トライアングル・プレイス

(注)この話は「やさしさに包まれたなら」の続篇です。

(前回のあらすじ)

 光夫(エタメロ主人公)を追って光夫の世界に来たリラ。ここでリラは高校に入学するが、シーフとして自由に生きてきたリラは学校生活になじめず、高校をやめようとする。しかしいろいろな人たちと接したことを通して、リラは学校の仲間たちにも心を開いていき、高校に戻ることを決意する。

(本篇オリジナルの登場人物)

宮下友美;リラの高校でのクラスメート。気さくな性格で、リラともすぐに仲良くなる。

御船晋也;リラのクラスメート。父親は大病院の院長で、成績は学年トップの秀才。性格はまじめで気は優しいが内気なところがある。ファンタジーものが好きで、異世界から来たリラに憧れている。

絵美子さん;リラの里親。夫と娘を事故で失った悲しい過去を持つが、気は優しいリラのよき理解者。


第一章・五月

 五月も終りになると、日の光はかなり強くなって少し外を歩くと汗ばむほどになる。今日は中間テストの最終日で、ホームルームが終った後も日はまだ高い。下校の準備をしたりクラブに向ったりする生徒たちの顔も、みなテストが終った解放感で自然とほころんでいた。

 ちょうどそのころ、御船晋也は天文部の部室で調べものをしていた。天文部は部員も少ない弱小クラブだったが、天体観測が趣味の晋也にとって、研究発表の場が与えられるこのクラブはうってつけの活動の場だった。そうこうしているときに、がらりと戸の開く音がした。

「おい御船、こんなとこで何やってるんだよ」

 声の主は晋也の友人の西野だった。おとなしい優等生タイプの晋也にどちらかというと遊び人タイプの西野、一見対照的に見える二人だったが、なぜか中学以来気が合った。

「しかしお前も物好きだよな。せっかくテストも終ったし、天気もいいからどっか遊びにでも行けばいいのに、一人でしこしこお勉強やってるんだから」

「いいだろ。夏休みには山に天体観測に行くから、その準備やってたとこなんだから」

「それよりいいものがあるぜ。ちょっと来いよ」

 そう言って西野は晋也の手をとると、強引に部室の外へと連れ出した。その先は校舎の非常階段の途中の踊り場だった。

「見ろよ、あのテニスコートを」

 踊り場からは校庭の隅にあるテニスコートが一望できる。そこではテニス部が練習の汗を流していた。

「で、それがどうしたんだよ」

「まだわかんないのかよ。あそこでリラがテニス部に混じって練習やってるぜ」

 「リラ」という名前を言われて晋也は赤面した。しかし見てみると、リラ・マイムがテニス部員に混じってコートに立っている。

 晋也はテニスのことには詳しくなかったが、その晋也の目にもリラのテニスの腕前は見事に見えた。テニス部員の放つサーブを、リラは見誤ることなくとらえて、鋭いスマッシュで打ち返していく。もともと盗賊上がりで鋭い反射神経と敏捷な身のこなしが取りえの彼女にとって、テニスはお手のものだ。そして彼女がセットをとるたびに周囲から歓声が上がる。

 晋也も西野も、いつしかリラのきびきびとした動きに目を奪われていた。

「リラさんってテニス部だったっけ」

「リラはスポーツ得意だからな。あちこちの運動部が目をつけてるみたいだぜ」

「そうだもんね…」

 晋也はそうやって話をしながらも、少し前にリラが学校の不良グループを一人で始末したことを思い出していた。

「しかしお前も意外とやるよな。一見トロそうに見えてリラと仲良くなるんだから。テスト前なんかしょっちゅう二人で自転車乗って帰ってたし」

「だから違うって。リラさんが勉強わかんないから教えてくれと言うから…」

「そのままお家で勉強か? なんかあやしいなあ。でもリラもあの一件まではなんか変に肩ひじはったところがあってつきあいづらい感じがしたけど、ここのところみんなとも自然につきあえるようになってきたよな。これもリラがお前とつきあい出してからだよ」

「でもリラのテニスウェア姿もいいよな。うーんと、スコートの下は何色かな」

「よせよ西野」

 二人がそうやっているうちに、リラがふと非常階段に目を向けた。二人が逃げる間もなくリラが晋也めがけてラケットで強烈なサーブを放つと、ボールは見事に晋也の頭に命中した。

