一般相対性理論が間違っていることの証明

 ここでは、一般相対論の間違いと、ビッグバン宇宙論の問題点を伝えます。

一般相対性理論が間違っていることの証明
相対論の教科書における「等価原理」の考察は、やはりおかしい
空間は3種類に分類できる
現代宇宙論は完全におかしい
ビッグバン宇宙論に対するフランダーンの指摘
宇宙背景放射はビッグバン理論の決定的な証拠ではない
宇宙の大規模構造(グレート・ウォール)とビッグバン理論の矛盾
                                                             トップページ


追加 2001/7/26
               <一般相対性理論が間違っていることの証明>

 一般相対性理論の基礎になっている原理に等価原理があります。
これは真の重力と見かけの力(慣性力)が同じものであることを主張するものであり、一般相対論の屋台骨となっている
ことはご存知の通りです。

 中野董夫著「相対性理論」(岩波書店)には、この原理がつぎのように述べられています。

「慣性質量と重力質量は本来同一のもので、加速度によって生じる見かけの力と重力とは原理的に区別でき
ないものである。」これを等価原理という。

 この説明には、2種類の等価原理がまとめて表現されています。
はじめの「慣性質量と重力質量は本来同一のもので・・」は、慣性質量と重力質量の同等性を主張する古典的な等価
原理です。あとの「加速度によって生じる見かけの力と重力とは原理的に区別できないものである。」はアインシュタイン
が考え出したもので、先のものと区別するためにこれを”アインシュタインの等価原理”と呼ぶことにしましょう。

 古典的な等価原理の方は正しいのですが、アインシュタインの等価原理の方は間違っているのです。

後者の等価原理に対するアインシュタインの考察ミスから、一般相対論が間違っていることを簡単に証明することが
できます。詳しく説明します。

[一般相対論が間違っていることの証明] 2005/10/3 改定 2001/11/11改定 (2001/7/26開設)

 思考実験を行って考えます。本などでもよく見られる思考実験の変形版をおこなってみます。
 いま無重力の宇宙空間の中に、一辺が50mほどの大きなエレベータが浮かんでいて、そのエレベータの真ん中(上下
左右の壁から離れている場所)に宇宙飛行士のM氏が一人浮いているとします。
このエレベータには窓がなく外は見えないとし、エレベータははるか上空にいる神様がもつロープでつり下げるられている
と仮定します。ロープはまっすぐに伸びています。

 M氏には当然ながら慣性質量があり、力が加われば「その力に抵抗して、その場にふんばる」性質を、M氏はもってい
ます。この”慣性”という性質が今回の考察のポイントです。

 さて、いま天体(星)がエレベータの真下に突然出現したとします。
その瞬間、M氏は慣性質量をもつので、確実に慣性変動の発揮があります。これまでふわふわと浮いていたところに
重力という力が加わったのですから、その場にふんばろうとする性質が発揮されるわけです。
その物体固有の”もがき”があります。そして、いまエレベータは神様によってロープでつり下げられているのですから、
エレベータ自体は天体の方へは落下していかず、M氏のみが星へ引きよせられることになって、やがてM氏はエレベー
タの下の床にぶつかる事態になります。
M氏は落下中も重力を受けつづけているわけですから、落下している間も(床にぶつかるまで)慣性変動の発揮がな
されつづけることはいうまでもありません。この場合を状況Aとしましょう。

 もう一つの別の状況を考えてみます。
いま神様が猛烈なスピードでロープをたぐり寄せはじめ(たぐり寄せのスピードを加速していく)、エレベータを突然上方に
ひき上げはじめたとしましょう。この場合、慣性変動の発揮はあるでしょうか?ありませんね。

 この場合は、ただエレベータが上がっていくだけなのですから、当然のことながら慣性変動の発揮はありません。
の天体出現のときと、状況自体は似ていても物理的内容がまるで違っています。下の床がスピードを加速しながらただ
自分に迫ってくるだけですから、”もがき”を発揮しようにもできないわけです。この場合を状況Bとします。

 物理学者はこれまで状況Aの場合と状況Bの場合をまったく同等だとして扱ってきました。見かけの力などという仮り
の力を使えば数学的にはたしかに一致するでしょうが、物理的内容を吟味すれば、上でみたようにまるで違うものであり、
原理的に異なるもの、区別できるものであることがわかります。

