アニメ版『シスタープリンセス』についての考察

 アニメ版の『シスタープリンセス』には、2001年4月から9月まで放映された『シスタープリンセス』と、2002年10月から12月にかけて放映された『シスタープリンセスリピュア』がある。ここでは主にこの前者について考えてみたい。

 しかしこのアニメはなかなかの問題作である。作画レベルが低かったということもあるが、かなり原作とは異なる世界観や設定、しかもそれがかなり怪しくてハチャメチャなものであったため、シスプリ好きのお兄ちゃんの間には「あれをシスプリとは認めない」という人も少なくない。またこのアニメ、一般では若干からかいの意味を込めて「ウニメ」と呼ばれているようだ。(これは第12話で、主人公の航がウニを踏んづけて海でおぼれそうになったところ、そのウニが千影に変身するというくだりから来ている。)

 しかし小生はむしろこのアニメの「怪しさ」にひきつけられた者である。でもこのアニメを見ていると、この中に込められた意味についていろいろ思うところが出てきた。以下これについて書いてみたい。

    

 まずはこのアニメのあらすじを見てみよう。主人公の海神航(みなかみわたる)はビクトリー塾でもトップの秀才だったが、合格確実とみられていた高校の受験に失敗してしまう。おまけにこれまで身を寄せていたじいやも航のもとから去ってしまい、二人組の黒服の男によって連れ去られた先は、「プロミストアイランド」という全体が「癒し系テーマパーク」になっている島だった。しかもそこで航を待っていたのは12人の妹たち。その妹たちにまつわりつかれた航ははじめは島から逃げ出そうともするが、妹たちとの共同生活を通して自分本位だった性格に変化が生じはじめる。しかしプロミストアイランドに来てから1年ばかりたった後、中学時代の友人だった燦緒(あきお)が航をプロミストアイランドから東京に連れ戻そうとするが、航はエリートコースを歩むよりもプロミストアイランドで妹たちと一緒に暮す方を選択する…というのが全26話のおおまかな筋である。

 このあらすじを見ていると、これは森鴎外の『舞姫』と結末こそ正反対とはいえ、いくらか似ている面があるように思える。ここで『舞姫』のあらすじを簡単に見てみよう。

 鴎外の分身である主人公の太田豊太郎は幼少のころより秀才で通り、「模糊たる功名の念と、検束に慣れたる勉強力とを持ちて」ドイツに留学するが、そこで大学の自由な雰囲気に触れるうちに自分の意志ではなく、他人の言われるままに勉強するだけの自分の姿に疑問を感じるようになる。そのような折に豊太郎はエリスという貧しい踊子の少女と出会うが、エリスとの交際を告げ口する者がいたために豊太郎は公使によって免官されてしまう。豊太郎は同行の日本人の一人である相沢の助けで新聞社の通信員の職を得て、エリスと「憂きがなかにも楽しき月日」を送るが、豊太郎の才能を評価した相沢はエリスとの愛情にとらわれて「目的なき生活」を送るべきではないと考え、豊太郎をドイツを訪れた天方大臣に紹介する。豊太郎は天方のもとで通訳として活躍して信任を得、ともに日本に帰国する、つまり一旦ははずれかけたエリートコースに復帰することを勧められるが、それはエリスとの別れを意味していた。しかしここで天方の誘いを断ると「本国をも失ひ、名誉を引き返さむ道をも絶ち、身はこの広漠たる欧州大都の人の海に葬られむか」と考えた豊太郎は帰国を選んだために、豊太郎に捨てられたと知ったエリスは発狂してしまう…。

 『舞姫』で描かれるのは、自我に目覚めながら自らの置かれた現実の前にはその自我を貫くことができなかったエリートの悲劇である。鴎外の時代には大学に進学することも、ドイツに留学することもごく一部の限られた人間にしかできることではなかった。明治に国費で欧米に渡った留学生たちは、まさしく日本の近代化を指導するという重大な使命のもとで期待を一身に背負って外国に赴いた「エリート」であり、そこから外れる自由などなかったのである。

 もっとも、このような「エリート」、そして彼らに指導される国のあり方に一面で疑問を抱いていたのは鴎外だけではなく、彼とならぶ明治の文壇の巨星、夏目漱石もそうであった。『三四郎』の冒頭近くでは主人公の三四郎が東大に入学するために汽車で上京する途中、同席した男から「(日本は)いくら日露戦争に勝って一等国になっても駄目ですね。富士山以外に自慢するものは何もない」と言われるくだりがある。三四郎が「然しこれからは日本も段々発展するでしょう」と言うと、その男は「亡びるね」と言った。実際、漱石が小説で書いたのは、このような日本の近代化の流れにうまく乗ることができない、どちらかというと内向的な人物が多い。