「あんたら、そこでいったい何やってるのよ」

 晋也はボールが命中した頭をかかえている。

「ご、ごめんなさい、リラさん、決して変なことするつもりじゃ…」

「今の状況でよくそんなこと言えるわね」

 まわりにテニス部の部員たちが集まってくると、部長が晋也と西野に言った。

「今日の練習が終ったら、コートかけはあんたらにやってもらうわ。みんな帰っていいからね」

   

 初夏の陽も傾きかけたころ、練習が終って部員たちは帰宅の準備のためにクラブハウスに戻った。そこでリラの親友の宮下友美がさっそくリラに声をかけてきた。

「リラ、始めてから数カ月でこれだけやれるなんてすごいよ。練習すればきっとレギュラーにだってなれるよ」

「今日は誘ってくれてありがと。ここんとこテストでストレスたまってたから、ちょうどいい気分転換になったわ。でも入部のことはもう少し考えさせてくれない? 陸上部やバレー部、バスケ部からもお誘いが来てるし。柔道部が両手をついて勧誘にきたのには参ったけど」

「そりゃあれだけ派手に暴れりゃ…」

 リラは先日、男子生徒のグループを相手に大立ち回りをやったことを思い出して顔を赤らめた。

「…それにあたし、勉強だって大変だし。あーあ、中間テストも全然ダメだったなあ」

「テスト前にはあれだけ晋也に教えてもらってのに」

「だからといってあいつ、今日はあんなことして」

 リラはぷりぷりしながら言った。

「でも晋也って、こないだまではほんとにまじめが服着て歩いてるようなやつで、あんなことしなかったのにねえ。やはりあんたとつきあい出してから、あいつ変ってきてるよ」

「そっか、あんたも晋也とは中等部から一緒だもんね…。でもはっきり言っとくけど、あたしとあいつとはつきあってるとかそういうのじゃないからね」

 リラはきっぱりと言った。

「リラにはちゃんと彼氏がいるもんね。でもせっかく晋也だってリラのこと気にかけてるみたいなのに」

 そうやって話ながらも二人は制服に着替えて、カバンを手にしてクラブハウスを後にした。すると晋也と西野の二人がローラーを持ってげんなりしている。二人は何度もやり直しをさせられたらしい。

「ほんとバカなんだから、あんたって」

「ごめんなさい、リラさん」

「そんなことくらいわかってるわよ。どうせ西野のバカに誘われてやったことなんでしょ」

 晋也とリラの二人を友美はにんまりしながら見ている。

「せっかくいいムードになってるし、さ、そういうわけであとは二人に任せて」

 そう言うと友美はそそくさと帰ってしまった。

「今日はすまなかったな、御船。でもあとは二人で仲良くやってくれ」

 西野も晋也とリラを残すと帰ってしまった。テニスコートにはリラと晋也の二人が気まずい空気を漂わせたままぽつりと残された。

「リラさん…テニスうまいんだね」

「あたしがこっちに来てから光夫に教えてもらったんだけどね。日曜日には光夫と一緒に公園でテニスをやったりもするけど、今じゃあたしの方がうまいくらいだわ」

「すごいね…リラさんって」

「こう見えてもあたしは元シーフだからね。まあ勉強の方はからっきしだけど。試験だってあんたや光夫がいたからなんとかなったようなものだわ」

「リラさんって勉強できないわけじゃないんだ。これまで学校に行って勉強した経験がなかったから、そういうのに慣れていないだけで…。だからあまり気にしない方がいいよ」

「こっちこそごめんね。あんただって医学部に行くためには勉強しなきゃいけないのに…でもあんたもさっさと帰る準備しな」

 そして晋也が自転車に乗ってやって来ると、リラもその後ろに荷台に飛び乗った。

「駅まで送ってくれない?」

 はじめのころはリラと晋也が二人で自転車で帰ったりするとクラスの中でもさんざん冷やかされたものだが、慣れると晋也もさほど気にならなくなっていた。

 二人の乗った自転車がゲームセンターの前を通りかかると、リラはちょっと声をかけた。

「ちょっと寄っていこうよ」

「ダメだよリラさん、こんなところで寄り道しちゃ…」

「いいじゃん、ゲーセンなんてみんな行ってるって。あたしもしょちゅう光夫と行ってるんだ」

 そう言ってリラと晋也はゲームセンターの格闘ゲームの前に坐った。しかし何回かやってもいずれもリラの完勝である。

「あの…ぼくは今までゲーセンは不良のたまり場になってるから行くなと言われてたから」

「そんなのいつの話よ」

 そして二人はよそよそしい雰囲気を残したまま駅前で別れた。

   