 従来からよく行われてきた考察は、M氏が足を床につけている状況を考えるというものでした。たしかにその場合は
状況Aでも状況Bでも慣性変動の発揮があり、二つの力の区別はできないということになります。
そのことに気をよくたのか、アインシュタインは意味を拡張し一般化しすぎて、上記の重力系(状況A)と加速系(状況B)
が完全に同等である(原理的に区別不可能)として一般相対性理論を作ってしまいました。

  現代物理では、上の思考実験のような場合でさえも「見かけの力」=「重力」としていますが、アインシュタインが
今回私が提示した思考実験を見落としたことに気づけば、このイコ−ルは成り立たないとわかるでしょう。

状況Aと状況Bの考察から、この二つの状況が根本的に異なるものであることは明らかだからです。

状況A(重力系)では慣性変動の発揮がある。
状況B(加速度系)では慣性変動の発揮がない。

明瞭に異なるものであり、原理的に区別可能です。

 アインシュタインは、見かけの力を真の重力に昇格させたわけですが(真の重力と完全に同等とした)、これまでの
考察から、絶対にそんなことはいえないとわかるでしょう。状況Aと状況Bは、じつは物理的に異なるものだったのです。

 以上より、”アインシュタインの等価原理”は誤っていることがわかりました。
よって、一般相対性理論が間違っていることが証明されました。
証明終わり。

 もし当時アインシュタインが上の思考実験に気づいていれば、重力系と加速度系が同等などと思いつくことは絶対に
なかったとわかります。
アインシュタインは、単純な思考実験から等価原理を考え一般相対論建設へとすすんだのですが、上記のようなことま
でふくめたもっと多様な場合を慎重に検討すべきだったと思います。

 上記証明から一般相対論を否定することができたわけですが、別のアプローチとして、「特殊相対論が間違っている
ことより、結局一般相対論も否定される」という道筋をとってもかまいません。

 一般相対論は、等価原理と一般相対性原理という二つの指導原理から成り立っています。
特殊相対性原理が間違っているならば、それを加速度系にまで拡張した一般相対性原理も当然間違っていることが
いえ、それを基礎とする一般相対性理論も間違った理論であると断定することができるからです。

特殊相対性原理が間違っていることはつぎのサイトで厳密に証明しています。
 相対論物理学者に捧ぐ その1
 相対論物理学者に捧ぐ その2
 相対論物理学者に捧ぐ その3


2001/11/11(お詫びと修正)
 2001/7/26にはじめて上記「一般相対論が間違っていることの証明」を書いたときは上とは少し違った内容を書
いていました。そのときは、「M氏が力を状況Aでは感じるが、状況Bでは感じない」と説明し、よって状況Aと状況Bは
区別可能であると主張していました。しかし、読者の方の指摘で、「状況AでもM氏は力を感じないのではないか?」と
質問を受け、それについて、私自身いろいろと考えました。その結果、「感じる、感じない」で区別するのは非常に難しい
問題を抱えており、この場合適切ではない、と判断するに至り、上記のように内容を改めました。ご指摘に深く感謝いた
します。
                                                           杉岡 幹生

2005/10/3修正
 上の証明で、”慣性の発揮”という言葉はやや不正確な面がありますので、”慣性変動の発揮”と変更しました。
”もがき”の説明も一部加えました。




追加 2001/12/9
          <相対論の教科書における「等価原理」の考察は、やはりおかしい>

 等価原理でのアインシュタインの誤りを上で指摘しましたが、ここではそれが教科書でどのように記述されているかを見て
みましょう。相対論の権威である内山龍雄氏の著書「物理学はどこまで進んだか」(岩波現代選書)の中の一節をとりあげま
す。
 内山氏は、エレベータの思考実験の説明をした後、つぎのように等価原理を説明しています。

「物理学はどこまで進んだか」(内山龍雄 著)p.65
・・・・・
ここでひとつ大切なことがある。右に述べたように、ニュートン力学では、見かけの力と考えられていたものが、アインシュ
タインの理論では本物の力に昇格された。しかも、それは、単に力学的表現にかぎらず、すべての物理現象において、そ
の効果が、本物の重力の効果と同様に扱われることになった。この最後に述べたことは、非常に重要なことで、それはニ
ュートン力学にはなかったことである。これがいかに重要であるかは、次節でわかると思う。それはともかく、一般相対論
では、基準系の加速度運動により生ずる力は、名実ともに、本物の重力と同等の効果を持つ力として扱われることになっ
わけである。そこで、この主張を等価原理という。

