかいう実績は、その結果としてついて来るだけの話よ」
 そこで勇魚は思わず声をあげていた。
「自分は特別扱いはしてほしくないんです。ただ入院する前のように、その『普通』の生活が送れるようになりたいだけなのに」
「そりゃあなたのそういう気持ちだってわかるけど、ほんとの自分なんて立ち止まって考えてばかりいるのではなくて、失敗してもいいからいろんなことやって、いろんな人とつきあって、その中からしか見えてこないものだわ。私だってここで先生やってて、そこでいろんな生徒の相手して、教わることや自分自身成長できたと思うことがいっぱいあるもの。何が普通かなんて人によってみんな違うかもしれないけど、あなたは焦らずにその普通を見つけていけばいいわ」
 そこで勇魚は、自分の身体が変ってからしばらくの間、自宅にこもっていたとき、そしてそのような自分自身すら信じることができずにもがいていたときのことを思い出していた。勇魚が美咲の言葉に深くうなづくと、美咲もその勇魚の様子に納得したように大きく息をついた。
「これ以上ここでうだうだ話しててもしょうがないから、部屋に戻った方がいいわね。ただし明日もいろいろ予定があるから、消灯時間はきちんと守るのよ」
 美咲にそのように言われて、ようやく勇魚もほっとしたような表情になった。美咲は勇魚にそっと寄り添いながら、勇魚を部屋の戸口まで送り出してやった。
 勇魚が部屋を出ると、ドアの前では晃子と美鶴が心配そうな表情で出迎えた。その二人と一緒に部屋に戻る勇魚の後姿を、美咲がしばらく廊下に立ったままじっと眺めていると、その背後から声がした。
「さっきの子が例の瀬波さんね。なかなかかわいい子じゃない」
 声の主はC組のクラス担任で、明桜学園で美咲の同級生だった山代紗智だった。
「さっちんもあの子のことは気になってるの」
「その言い方よしてよ。生徒までまねしてるじゃない」
 そこで紗智は一瞬いやそうな顔をしたが、しばらくして少し首をかしげながら言った。
「まあたしかに、私だってインターセックスとかの話は聞いたことがあるけど、こういうケースははじめて聞いたわ」
「あんた、あまり興味本位であの子に近寄ろうとするのはやめてよね」
でも美咲、あなたはそうやってあの子の理解者になろうとしてるけど、ほんとにあの子のことに関して責任取れるの? あんたって昔からいつもそうだったわね。まだ学校行ってたころ、校内に迷い込んだノラ猫をこっそり飼って牧園先生に怒られたりして」
「そんな昔の話しないでよ。それに牧園先生はなんだかんだ言いながら、あの猫家で引き取って飼ってくれたじゃない」
 美咲は困ったような表情を浮かべた。
「悪いなんて言ってないでしょ。そこが美咲のいいところなんだから。美咲っていつも明るくてぽよぽよしてて純真で、だから学生のころからまわりにいつも友達がいてにぎやかだった。私がこうして先生になったって、生徒たちはみんな美咲の方に寄ってくるし。そんなとこ見てると、私ってこの仕事向いてるのかなとか思っちゃうもの」
「そんなことないよ。さっちんこそクールでかっこいいとか言われて、生徒からお姉さんのように慕われてるじゃん。それに私は、さっちんは頭いいから絶対女医さんか学者になると思ってたんだけどな。それが製薬会社の研究員として就職したと思ったら、1年半でやめてうちの学校に転職しちゃうんだもの」
「どうだっていいでしょ。私だって大学院行きたかったけど家の事情だってあったからね。それにあの会社は仕事だってきついし、上司は女性なんて職場の花としか思ってないような、頭の古いセクハラオヤジばかりだし。ちょっと来客とかあったら、お茶出して相手とかさせられるのは私ばかりで、あげくの果てには『女なのにお茶の一つも満足に入れられないのか』とか言われるんだもの」