 マンションに帰って私服に着替えてからも、晋也のことを思い出すとリラは煮え切らない気持ちになった。

──あいつ、こそこそのぞくようなまねなんかしないではっきり言えばいいのに。…まあ確かにあいつはまじめで素直だし、優しくていいやつだけど。あたしが元いた世界や冒険の話をすると、目をキラキラさせて聞き入ってるし。

 そこまで考えたとき、リラは光夫のことを思い出してはっとした。

──何やってんだろ、あたし。あたしは光夫に会いたくて、わざわざこっちの世界に来たはずだったのに。…でもあいつだってそのことくらいは十分知ってるはずなのに。

 そしてリラは机の上の写真立てを見た。そこには異世界での冒険の途中、光夫とリラ、ウェンディ、ティナ、そしてフィリーと一緒になってとった写真が飾られていた。

──ウェンディ、ティナ…どうすればいいと思う? もしかしたらあんたたちだってそう思ったことがあるのかなあ…。

第二章・六月

 六月も半ばになると、梅雨の日が続いて木の葉の色も深みを増していく中、夏を控えて街の雰囲気もなんとなく浮かれたものになってくる。そんな雨模様のある日、リラと友美は下校途中に傘の下でふとデパートのショーウィンドーに目を止めた。ショーウィンドーの中には流行の水着を着たマネキンが並んでいる。

「もうこんな季節かあ…。リラ、夏休みになったらいっぺん海にでも行かない?」 

 しかしリラは水着姿のマネキンを見て浮かない顔をしている。

「ちょっと見てみようよ」 

 友美はリラを誘って水着売り場に行くと、いろいろな柄やタイプの水着を手にとって見せた。

「ねえリラ、この水着かわいいと思わない? それともこのちょっと大胆で大人っぽいのがいいかな? 光夫さんと一緒に海かプールに行ってこの水着着たら、きっとドキッとするよ」

 しかし友美が一人ではしゃいでるそばから、リラは何か浮かない表情を浮かべている。

「どうしたの? 今日のリラ、ちょっと元気ないけど」

「実を言うとあたし…泳げないんだ」

 リラが小声でぼそりと答えると、友美は驚きの表情を浮かべた。

「えっ、あのスポーツ万能のリラが泳げないなんて」

 友美はあとちょっとのところで笑いそうになるのを奥歯を噛んでなんとかおさえた。

「しょうがないでしょ。あたしのいたところはプールなんかなかったし、学校で泳ぎ方教わったりもしなかったんだから」

「あっちにいたころは泳ぐようなことなかったの?」

「分捕り品持ったまま泳ぐことなんかできると思う? そうならないようにするのがシーフというものよ」

 しかし友美はにんまりとしながら言った。

「じゃあ今度の日曜、温水プールに行って夏休みのためにリラの水泳の特訓をすることに決定」

「あんたねえ…」

 リラは友美の屈託のない表情になかばあきれていた。

   

 日曜日、リラは市営の体育館の前で友美と待ち合わせた。リラが更衣室で水着に着替えてプールサイドに足を踏み入れると、水分を含んでどんよりとしたプールの空気がリラの心の中にまで重くのしかかってくるような気がした。ゆらゆらと揺れるプールの水面を見ると、リラはそこから逃げ出したくなった。

 なんとかプールに入っても、顔に水をつけるとすぐに息が続かなくなって水面から顔を上げてしまう。そして水をかこうとしてもバシャバシャと水しぶきをあげるばかりで、すぐにその場に沈んでしまった。友美はいつも勝ち気で、日ごろ体育の時間には華麗な身のこなしを見せるリラが、こんなにみっともない姿を見せるなんてと思うと意外な気がした。友美はやりきれなさを感じて、リラに少しプールサイドで休もうと言った。

 リラがなんとかプールサイドに上ると、彼女に背後から声をかける者がいた。声のした方を振り向いて、リラは腰を抜かさんばかりに驚いた。その姿は、スイミングキャップをかぶってメガネを外していたからすぐには気づかなかったが、御船晋也その人だった。

──やばい…よりによってこいつにいちばんいやなところを見られるなんて。

 リラは慌てて作り笑いを浮かべた。

「あんた…いったいいつからここにいたのよ」

「ぼくもちょくちょくこのプールで泳いでるんだ。そしたらリラさんと宮下さんがいるから声をかけようかと思ってちょっと見てたんだけど…リラさんってあれだけスポーツできるのに」