註:赤色は杉岡がつけました。


 これを見ると、内山氏も根本的に勘違いをしていることがわかります。
どこが間違っているかは、上の赤線の記述がよく示しています。上で私が証明したように、加速度運動による見かけの力
は、あくまで見かけの力であって、慣性変動の発揮が何もないのだから、本物の重力とはまったく違うものであります。にも
かかわらず、上記説明では完全に同等として扱っており、それが誤りなわけです。

 私たちは、はやくこの誤りに気付き、一般相対論を捨てさる決心をしなければ、その上に立った現代宇宙論は
ほんとうにおかしなことになってしまいます。

 一般相対論は、本HPで完全に否定されたのです。



追加2001/8/10
 さらに、本質的には同じですが、少し別の観点(観点Aとします)から、上の状況AとBの違いを説明してみましょう。

[観点Aの説明]
状況Aでは、天体が出現するわけですから、その瞬間から重力場が周囲に発生し、M氏もすぐにその重力場の影響下
に入ります。ここではM氏は、天体出現直後から確実に重力を受けつづけているといえるわけです。
ところが、状況Bではどうでしょうか?神様がただエレベータを上に引っ張っているだけなのですから、どこにも重力場など
生じておらず、下の床にぶつかるまでM氏はどんな力も受けていないわけです。
このように考えると、状況AとBが根本的に違う状況なのは明らかです。
説明終わり

[注記]
 ところで、ここで注意してほしいことがあります。上記のように説明すると、物理学者から「いや一般相対論を適用すると、
状況Bの加速度系の空間にも重力場が生じていることを示すことができる!!」という反論が必ずきます。
しかし、ここは勘違いしないで頂きたいのですが、アインシュタインは、この種の思考実験を行った後に一般相対論を
建設したのであり、もしアインシュタインが本サイトの思考実験に気づいていれば一般相対論など誕生しなかったと断言
することができるからです。
歴史の順序をまちがわないで頂きたいものです。

「ある思考実験を間違えて解釈したために、間違った理論がつくられた。その間違った理論を別の思考実験に適用し正
しい解釈を示すことなどできない。」という論理を十分理解してください。

このことから、観点Aにおいて、一般相対性理論を用いずに(その誕生前の立場にたって)、状況Aと状況Bの完全な
同等性を証明することができなければ一般相対論は間違っているということになるのですが、その同等性を証明すること
はできないと思われます。これまでの説明より、状況AとBは根本的に異なった状況であることは誰の目にも明らかだから
です。

読者のみなさんは、どう思われますか?



追加 2001/8/21
                    <空間は3種類に分類できる>

 ここでは、空間の分類とその定義づけを行います。
空間に関してはトップページでも論じましたが、空間という言葉は、時間と同じで、どうも昔からはっきりとした定義づけが
なされないまま使用されてきた感があって、そのことが20世紀物理学を誤った方向へ導いてしまったという気がしています。

 以下では、空間の分類を試みます。
空間は、”広がり”、”座標”、”真空”の三つに分類できると考えますが、この三つを明瞭に区別しないまま使ってきた
ために、現代物理学は混迷の度をふかめている気がします。
くわしく見ていきましょう。

 空間と聞いて、まずなにを連想するかというと、漠たる広がりということでしょう。ただはてしなく広がっているその広がり
そのものをさしているわけです。
この意味で空間を考えれば、「物質がないと空間は存在しない」とか「物質があるから空間も存在する」とかいう議論は
あまり意味のないことであるとわかるでしょう。物質があろうがなかろうが広がりそのものはあるのであり"広がり=空間"
はアプリオリに存在するものと考えるのが自然です。