 時代が流れて戦後、教育の門戸が鴎外の時代よりずっと多くの人に開かれるようになると、むしろどのような人でも努力次第で「エリート」になれるかのような考え方が広まった。刻苦勉励して一流大学に入学し、中央官庁や法律家、有名企業といった進路へと進むと社会的地位や名誉、安定した生活や高収入を手にすることができるかのような考え方が世の中に広まっていた。「受験戦争」「乱塾時代」などという言葉があったのもそのころのことである。

 しかしこのような「エリート」像は最近になって日本の経済が低迷し構造改革を迫られるようになると急速に揺らぎを見せるようになった。官僚や大企業のトップの不祥事が明るみに出てそのモラルが問われ、リストラによって一流企業に入っても将来は保証されないようになっている。さらに昨今では十八歳人口の減少のために大学は選びさえしなければどこかには入れるという状況になっており、むしろ若者が勉強しなくなって学力が低下しているということの方が懸念されているくらいだ。さらに昨今の日本をとりまく政治の混乱、経済の低迷や社会のモラルの低下などの問題は、このようなエリートが指導してきた日本の社会のあり方そのものに疑問を突きつけている。

 このように考えると、このアニメで描かれるエリート像は今の現実から見て若干ずれているように思えてならない。このアニメの中での東京では、無機質な町並みの中にロボットのような無表情な群衆が脇目もふらず、一糸乱れずに早足で歩いている。そして燦緒や航の中学時代の友人だった皆井(みない)は、「エリートコースを歩む」ということを至上の目的であるかのように考え、そのためなら他人の気持ちなど何も頓着しない人間であるかのように描かれている。このような燦緒の目から見れば、プロミストアイランドは「堕落した人間にはよくお似合いの島」、そこでの妹たちとの生活は「ママゴト遊び」でしかない。いわば燦緒は役回りでいえば『舞姫』の相沢に近いかのような感じがするが、これならば結果的にエリスを破滅に突き落としたとはいえ、純粋に豊太郎の才能を評価し、それが活かされないのを見かねて彼のために行動した相沢の方がずっとましである。ここに描かれる東京の人たちの姿は、まるで尾崎豊が反撥を込めて歌にした「大人社会」の姿そのものであるが、このアニメの描写は誇張するにしても少々やりすぎではないか、そもそもこんな「大人社会」というものが現実にあるのかと考えざるを得ない。

 それにひきかえプロミストアイランドは風光明媚な自然、そして何よりも妹たちと一緒の愛情に満ちたにぎやかな生活がある。しかしこのプロミストアイランドははっきり言ってリアリティのない仮装現実の世界である。この島の中にはヨーロッパ、日本、中華街を模した町並みがつくられ、学校や公園、遊園地までもがあるが、そもそも東京ディズニーランドの成功に触発されてつくられたこの手のテーマパークはほとんどが経営難に陥っているということは周知の通りである。第一、ちゃちな渡し船以外に交通手段のない、いわば外界から隔離されたこの島で、どのようにして経済が成り立つのだろうかということに疑問を感じざるを得ない。それに妹たちはなぜ親や保護者と離れて生活しているのか、プロミストアイランドで航と出会うまでどこでどのような生活をしていたのかについてはほとんど語られないし、潜水艦でクルーズに出たりとか結界で遊園地を隠していたりとか、あまりにも非現実的な世界である。

 このように考えると、航の姿は仮装現実の世界にひきつけられるオタクの姿を戯画化しているのではととることもできよう。ここで重要な意味を持つのが山田である。山田は『ガルバン』という昔のアニメが大好きで、しかも騒々しい声を出しながら妹たちと一緒に暮す航をうらやましがっていろいろちょっかいを出してくる。このような点から山田を「うざい」「きもい」と言う人も少なくないが、山田をオタクの戯画化と考えると山田の存在、さらに山田が最終話でガルバンを「昔はよかったなーっていう後ろ向きの象徴」と言っていることにも意味が出てくるように思える。

            

 このようにしてみると、このアニメは今の社会に広まっている気分そのものを投影しているかのように思えてならない。その「気分」とは、エリートコースに乗って富や名声とひきかえに潤いのない生活を送るよりも、家族や仲間とのふれあいを大切にして「まったり」と過ごしたいという気分である。このような「気分」が生じること自体は悪いことではない。戦後男たちは企業戦士になって日本を経済大国にしたが、その結果はバブル経済とそれに続く経済低迷、社会全体に広まる拝金主義や閉塞感、そして振り返ってみると自らはリストラの危機にさらされるだけでなく、家庭の中にも居場所がない、そして子育てを軽視した結果が青少年のモラルの低下にもつながっている…となるとそう思いたくなるのも道理である。

 今よく「自分探し」という言葉がよく聞かれるが、日本という国自体がこれまでのような「経済を発展させ、国を豊かにしていく」という目標を達成してしまった、しかもそれがいいことばかりだとは限らないということに気づいた今、「ただ所動的、器械的の人物」になって社会のレールに乗るばかりが「まことの我」なのかという『舞姫』の太田豊太郎の問いはますます重みを増していくだろう。