「悪かったね。どうせあたしはカナヅチですよだ。そもそもグズで運動オンチのあんたこそこんなとこで何やってるのよ」

「ぼくはちっちゃいころスイミングスクールに通っていたこともあるから」

「そうだ、いっそ晋也に泳ぎ教えてもらったら?」

 友美がそばから口をはさんだ。

「えっ、ぼくなんてただ泳げるだけで、人に教えられるとかそんなレベルじゃ…。光夫さんだっているのに」

「にぶいな、あんたって。リラだって好きな人の前でこんなとこ見せたくないというのがわかんないの」

「でもこれじゃあバタ足の基本からやったほうがいいんじゃ…」

 友美と晋也が話すのを聞くと、リラはむかついて晋也に強い口調で言った。

「あんたって最低なやつだわ。ほんとデリカシーってものがないんだから。…もう帰る」

 そう言い残すなりリラは友美と晋也を残したままプールを後にした。

    

 翌日学校に来ても、リラは友美とは何とか仲直りしたものの、晋也は気まずそうな表情を浮かべたまま、リラと視線をあわせないようにしていた。それでも昼休みの時間、晋也はなんとかリラのところに来てもじもじしながら言った。

「ごめんなさい、リラさん。昨日のことは…」

 しかしリラはきっぱりと言った。

「あんたって何でもすぐそうやってごめんとかいうんだから。あんただって悪気があったんじゃないことくらいわかってるわよ。でも…なんであんたはそうやってあたしに構おうとするの? あたしが別の世界の人間だから? 元シーフだったから? そんな気持ちであたしとつきあわれたっていい迷惑だわ」

 晋也は黙ってしまった。

「あたしはあんたのそういうとこが嫌い。人の気持ちなんか全然考えてないんだから。そしてなんかあるとすぐ自分のせいにしてかかえこんでうじうじして。もうちょっとしゃきっとできないの」

 リラはそのまま晋也の前から立ち去った。内心ではリラも少し言い過ぎたかもしれないと思っていたが、ここまで意地をはった以上もう後に戻ることはできなかった。

    

 数日間リラと晋也の間には気まずい空気が流れていた。晋也がリラに目を向けても、リラは黙ったままぷいと横を向いてしまった。

 そんなある日、西野がリラを呼び止めた。

「リラ…、おまえ御船とケンカしたみたいだな」

「あんたには関係ないでしょ」

 リラはつっけんどんに答えた。

「リラ…わかってやれよ。あいつは確かにグズでトロくて、中等部のときなんかはいじめられたりもしてたんだ。でもお前と一緒になってから、なんかあいつも元気になったなと思ってたのに」

「わかってる…わかってるよ。確かにあいつは優しくていいやつだし、あたしのことを考えていることくらい。でも…あたしにはもう好きな人がいるから…これ以上自分をごまかしてあいつとつきあったって、あいつが傷つくだけだよ」

「それは違うんじゃないか。人間傷つくことをいやがってちゃ何もできやしないぜ。せっかく引っ込み思案で友達もあまりいなかったし、まして彼女なんか全然いなかった御船が、こうやってお前と仲良くなってるのに」

「違うんだってば。あたしとあいつの関係は、彼氏と彼女だとかつきあってるとかそんなんじゃなくて…」

「ともかくここでぐだぐだ言ってないで御船にちゃんと謝れよ。変な意地はってないで」

 西野はリラを晋也のところに連れていった。しかし晋也もいざリラと向き合うと、どうすればいいのかわからず戸惑っている。リラの側も何と言えばいいのかわからなかった。西野はこのような二人の様子をじれったそうに見ている。