「だったらさっちんがおいしいお茶を入れられるように頑張ればいいじゃない。どんな仕事だっていやいややってたらつまんなくなるだけよ。石田三成だって小姓だったころに豊臣秀吉にうまいお茶を立てて、そこから出世したんでしょ? お茶くみさえ出来ないような人が、もっと大きな仕事を任せられるはずがないじゃない」
 美咲に言われて、紗智はむっとした表情で言った。
「それにあの会社の男の社員って、『結婚するつもりはないのか』とか、『せめてもっと女らしい服着たらかわいいのに』とか、そういうことばっかり言うし」
「そんなの気にしなきゃいいじゃん。あんたがいちいちそういうこと気にして会社辞めたのは、やはり自分でもコンプレックスがあるからでしょ。それに私も、さっちんってもうちょっとかわいい服着たって似合うと思うけどな」
 美咲の無邪気そうな様子に、紗智は深いため息をついた。
「…あんたには負けたわ。私の代わりにあんたがあの会社に就職してりゃよかったのに。でもあの瀬波さんも…学校行ってるうちはまだいいかもしれないけど、これから社会に出て女としての壁に直面したらどうなるか…心配だわ」
「さっちんの心配する気持ちもわかるわ。あの子もさっき少し、自分はこの学校に何で入ったのかわかんないとか言ってたし。…でもこればかりは本人でなんとかするしかないわね。それに、なんとなくだけど、あの子なら大丈夫だろうって、そんな気がするの。もしそうじゃなかったら、あの子は今この学校にいないわね」
 そう言いながら美咲は、部屋の中に灯るライトが、暗いガラス窓に鏡のように映し出されるのをじっと眺めていた。しかしそこで部屋のドアが開いて、牧園久恵が入ってきた。
「吉野先生に山代先生、おしゃべりするのはいいけど、明日も予定があるからいいかげんにした方がいいわよ。そろそろ消灯時間だから、見回りに行きなさい」
 そこで美咲と紗智も、少々ばつが悪そうな顔をして部屋を後にした。

 勇魚は晃子や美鶴と一緒に部屋に戻る途中で、美鶴にきいてみた。
「野沢さん、何でさっき天童さんにあんなこと言ったの」
「『家の事情で男として育てられた』って、少なくともウソはついてないでしょ」
 美鶴の悪びれない様子に、勇魚は複雑な表情をすると、ためらい気味に口を開いた。
「あの先生が来る前、オレは天童さんになら洗いざらい全部打ち明けてもいいと思っていた。これはオレの直感だけど…天童さんならオレの言うこと信じてくれる、それでオレのことも変な目で見たりせずに受け入れてくれると思ったんだ」
「よかったじゃん、あんたと少しは気が合いそうな人がいて」
 晃子が軽く笑顔を浮かべて言うと、勇魚はいささか困ったような表情をした。
「気が合うとか何とか、そういうわけでもないけどね」
 生徒たちの寝室のドアの前に来ても、勇魚はその中に入るのをためらっていた。先ほど琴絵と話したことが噂になって、皆に広がっているかもしれないと考えたからだった。晃子がそのような勇魚の背をそっと押して部屋の中に入ると、袋田恭子が快活な声で勇魚を出迎えた。
「勇魚も晃子もどこ行ってたのよ。せっかくみんなでゲームやって盛り上がってたのに」
 そして勇魚と晃子もゲームの中に加わった。勇魚が恭子たちと少し離れた窓際の椅子に腰を下ろしていた琴絵をちらりと見ると、琴絵もにこりとした表情で勇魚を見返した。勇魚はうなづいて琴絵を見返すと、思い切って声をかけてみた。
「天童さんもゲームすればいいのに」
 琴絵もためらいがちに席を立つと、ゲームに加わった。
 そうするうちに、夜も更けていつしか消灯時間になっていた。勇魚は布団にもぐりこんでからも、女の子たちの間で寝られるのかとはじめは緊張したが、そのうちに眠りに落ちていった。

 翌朝勇魚が目を覚ますと、周囲の少女たちはまだ眠りこけたままだった。しかし琴絵の寝ていた布団だけはもぬけの殻になっていたので、勇魚は琴絵はどうしたんだろうと思いながら部屋を出た。