眞深は言う、航は「妹達と出会って、すごく格好よくなった」(第23話)と。航はプロミストアイランドでの生活を通して自分を取り戻したわけである。

 実際小生もこの『シスプリ』を見ていると、自分も風光明媚なプロミストアイランドで妹たちと一緒に暮らせたらどれだけいいだろうと思ってしまう。この意味でまさしくプロミストアイランドは「癒し系テーマパーク」である。

 しかし小生は現実に疲れて逃げ込んだ先は、まさしく仮装現実の世界というのは何か違うのではないかという気持ちをぬぐいきることができなかった。それを考えるとこの『シスプリ』は危険なアニメだ…と思っていたら、このプロミストアイランドでの生活がかりそめのものにすぎないことを示す部分がしっかり第21話にあった。これは鈴凛が自分がアメリカに留学に行っても航のことをサポートできるようにと思って自分そっくりのメカ鈴凛を製作するという話だが、ここで航はこのようなことを言っている。

「今は永遠じゃないんだ。いつか祭は終わる。そして、それぞれが歩きだす。それってすごくいいことなのに、この寂しい気持ちは、何だろう…」

 要するに、航は最終話で妹と一緒に暮すことを選択したとはいえ、それは航、そして妹たちの「それぞれが歩き出す」ためのスタートラインだと考えるべきではないだろうか。小生も、妹たちから心を癒すための場を得るのはいいけれども、それはあくまで自分の現実の世界を歩くための助けにしたいものである。

(2003年8月16日記)


各論

ウェルカムハウスの謎

 航が妹たちと一緒に暮している建物は「ウェルカムハウス」と呼ばれる。このウェルカムハウスは本館の両脇に円形の建物が一つづつあり、一方は航と妹たちが生活している建物、もう一方が礼拝堂になっていて庭にはプールもある。全体の造りを見ると、このウェルカムハウスは当初ホテルもしくはイベント会場として設計され、航と妹たちが暮している建物は従業員のための寮、礼拝堂は結婚式のセレモニーを行うための場と考えるのが妥当ではないだろうか。

 しかしここで疑問なのは、ウェルカムハウスでは皆室内に土足で上がっているシーンがけっこうある。まあ欧米などではそうだと言われればそれまでだが、第1話のはじめて航がウェルカムハウスを訪れて、可憐・花穂・咲耶・雛子の歓迎を受けるシーンではその4人が床の上に座ぶとんを敷いてその上に坐っているのである。普通だったら室内に土足で上がり込んでこんなことはしないと思うのだが。

 さらに第2話では白雪・鈴凛・四葉・亞里亞の4人が早起きして朝食のキムチグラタンをつくるが、その辛さに卒倒して一日再起不能になる。この設定もなかなかすごいが、同じ建物の中でこの4人が料理をつくっているのに、その存在に航や第1話で登場した4人の妹が夜になるまで気づかないのはどう考えても不自然である。さらに誰がつくったかもわからないような料理に疑いもなしに口をつけるとは…。ほかにテレビ放映時には衛が天井をぶち破って空から降ってくるシーンもあったが、それはさすがにまずいと思ったのか、DVD版では改められていた。

 しかし小生がこのウェルカムハウスで一番わからないのは、さして大きいとも思えない部屋のドアからどうやってメカ鈴凛プロトタイプの巨体を室内に入れるのか? ということである。これは「東大寺の大仏をどうやって大仏殿の中に入れたのか?」という疑問に近いものがあるが、もしかして鈴凛はドラえもんのスモールライトのような、物質の大きさを変えられる機械を発明しているのだろうか? 鈴凛恐るべし。しかしよく見たら、このプロトメカ、エンジェルゲートのエスカレーターにも乗ってるではないか。

いちばん不遇な妹

 アニメ版シスプリについて紹介しているあるHPによると、「一番扱いが不遇だった妹は?」というアンケートをとったところ、1位が四葉、2位が鞠絵になっていた。確かに12人もの大所帯を登場させなければいけない以上、扱いに差が出て出番が少なくなるのは仕方のない面もある。確かにこの二人は出番が少なかったのは事実だが、小生は一番不遇な妹は亞里亞ではないかと考えている。

 なぜなら、亞里亞は大豪邸でじいやを振り回して殿上人のような生活を送ってこそはじめて活きてくるキャラだが、みんなでワイワイガヤガヤと共同生活を送るというこのアニメの主旨から見て存在自体が浮いているように思えるからである。セリフも回を追うごとに少なくなっていったし。

 ちなみにリピュアでは一番不遇なのは白雪であろう。出番の少なさだけでいえば鈴凛と四葉だが、この二人にはメインの回もあったしそこではそれなりの見せ場もあったが、白雪はただのパティシエ役だったから。


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