 このままではらちがあかないと思って、リラが思いきって口を開いた。

「あ、あの…ごめん、晋也。あたしの方も変に意地はっちゃってさ」

 そうは言っても、リラの顔は作り笑いでひきつっている。西野は頭をかかえてやれやれといった表情を浮かべた。

「いいよ…そんなに変に気にしなくても」

「あのさ…そろそろ期末テストだよね。勉強わかんないところがかなりあるからそのときは教えてくれない?」

「うん…もちろんだよ」

「そしたら一日くらいあんたにつきあってあげるから」

「えっ、ほんとにいいの」

「またー、あんたってほんとにぶいんだから。こういうときくらいうれしいと言えばいいのに。と・こ・ろ・で」

 リラは晋也の耳に顔を近づけると、小声で舌打ちした。

「もしよかったらでいいけど、泳ぎ方教えてくれない?」

 晋也は顔を真っ赤にした。

「い、いや、とてもぼくなんか、人に教えられるほどじゃないから…」

「バカ、声が大きいでしょ。もしほかの人にばらしたら、今度こそ絶交だからね」

 リラが晋也の前から離れると、西野は晋也の方を向いてガッツポーズをした。

「やるじゃんかお前。せっかくのチャンスだからきちんとやれよ。ところで最後リラはなんて言ったんだ?」

「何でもないってば」

 晋也は気恥ずかしそうに言った。

「あやしいなあ。『ばらしたら絶交』なんて、もしかしてアレか?」

「全然そんなんじゃないってば」

第三章・七月

 期末テストが終ると、夏休みを目前に控えて教室の雰囲気もますます浮かれたものになってくる。そんなある日、リラが天文部の部室の前を通りかかるとそこで晋也が腰を下ろしたまま何かに向き合っていた。

「何やってんの、あんた」

 見てみると晋也は、金属の球にニードルでぼつりぽつりと穴をあけている。

「文化祭のプラネタリウムをつくってるんだ。部屋を真っ暗にして、この中から電球で光を照らすと星空になるんだよ」

「そのために夏休みもしょっちゅう学校出てくるわけ? あんたも大変よね」

「うん…あと夏休みはこれと予備校の夏季講習でつぶれるとおもうよ」

「せっかくの夏休みだっていうのに…。でもあたしも期末がさっぱりダメで、強制補習決定だわ。数学と古文では赤点とっちゃうし」 

 リラはため息をついた。

「でも晋也、こんなことばかりしてたらいいかげんくさくさしない? いっぺん遊びに行こうよ」

 そう言われて晋也はぎくりとした。

「前にも言ったでしょ? 勉強見てくれたら一日くらいつきあってあげるって。でもあんまりへんなとこはだめよ」

 晋也はしばらく考えた末、もじもじしながら言った。

「あの…うちにサニーランドの招待券があるんだ。もしそれでよければ」

 リラはその場につっこけそうになった。

「サニーランドって、あの遊園地ね。…あんたにすればまあ気がきいてるじゃん。でもサニーランドにはプールもあるけど」

「いや…別にプールに行こうって意味じゃ…」

「そんなこと言ってないでしょ。ほんとあんたって鈍感なんだから。あたしも水着持って来るから、あんたも海水パンツ持って来るのよ」

 晋也は「水着」と聞いて一瞬固まってしまった。

「たくもう、何鼻の下のばしてるのよ」

   

 日曜日が来た。もう梅雨明けも間近で、雲の切れ目からさす日ざしはすでに夏そのものである。

 リラは鏡の前に立って、どんな服を着ていくべきかあれこれ考えていた。リラははじめロゴの入ったTシャツにカーゴタイプのハーフパンツを合わせてみた。リラは私服でいるときにはだいたいこのような恰好でいることが多いが、せっかく晋也が勇気を出して誘ってくれているのにこれでは少しラフすぎるかなと思った。そこでクローゼットをいろいろ漁っていると、青いデニムのミニスカートがふと目に止まった。

──これ、こないだ友美に無理に勧められたやつだ…

 リラはしばらく考えた末にそのスカートを手にとって、ハーフパンツとはきかえてみた。腰まで通してみると、膝丈よりだいぶ短い。リラは少し脚を動かしてスカートの裾を直した。ついでにトップも多少フェミニンな感じのする半袖のカットソーととりかえてみた。

 身支度を整えていると、絵美子さんが声をかけた。

「ちょっとリラ、光夫くんと会うときよりも服選ぶとき迷ってなかった? それにそのスカート、ちょっと短すぎるんじゃないの?」

「しょうがないでしょ。いちおう男の子とデートするんだから。光夫のときはだいたいどんな服着ればいいかわかってるし、あいつはあたしが多少ラフなかっこしたところで文句言うようなやつじゃないけど…でもどうしたの? 今日の絵美子さん、なんかごきげんそうだけど」