 勇魚が玄関から外に出ると、森の木の芽の香りを含んでしっとりとした高原の空気は、ひんやりとして肌寒ささえ感じさせた。勇魚が目を凝らしてみると、琴絵は藤棚の下にあるベンチにたたずんでいた。琴絵も勇魚の姿に気がつくと、軽く手を振った。
「おはよう、瀬波さん。なんか眠そうにしてるけど、よく寝られなかったの?」
「天童さんこそそこで何してるの?」
「ちょっと散歩してただけよ。ここの朝の空気は気持ちいいからね」
 そして琴絵は、花壇一面に植えられたポピーやパンジーの葉や花びらに、朝露がきらきらと輝いているのに目を向けた。勇魚がそのような琴絵の優しげなまなざしを眺めていると、昨日はどこか内向的で、クラスの中で孤立しているようにも見えた琴絵の顔も、澄み渡った朝の木漏れ日を浴びて明るく輝いているように見えた。勇魚は同時に、琴絵は明桜の少女たちの中ではどちらかというと目立たない感じがするけど、やはり内面は繊細で優しい人なのだと感じ始めていた。そこで勇魚は、思い切って琴絵に自分のことを打ち明けようと思って、口を開いた。
「あの、実は…」
 そのとき森の奥から野鳥の鳴き声が聞こえてきた。琴絵は聞き耳を立てて、その鳥の名を言い当てるとその特性について説明してみせた。勇魚はここでまた、自分のことを打ち明けるタイミングを逃してしまったと感じた。
「天童さんって何でも知ってるんだね」
「うちのお父さんは、私が小さい頃からよく私を連れて山にバードウォッチングに行ってたからね。そんなときには、私はここに生えてるような花を押し花にしてたのよ」
 しかしそこで、玄関の方から晃子の声がした。
「勇魚、朝ごはんの前に布団片づけなきゃ」
 勇魚が晃子に急かされて部屋に戻ると、鈴音が勇魚と琴絵の前に出てきた。
「瀬波さん、いったいどこ行ってたのよ」
 そこで琴絵がさっそく答えた。
「私が朝早く起きて散歩してたら、瀬波さんが出てきただけよ」
 琴絵に言われて、鈴音も納得したようだった。
「天童さんがそう言うのなら、大丈夫だと思うけど。これから洗面所は混むから、早く準備した方がいいわよ」
 勇魚は鈴音の態度に対して、内心でむっとしながら話を聞いていた。
 朝食が終ると、皆で近くのハイキングコースを散策した。春の訪れを迎えて、山の木々には萌黄色の新芽が萌え始め、遊歩道沿いにはタンポポやイヌノフグリなどの花が咲き誇っていた。少しぼんやりと霞がかかった春の空には、うららかな陽光が一面に満ち溢れていた。遊歩道のそばで八重桜が咲き誇っているのを目にすると、少女たちは歓声をあげた。
 勇魚もそのような少女たちの一群と連れだって遊歩道を歩くうちに、自分のまわりにいる少女たちとも少しづつ話ができるようになっていった。同じクラスの生徒の中でも、っ鈴音のまわりを取り囲んでいる一群は、相変わらず勇魚に対して冷ややかな視線を投げかけていたが、勇魚は彼女たちに混じって周囲の景色を眺めているうちに、ようやく心の中に積もったわだかまりが多少なりともほぐされたような気がした。
 やがて一行がさらさらと音をたてて流れる小川のほとりに着くと、恭子はさっそく歓声をあげた。
「この川の水、澄んでてすごくきれい」
 澄み切った水面には、春の光が反射してキラキラと輝いていた。さっそく恭子をはじめとする数人の少女たちは素足になって、小川の流れに足を浸した。勇魚も遠慮がちに川に入ってみると、恭子は素足で水をはねながらその場ではしゃいでみせた。
 そしてみんなで山の頂上の見晴し台に着くと、そこでしばらく眺望を楽しんだり遊んだりた。午後になって宿舎に戻り帰りのバスに乗り込むころには、高等部から入学した少女たちも多少は場になじむことができるようになっていた。
 やがてバスが高速道路を下りて市街地に入り、学校に着くのも間近になったころ、勇魚の隣の座席に腰かけていた晃子が、ため息まじりにぼそりと口を開いた。