 ところが、空間座標となると少し意味合いが違ってきます。
空間座標(あるいは座標空間)は、物質より先にアプリオリに存在するものではなく、数学的な概念であって、物体の位置
を記述するために生みだされたものであるということに気づくことが大切です。物の位置を記述するのに必要であるという
必要性から生み出されました。
物の位置を記述するのに座標というものを設定せざるを得ないから設定するのであり、物がないのに座標が考えだされ
たりすることはありません。この意味では、「物体がなければ空間(空間座標)は存在しない」といえます。
 空間座標は、それを生み出すと便利だからという理由で人間によって考えだされたものであって、この「考えだされた
もの」というのは「概念」であり、アプリオリに存在するものとはまったく違うものであることを十分に認識しなければなりま
せん。概念と実在物は違うのです。
「時間」に関してもそうですが、ここのところを古来から哲学者も物理学者もあいまいにしか考えてこなかったように思えて
なりません。
 アインシュタインの著作()の中に「デカルトは、空間を物的対象とは無関係に物質なしで存在しうるものとみなすことに
抵抗してきた」という言葉がありますが、この「空間」はまさに「空間座標」を指しているといえます。

 つぎに真空です。
理化学辞典には「物質の存在しない空虚な空間のこと」とあります。しかし、ディラックの空孔理論にもあるように、「真空
とはじつは負の電子がびっしりとつまった状態」というようにも述べられることから、”広がり”や”座標”という意味の「空間」
と異なり、空間の中身の物理的性質を鋭く問うた言葉だとわかります。それは空間そのものの物性ともよぶべきものです。

 以上のように考えてきますと、”広がり”、”空間座標”、そして”真空”の三つはまったく違った意味の言葉だとわかる
でしょう。空間に関しては、今述べた3種類の分類をはっきりと認識することが重要です
空間は3種類に分類できる、と私は考えます。

 現代物理学では、「空間」ということに関して意味の混乱が見られます。
 これももとをただせば時間と同じく、もともと漠然とした、あいまいな定義のままに「空間」という言葉を使用してきたことが
原因しているといえるでしょう。
 現代宇宙論がおかしな方向にすすんでしまったのも、「空間とはなにか?」という根本的な問いをないがしろにしてきた
結果といえるのです。
 現代の物理学者は、「空間」という言葉を、一番目に述べた本来的な”広がり”の意味だけでなく、「真空」や「空間座標」
の意味としても使ってしまっています。

 私の提唱ですが、今後の物理学では、「空間」という場合はあくまで”漠たる広がり”の意味でしか用いない。数学的な
空間座標をいうときは必ず「座標」とか「空間座標」という言葉を用いる。幾何学はユークリッド幾何学を用いる。また、
「真空」も、これまで「空間」とほぼ同義で使用されてきたが、これからは真空(つまり空間自身の物性)をいう場合はいつ
でも「真空」という言葉を使用する。
以上を今後の物理学の確固たる規則としていけば、現代物理のような数学遊戯と化した不毛の議論は消え去ると信じ
ます。

 「空間(広がり)」、「空間座標」、そして「真空」、この三つは言葉の上で厳密に区別すべきです。この三つを
厳格に区別しながら使用していけば、見通しのよい物理学を構築できると思います。

 空間物理研究家のコンノ・ケンイチ氏はその著書で、「空間(真空)は虚無ではなく、万物を生じせしめる母体物質なの
である」と述べておられます。興味深い考えですが、表現として”空間”という言葉は用いずに”真空”という言葉で一本化
した方が誤解がなくより適切であると思います。
ちなみに、私はコンノ氏の考えに賛成で真空は虚無ではなかろうと考えています。

 一般相対性理論では、「空間が曲がる」などと主張しますが、まったく的外れな主張です。上の3種類の意味を考えても、
「空間が曲がる」などという考えが出てくる余地はありません。相対論では、時間と同様、空間における哲学的考察が足り
ないと思います。

「特殊および一般相対性理論について」アインシュタイン著・金子務訳 白揚社


追加 2001/11/23
                    <現代宇宙論は完全におかしい>

 上記証明により、一般相対性理論が誤った理論であることは誰の目にも明らかになりましたが、皆様もご存知のように、
現代の宇宙論はその一般相対論を基礎としています。

 物理学という学問は、基礎となる方程式を元に全てを展開しますので、その根本の方程式がもし間違っていたら、いくら
そこから壮麗な建造物を構築しようとも、議論全部が大嘘となってしまいます。現在天才と称されるホーキングやペンロー
ズが一般相対論を駆使し宇宙やブラックホールについて論じていますが、それらがいかに数学的に立派であろうと、全部
誤りであると断定することができます(根本の一般相対論が間違っているのですから!)。

