去る3月20日、上野の東京都美術館で開かれている「国宝 鑑真和上展」を見に行った。この展覧会は、唐招提寺の金堂の大修理に際して、普段は見ることのできない国宝・鑑真和上像を展示するというものである。主催のTBSが何度もテレビで宣伝していたことも合って、これはぜひ行かねばと思っていたのだが、そうこうしているうちに今月の25日までということになってしまった。こりゃいかんと思ってあわててサクラのつぼみもふくらみかけた上野にかけつけた次第である。
というわけで都美術館に行ってみると、入り口には長蛇の列ができている。何と1時間待ちだとか。まあある程度の混雑は覚悟していたが、まさかここまでとは思わなかった。まさに鑑真和上さまさまである。
そうやって1時間ばかり並んで会場に入ると、まず国宝の梵天立像と帝釈天立像、四天王像が展示されている。これを見て小生はまず感動した。梵天立像と帝釈天立像の衣の襞の美しさ、四天王立像の気魄すら感じさせるまるで生きているかのような表情には、このような像をつくった職人の腕、そして心というものはいかなるものであろうかと思わずうなってしまった。
そのあとしばらくは、鎌倉時代に描かれた鑑真和上が日本に来るまでの由来を示した絵巻が展示される。そしてその後で、いよいよおめあての鑑真和上像だ。
鑑真和上像そのものは教科書の写真でおなじみだったが、やはり実物を見るのとはわけがちがう。まず肩から腕、膝にかけてのやわらかくて優美な曲線に目がいった。そして表情。来日を志しながらも五度にわたって失敗し、ついに盲目になりながらも日本に渡った鑑真の表情は、辛酸をなめながらもついにそれに負けることがなかった「強さ」というものをそのまま感じさせる。ここには見る者をぞくっとさせるような「厳しさ」とともに、見る人を暖かく受け入れてくれる慈愛に満ちた「やさしさ」があった。普通の人間には一生かかってもできないような経験を経た人だからこそ、「人間」というものの悪い面もすばらしい面も知りつくすことができたのかもしれない。
あと、この展覧会では唐招提寺に保存されているさまざまな名品がてんじされていた。中でも「唐招提寺のトルソ」とよばれている仏像は、顔が欠けてはいるものの、造型の美しさがあったが、ちょうどアフガニスタンではタリバーンによって仏像が破壊されていることを思うと胸が痛んだ。
展覧会場を出て、二階建てバスで浅草に向かう。ちょうどこの二階建てバスは今月いっぱいでなくなると聞いていたので一度乗らねばと思っていたところである。バスの二階席から見ると、上野と浅草の間にはビルに挟まれて古い造りの商店なんかがけっこう目につく。地下鉄の駅の出入り口も1927年日本初の地下鉄として開通した区間だけになかなかレトロなつくりだ。上野から浅草まではすぐ着いてしまうのがもったいないくらいである。
浅草の街というのはけっこう好きである。鮮やかな着物やおもちゃを店先に並べたみやげ物屋が軒をつらねる雷門から浅草寺にかけての参道、アーケードの下の活気ある商店街、ちょっと高級そうな料理屋…。お寺にしても自然に街の中にとけ込んでいて、なにもかもがスマートで無味乾燥になりつつあるこのごろの日本の中で、こういうざわざわした人間くささを感じさせる雰囲気こそがやはり人の集まる「街」ではないかと感じさせる。ちょうどこれに似たような感じがするのは、あと大阪の難波・新世界あたりではないだろうか。
それから隅田川下りの水上バスに乗った。水は濁り、川べりまでビルが建ち並ぶ隅田川の姿からは滝廉太郎作曲の「花」の歌の情景をしのぶよすがもないが、それでも早春の夕暮れの、どこか寂しい暮れなずむ街の姿を船の上から眺めるというのもおつなものだ。まだ明るさをかすかに残した春のぼんやりした空と、明かりがつきはじめたビル街の対照を見ていると、なんとなく寂しいけれど何か懐かしい、そんな気分になってくる。築地市場を反対側から眺めてみるのもおもしろい。そして終点近くでは、証明のついたレインボーブリッジと、色とりどりの電飾で飾られた臨海副都心の観覧車の景色が出迎えてくれる。…でもこれって、野郎一人で見ておつになるような景色じゃないよな。
そういうわけでなかなかもりだくさんの休日だったが、小生の陋屋に帰ったとたん頭痛がしてきた。季節の変わり目という時期に、水上バスの揺れと排気ガスにあたったらしい。(ちょうどエンジンの真上あたりにいたから)、とういわけで、みなさんも健康には気をつけましょう。ああ、隅田川の水上バス、今度は女連れで乗りたい。
(2001年3月21日)