「天童さんも玉造さんもそうだけど、中等部から明桜にいる子って、お嬢様っぽいだけじゃなくて、みんな大人っぽくてしっかりしてるよね。やはり男女共学だと、意識しないでも男の子を頼ったり、男の子にかわいく見られなきゃ損だと思ったりしちゃうのかな…」
 そこで勇魚は皮肉交じりに答えた。
「晃子がそんな風に、男に対してかわい子ぶるところなんか見たことないけど」
 勇魚がいたずらっぽい口調で冷やかすと、晃子はむっとした表情をした。
「あんたこそ以前は、女の子から頼りにされるようなやつだったわけ」
 そこで勇魚は言葉を返した。
「『かわいい』って、なよなよしていて男に媚び売るようなことかなあ。そういう見方するやつこそ、一番女をバカにしてるんじゃないか」
 晃子は黙ったまま、窓の外をじっと見つめていた。

 バスが学校に着いて一同が解散すると、須藤成美が勇魚に声をかけてきた。
「名簿見て気がついたけど、瀬波さんってあたしと家近くじゃん。駅だって隣だし。これからちょっと家に寄ってもいいかな?」
 勇魚が返事をすると、成美は笑顔を浮かべた。勇魚は成美の積極的な様子にいささか気後れを感じていた。
 勇魚が電車を降りて自宅のマンションに向かうと、成美も後からついて行った。そしてマンションに着くと、成美は声をあげた。
「ずいぶんきれいなマンションじゃん」
「まだ引越してきたばかりで、家の中片付いてないけどね」
 ちょうどマンションの玄関まで来たとき、二人は学校から帰ってきた湯川昇と鉢合せになった。
「この子は瀬波さんの学校の友達?」
 昇が笑顔を浮かべてたずねると、勇魚はためらいがちに返事をした。三人でエレベーターに乗り、昇が自室に入るのを見送ると、勇魚も成美を自分の部屋に通した。部屋の中では、ちょうど綾乃が大学から戻ってきたところだった。
「あら。さっそく友達を家に連れてくるなんて」
 綾乃が居間で成美にお茶とお菓子を出している間に、勇魚は自分の部屋に戻ると、長袖のTシャツとパンツに着替えて戻ってきた。
「瀬波さんって私服はそういうボーイッシュなものが多いの?」
「悪い? ヒラヒラした服ってどうも苦手なんだもの」
「似合ってるからいいけど」
「私はこの子には、もう少しおしゃれにも気を使うように言ってるんだけどね」
 綾乃が横から口をはさむと、勇魚はいやそうな表情をした。
「でも瀬波さんも隣の部屋の男の子の前では、けっこう恥ずかしそうにしてたじゃん。少し気があるんじゃないの?」
「そんなんじゃないってば」
 勇魚は思わず声を荒げていた。
「でもお姉ちゃんがいるっていいよね。あたしんちはお兄ちゃんと弟、妹がいて、ちっちゃいころはお兄ちゃんと一緒に野球やったりもしたけど。うちのお兄ちゃんは今高三で、受験も近いというのに野球ばかりやってるけどね。お兄ちゃんの学校なんか甲子園に行けそうにないのに」
「四人きょうだいなんて、家がにぎやかでいいわね」
 綾乃に言われると、成美は軽く笑顔を浮かべた。
「よくそう言われるけど、弟も妹もやんちゃで困っちゃう」
 勇魚は成美の話を聞きながら、成美のきっぷのよさや面倒見のよさはこのような家庭環境で育ったせいかなと感じていた。そこで成美は、席から立ち上がると言った。
「もしよかったら、瀬波さんの部屋見てもいい?」
 勇魚は気が乗らないながらも、成美を勇魚の部屋に通した。そこで成美は、きょろきょろと周囲を見回した。
「ずいぶんシンプルな感じのする部屋だね」
「どうだっていいでしょ」
「瀬波さんって中学ではクラブ何入ってたの?」
「水泳部だけど」
「瀬波さんってスタイルいいもんね。今度水泳部に見学に行ってみたら? 石川さんに中学のときの写真見せてもらったけど、瀬波さんの写真はないの?」
 勇魚が表情を曇らせると、成美は首を振って言った。
「いやならいいけど。でも瀬波さんの中学の制服ってセーラー服だったよね。もし今も持ってるなら貸してくれない?」