「いや、なんかリラも変ったなって…。ついこの間まではいつも男の子みたいな服ばかり着て、スカートなんかはこうともしなかったのに」

 リラは頬を膨らませた。

「あたしはあたしなりの作戦というものがあるの。それにいいじゃん。今日なんかはジーンズだと暑いんだもの」

「素直じゃないんだから」

 絵美子さんはそのまま玄関口で、頭に野球帽をかぶりスニーカーをはいて出かけるリラを見送った。

     

 晋也と駅で待ち合わせて、サニーランドに向う電車の途中でも二人はなにか間のとり方に困っていた。そこはかとない世間話やら、学校のうわさ話をしようとはするのだが、どうも白々しいムードがぬぐいきれない。

 サニーランドに着くと、プールはすでに人でごった返している。晋也が更衣室で一足先に着替えを済ませて待っていると、リラがハイビスカスの模様の入ったビキニの水着で出てきたのにあっけにとられた。

「リラさん…。いくらなんでもそれはまずいんじゃ」

「あんたみたいなお子ちゃまにはちょっと刺激が強すぎたかしら。 選ぶときにはけっこう悩んだんだからね。光夫にだってこの恰好は見せてないんだから。…でもあんただってメガネ外した方がけっこう男前なのに」

「リラさんこそほっといてよ」

 晋也はぼそりと答えた。

        

 プールに入ると、リラはぎこちない身ぶりながらなんとかプールの半分くらいまでは泳げるようにはなっていた。

「けっこううまくなってるじゃん」

「こう見えても、こっそり一人で練習してたんだからね」

「リラさんってがんばり屋なんだね。勉強もその調子でやればいいんだけど」

「もう…ここ来てまで勉強の話なんかしないでよ」

 そう言うとリラは、晋也を水の中へとひっぱりこんだ。不意をつかれた晋也が水の上に顔を出して息をつくと、リラはいつの間にか笑顔を浮かべていた。

「晋也ったら驚いちゃって、なんかおかし」

 そうやってしばらく二人でプールではしゃいでいるうちに、リラの表情もいつしか屈託のない自然なものになっていた。

 プールサイドに上がって二人で並んで一息つくころには、リラはすっかり元気になっていてむしろ晋也の方がグロッキー気味だった。

「なんか楽しかった。泳げないからといってそんなに気にすることないのに、あたしの方がバカだったわ」

 しかし晋也はリラの方をちらちら見るばかりである。

「あたしがビキニ着てるのがそんなに珍しい?」

「いや、リラさんってこうして見ると足も長くてスマートだなって…」

「そんなお世辞が吐けるようになったということは、あんたもちょっとは成長したってことじゃん」

「そんな、お世辞だなんて…」

「気にしなくてもいいよ。あたしだって今日この水着着るまでは不安だったんだから。でもこれでもうちょっと胸があればいいんだけどね」

 晋也は顔を赤らめた。リラも言った後で何か気恥ずかしさを感じた。

──やだ…。なんでこんなこと言ってんだろ。光夫の前ではこんなこと言ったりしないのに。

     

 プールを後にして着替えると、リラはさっそく晋也を引っぱってジェットコースターに乗った。しかしリラがスリルとスピードに酔いしれている一方で、晋也は悲鳴をあげてこわがっている。

 ジェットコースターを降りたときには、晋也はヘロヘロになっていた。

「リラさん…プールであれだけはしゃいだのに」

「これくらいでへばるなんて、あんたこそだらしないよ。あんなにキャーキャー声出してこわがって、こっちの方がはずかしいじゃない」

 しかし晋也の表情を見ると、リラもさすがに少し気の毒になった。

「なんか悪かったね。あたしの方こそはしゃぎすぎちゃって。じゃああれに乗ろうか?」

 リラは観覧車の方を指差した。

 二人で狭いゴンドラに腰を下ろして向い合うと、リラは野球帽を膝の上に置いた。晋也はリラのデニムのミニスカートの裾からのぞくひざ小僧にどきりとして、目のやり場に困ってしまった。

「何そわそわしてるのよ、あんた」

「いや…リラさんがこうやって短いスカートとかはいてるから…。リラさんって学校の外で会うときなんかは、いつもジーパンばかりなのに」

 リラはあわてて膝を閉じあわせた。

「そんなに珍しい? あたしの脚なんて学校でいつも見てるくせに。そりゃあたし、こっちの世界に来て高校入るまでスカートなんてはいたことなかったけど、それだって動きやすい服の方が何かと都合がいいからなの」