 さて、先日ブルーバックス「世界の論争・ビッグバンはあったか?」(近藤陽次著、講談社)を読んでいて、興味深い
記述を見つけましたので、下記に紹介します。
指摘されれば、もっともなことなのですが、天才と称される人たちにいわれると、どういうわけか人間は暗示にかかってそれ
を信じこんでしまう傾向があります。その点を近藤氏は突いています。

「世界の論争・ビッグバンはあったか?」p.117〜118
 宇宙における銀河の分布は均一性が高いので、それを説明するために、インフレーション・ビッグバン論が生まれ
たわけだが、そのためには初期の宇宙は非常に高速度で膨張しなければならない。

 ほとんど零に近い大きさ(プランク長さ)から1センチの大きさになるのに、10のマイナス33乗秒しかかからない。
この膨張速度は、光の速度の10の22乗倍以上になる。これは、アインシュタインの特殊相対性理論の速度限界
を、はるかに超えたものになる。
 インフレーション・ビッグバン論の支持者は、通常、次のように答えて、その間の事情を説明している。

 宇宙が、インフレーション・ビッグバン論でいうように、光の速度の10の22乗倍(1兆の100億倍)以上の高速度
で膨張する場合、その宇宙は、時間も空間もまだ存在しないところに膨張していくのだから、特殊相対性理論によ
る、物体の速度が光の速度の限界を超えることはないという原則が適用されない。
 さらに、膨張するのは空間そのもので、その空間の中の物質がお互いから飛び離れていくのではないから、いず
れにしても、その現象には光速の限界は適用されない。

 だが、それはそうかもしれないと一歩譲ったとしても、右記のインフレーション・ビッグバン論で、距離と時間を議論
するには、それを測る基準になる時間と空間の存在が、前提として必要ではないかと思える。ここで、インフレーシ
ョン・ビッグバン論は、まだまったくテストされたことのない、未知の自然科学の”法則”を用いていることになる。
・・・・・・・・
注:青色は杉岡がつけました。


 言われてみれば、そのとおりと思います。
近藤氏は宇宙論学者の矛盾した主張をやんわりと指摘されている。
「宇宙誕生初期に時間・空間は存在していない!」といいながら、そのときの状況を時間・空間を用いて議論している
ことのおかしさを宇宙論学者ははたして認識しているのでしょうか。

 人間というのは、一旦正しいと信じこめば、もう目が見えなくなって、自分の信じた理論に有利な解釈を無意識
のうちにしてしまうもののようです。
そして現代物理学はなぜかアインシュタインを優先してしまう傾向があります。

 ところで、今回紹介した近藤陽次氏の「世界の論争・ビッグバンはあったか?」は、たいへんな名著です。
相対論をもとにするインフレーション・ビッグバン宇宙論を優先する本が多い中で、競合する他の多くの宇宙論(相対論を
用いない宇宙論)も公平に扱っていてその著者の科学者としての態度には敬服します(近藤氏は著名な天体物理学者)。

 この本を読めば、ビッグバン宇宙論に有利な決定的な証拠などじつはなに一つないということがわかり、いかに我々
がマスコミの情報に踊らされているかがわかります。ぜひ一度読んでみてください。




追加 2002/1/8
                <ビッグバン宇宙論に対するフランダーンの指摘>

 「科学をダメにした7つの欺瞞」(徳間書店)をよんでいると、天体物理学者トム・ヴァン・フランダーンが、「標準理論は
おかしなことだらけ」と題して、現代宇宙論を次のように述べている箇所をみつけました。
現代のビッグバン宇宙論の奇妙な姿が映し出されていると思いますので、紹介しておきます。

「科学をダメいした7つの欺瞞」p.171〜172
標準理論はおかしな事だらけ

 現在の自然科学の体系には大きな間違いがある。奇妙な数学理論ばかりがまかりとおり、根拠のあやふやな理論が
もてはやされる。
 私の専門である天文学を例にとっても、初めから最後まで、おかしな事だらけである。
 まず、標準理論として多くの学者の支持を得ている「ビッグバン理論」について考えてみてほしい。この理論では、以下
のような事を疑問なしに受け入れる必要がある。