 そのときの成美は笑顔を浮かべていた。勇魚がしぶしぶクローゼットから、晃子からゆずってもらったセーラー服を取り出すと、成美は興味深げに襟元のラインやスカーフ留めを眺めていた。
「あたし前からいっぺんセーラー服着てみたかったんだ。明桜の制服って、中等部もブレザーじゃん。ここで着てもいいかな?」
 そう言って成美は、自分の着ているブレザーのボタンに手をかけ始めた。自分の目の前でも何ら気兼ねすることのない成美の様子に勇魚が戸惑う間もなく、成美はスカートをはきかえて、続いてブラウスを脱ぎ、セーラー服を頭からかぶって着ると左脇のファスナーを下ろした。成美は胸元でスカーフをどのようにして留めるか戸惑っていたので、勇魚も少し手伝った。
 成美は身なりを整えると、勇魚の目の前でポーズを取ってみせた。
「どう? 似合うかな」
 続いて成美は、勇魚に自分の携帯のカメラで写真を撮るように言った。勇魚は成美の写真を撮る間、姉御肌に見えた成美が、子どもっぽい表情を浮かべて嬉しそうにしているのに内心で呆れていた。しかし勇魚は、快活でさっぱりした性格の成美は、シックな感じのする濃紺のセーラー服も、自分に似合うように着こなしてしまう力があるように感じていた。
 そのまま成美は、今まで着ていた明桜の制服をきちんと畳んで自分のカバンにしまうと、居間に出た。綾乃が着替えて出てきた成美の姿をほめそやすと、成美はますますごきげんそうな表情になった。それからしばらくおしゃべりした後、窓の外に夕焼けが広がり出してから成美は腰を上げた。
「そろそろ家帰るわ。あたしんちはここから歩いて十五分くらいだし、あそこの高台の大きな公園にはあたしもよく行って、きょうだいで遊んだりするんだ」
 成美はセーラー服姿のまま、カバンを手に取るとマンションを出た。勇魚も気まずそうな表情をしながら成美の後ろをとぼとぼとついて歩いたが、成美は周囲の目などほとんど気にしていないようだった。
 成美は家に帰る途中、勇魚と一緒に高台の
公園に立ち寄った。成美は勇魚としばらく芝生の広場ではしゃいでみせたりした後、遊歩道を抜けて高台に登ると、暮れなずむ街を一望した。そこで勇魚は、思い切って成美にたずねてみた。
「須藤さん…なんでセーラー服着てみたりしたわけ」
「何べんも言ってるでしょ。あたしは前からいっぺんセーラー服着てみたかったって。そりゃあたしは明桜の制服だって好きだけど、そればっかりじゃつまんないじゃん。学校行ってる間はともかく、学校終ってから自分の着たい服着てどこが悪いわけ。それとも瀬波さんの行ってた中学は、生徒全員に変な恰好をさせているということかしら」
 そこまで言われると、勇魚も返す言葉がなかった。
──変な恰好…。もしオレが実はこのセーラー服で中学行ったことなんか一度もない、詰襟の学ランで中学行ってたなんて話聞いたら、須藤さんはどんな顔するだろうか。
 そこで成美は、勇魚の黙りこくった表情を眺めながら口を開いた。
「ねえ瀬波さん、明桜に入ってよかったと思ってる?」
 予想外の質問に、勇魚はどきりとした。
「…あたしも明桜はいい学校だと思ってるけど、なんていうか時々、すごい窮屈に思うことがあるんだ。…校則めちゃくちゃきついとか、そういうわけでもないのに。そりゃ玉造さんだって赤倉さんや天童さんだって、頭もすごくいいし美人だし、すごい子だとは思うよ。だけどなんていうか、お嬢様でプライドが高いとこあるし、それにほかの子だって学校に高そうな財布持ってきたり、休みの日に遊びに行ったときなんかは派手な服着たりしてさ。それに比べりゃあたしなんて家は平凡なサラリーマンだし、家に帰ればきょうだいげんかばかりしてるし。まわりからは『四人きょうだいで教育費かかるのに、よく明桜入れたね』なんて言われるけど、うちはこづかい安いんだもの。学校じゃバイトも禁止されてるし」
「そんなことないじゃん。須藤さんって学校の中じゃあんなに面倒見よくて、みんなから信頼されてるのに。そりゃ確かに須藤さんはほかの子たちとは違うかもしれないけど、だからこそ学校の中に自分の居場所があるんじゃない」