「じゃあ何で今日はわざわざ」

「あんたってほんとにぶいね。せっかくあんたのためにサービスしたのに」

 そうしている間に、観覧車のゴンドラは高くまで上がっていた。リラもゴンドラの外の景色に見入っている。そのリラの表情を見て晋也は何かしらほっとしたものを感じた。

「リラさん…今日は楽しい?」

「うん。でもあんたもはじめに会ったころはただのガリ勉かと思ってたけど、最近になってすこしは男らしくなったじゃない。こうやって女の子と一緒にデートできるようになったんだから」

「そ…そんな…ぼくなんか光夫さんと比べたら全然…。今日だって光夫さんがいるのに、こうやってぼくと一緒になって…」

「そうやってすぐウジウジするの、よしたほうがいいよ。あんたは光夫にはなれないかもしれないけど、それでいいじゃん。あんたにはいろんなとこで助けてもらったし」

「いや、ぼくこそあのときリラさんに助けてもらって…」

「困った人を助けるのは当然でしょ。恩に着ることなんかないって」

 そこでリラは一呼吸おいて言った。

「あのね、あたしと光夫が別の世界を冒険していたころ、一緒に旅をしてた仲間が二人いたってこと、前に言ったよね。この二人はあたしよりずっとかわいくてやさしくて、女らしい子だったんだ。でもそれでも光夫はそんなあたしを受け入れてくれた。だからあんたも気にすることないって」

「でもリラさんだって、四月に学校入ったころと比べたらだいぶ女らしくなったと思うけど」

「そんな…あたしなんか全然かわいくないし、スタイルだって全然だし、服だって男みたいなものばかりだし。あたしは女らしくとかそんなの全然お構いなしに、自分の好きなようにやってるだけだけど」

「そうやって照れるとこがかわいいんだってば」

「あんたからそんなこと言われるとは思ってもなかったわ」

 そうしているうちに、観覧車のゴンドラはゆっくりと地上に近づいていた。リラがゴンドラから下りようとして席を立ってドアに向うと、同じようにドアに向った晋也とはちあわせになってぶつかってしまった。しかし気がついてみると、リラが晋也の上に倒れこむような体勢になっていた。そうやって二人は間近で互いの顔を見つめあうと、顔を赤らめてしまった。遊園地の係員もあっけにとられながら二人を見ている。

 ゴンドラを下りてからも、リラはぷりぷりしていた。

「あんたねえ、こういうときはレディーファーストといって女の子を先に下ろすもんでしょ。ほんっとにあんたってデリカシーがないんだから。おかげで恥かいたじゃない」

「すいません…リラさん」

 晋也もこのときばかりはしゅんとしている。しかしここでリラは晋也の方を向き直して言った。

「でもおかしいよね。あんたと一緒にいると、なんでいつもこんなになっちゃうんだろ」

「リラさん…怒ってないの?」

「悪いと思ってるんだったら、今度はあれに乗るというのはどう?」

 リラは絶叫マシンの方を指差すと、晋也を絶叫マシンの方へと引っぱっていった。晋也は一瞬勘弁してくれといった表情を浮かべたものの、まんざらいやそうでもない。そのような晋也の顔を見て、リラはいつしか笑顔をうかべていた。

―― 完 ――


あとがき

 みなさん、どうもお待たせしました。このお話はリラを主人公にした「やさしさに包まれたなら」の続篇です。話の順序から言うと、「やさしさ」の第7章から第8章までの間にあたります。

 「やさしさに包まれたなら」を書いたのはもう四年ばかり前のことになりますが、この話を書いたそもそもの動機は「エタメロで学園ものをやったらどうなるか」ということだったのですね。ここでリラを主人公にしたのは、「リラって女子高生になって制服とか着ても似合いそうだしかわいいのにな」という不純な動機(笑)からだったのですが、これを書いたときからリラとオリキャラの晋也クンとの凸凹カップル(?)は自分でも気に入っていました。これであといくつか話を書いてみたいとは前から思っていて、長い間構想を温めていたのですが、これが今になって完成の運びになったわけです。いろいろつっこみどころはあるかと思いますが、この点はご了承のほどを。

 タイトルはわかつきめぐみ先生の作品からとりました。(でもこれ、小生は読んでないからどんな話か知らないんだよね…。)お話にタイトルをつけるのはなかなか難しいものです。それにしてもこの話、初夏から夏へというコンセプトで書いたけど、今年は5月から天候不順でこの話のイメージ通りにはならないものですな。

2003年8月14日

Annabel Lee


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