 その勇魚の言葉には、むしろ成美の方が戸惑っていた。
「何でかな…あたしが明桜の中等部に入って以来、学校の誰にもこんなこと話したことなかったのに」
「それってもしかして…オレがこの学校の雰囲気に合ってないってこと?」
「そんなこと言ってないでしょ。それにあたしも昨日から気になってたんだけど、瀬波さんって何で自分のこと『オレ』って言うの」
「どうだっていいじゃん。オレだって自分の好きなように話してるだけだよ」
「あたしが今こうやって瀬波さんと話してるのって、瀬波さんのそういうところのせいかもしれないね。ともかく心配することなんかないよ。明桜はいくらお嬢様学校とか言われてたって、あたしみたいなのだっているんだから」
 そのとき勇魚は、前の日の晩に美咲が言った言葉を思い出していた。
──何が普通かなんて人によってみんな違うかもしれないけど、あなたは焦らずにその普通を見つけていけばいいわ。
 そして勇魚は、成美の顔をしっかり見据えて言った。
「須藤さんとはこれからも仲良くできそうだよね。これからもよろしくね」
「当り前じゃない。じゃあ明日も学校でまた会おうね」
 そこで成美は、笑顔で手を振って勇魚と別れた。

 翌日は高校ではじめての授業ということで、勇魚も登校するときはいささか緊張気味だった。しかし勇魚が教室の自分の席につくと、成美が笑顔で元気よく勇魚にあいさつをした。「おはよ。昨日はこれどうもありがと。楽しかったよ。家族も最初は驚いてたけど、かわいいと言ってくれたし」
 そう言って成美は、セーラー服の入った袋を勇魚に手渡した。周囲の少女たちもまわりに寄ってくると、セーラー服に目を向けた。そこで成美が携帯の画像に映った自分のセーラー服姿を見せると、皆それに見入って口々に「かわいい」とか「成美ってセーラー服着ても似合ってるじゃん」と歓声をあげた。しかしその様子を、最も興味深げに眺めていたのはキャサリンだった。
「これがセーラー服ですか。私も日本のマンガでよく見てました。でもかわいいですね。英国ではこういう制服の学校はないですから」
「キャサリンも着てみる? けっこう似合うかもよ」
 キャサリンが照れくさそうに笑みを浮かべたところで、朝礼の五分前を知らせる予鈴が鳴った。
 ようやく一日の授業が終ると、勇魚のところに成美をはじめとする少女たちが何人か寄ってきた。
「瀬波さん、セーラー服貸してよ」
 その後ろでは、キャサリンが気恥ずかしそうな表情で控えていた。勇魚がしぶしぶセーラー服の入った紙袋を手渡すと、さっそくキャサリンが着方に戸惑いながらもセーラー服に着替えてみせた。
 そのとき晃子が、キャサリンを横目に勇魚を呼び止めた。
「なんでこんなことになってるのよ」
「知らないよ」
 しかしキャサリンが着替えを済ませると、勇魚はキャサリンのセーラー服姿に目を向けて、キャサリンのブロンドの髪やぱっちりした瞳、襟元からのぞく色白の素肌はセーラー服の濃紺の生地にもけっこう映えるじゃないかと感じていた。特にキャサリンのはにかみ気味の表情が、キャサリンのかわいらしさをいっそう引き立たせていた。
「でもキャサリンってセーラー服着ても、けっこういいじゃない」
 晃子もいつしか、キャサリンのセーラー服姿に暖かい目を向けていた。
「でもキャサリンには少々サイズが小さいかな。特に胸の辺り。そりゃ晃子のサイズだもんね」
 そこで晃子は、勇魚の手の甲をつねり上げた。勇魚が痛がりながらキャサリンに再び目を向けると、キャサリンを取り囲んで少女たちが歓声を上げるのを見て、やはり女の子の考えていることはよくわからない、自分はこの学校でうまくやっていけるのだろうかと、あらためてため息をついた。

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