●大昔、時間と空間は存在していなかった。
●ある時、爆発によって時間と空間が忽然と出現した。
●爆発の原因は不明である。
●宇宙は光速よりも速く膨張していた。
●宇宙は均一である。
●宇宙には均一でない大構造がある。
●宇宙の膨張によって銀河同士の距離は増大するが、銀河内の太陽と地球の距離は変わらない。

 このような矛盾だらけの理論が平気で受け入れられているのである。これは明らかに何かがおかしい。・・・・・


 フランダーンのこの指摘と、上記私の等価原理に関する指摘、さらに他のページで述べた相対論における様々な欺瞞の
指摘を合わせて読んでいただけば、現代宇宙論がいかに誤った道を歩みつづけているかがわかって頂けると思います。

さてみなさんは、どのように思われるでしょうか。




追加 2002/4/5
             <宇宙背景放射はビッグバン理論の決定的な証拠ではない>

 先に紹介した「世界の論争・ビッグバンはあったか?」(講談社ブルーバックス、近藤陽次著)には、いろいろと重大な
事実が指摘されています。1965年にペンジアスとウィルソンが発見した宇宙背景放射は、これまでビッグバンが実際に
あった動かぬ証拠とされ、マスコミや啓蒙書などによって盛んに喧伝されてきたのはご承知のとおりです。
 しかし、事実はちがっており、歴史の陰に隠れてきた驚くべき事実があったのです。
 ビッグバン理論が発表されるよりはるか以前に現在の背景放射の温度2.73Kに極めて近い値を、定常宇宙論の観点
から多くの天文学者が算出していたのです。
私自身はじめて知ったのですが、世間にほとんど知られていない事実と思いますので、ここに本より引用し、紹介します。

「世界の論争・ビッグバンはあったか?」p.80
  宇宙背景放射は必ずしもビッグバン論だけが予言したわけではない

 ビッグバン論、定常宇宙論という二つの宇宙論にかかわる種々の論争には、重要な問題が数多く提示されている。
その中で一番よく知られているのは、宇宙背景放射であろう。
 宇宙背景放射というのは、星や銀河系などの発光物体からくる光を除いた、宇宙空間そのものからやってくる光のこ
とである。普通、その光が、絶対温度にして何K(ちなみに零K<ケルビン>=マイナス273.16℃)の黒体放射に相当
するかで表される。

 黒体放射とは、理想的に真っ黒な物体から放射される光のことで、その波長ごとの明るさ(エネルギー)の分布(プラ
ンク分布という。図5−1)を見ると、温度にのみ依存して分布のピークが決まっている。よって、観測された光のプラン
ク分布を見れば、黒体放射温度が求められる。

 また、物体がある温度の熱平衡状態にあるとき、その物体そのものから出てくる光のプランク分布は、同じ温度の黒
体から放射される光のプランク分布と類似している。すなわち、観測された光の黒体放射温度は、その光を発している
物体の温度を示しているといえる。

 ビッグバン論によれば、ビッグバン直後は各素粒子がバラバラに飛び交っている状態だったが、一定の時間が経つと
電子が原子核にとらえられる(つまり原子ができる)。すると、自由電子がいなくなったために光は自由に飛び回れるよ
うになり、宇宙は、絶対温度にして4000Kの光が充満した熱平衡状態になった(これを宇宙の晴れ上がりという)。こ
のときの光を宇宙背景放射として現在観測できるというわけだ。

 ただし、銀河からの光が赤方偏移するように、この宇宙の晴れ上がりのときの光も赤方偏移して、温度に換算すると
4000Kよりだいぶ低くなっているはずだと予測された。
 ところで、多くの人たちが(無論、天文学者も含めてだが)、宇宙背景放射はビッグバン論のみが予言したもので、ビ
ッグバン論でしか説明できないと信じているようだが、それは必ずしも正確とは言えない。
 前述のアーサー・エディントンは、1926年に出した天体物理学の教科書の専門書に、恒星間空間の温度を銀河系
内の星の光の強度から計算して、絶対温度で3.2Kと算出している。

 その数年後、島銀河系の存在が確立されてから、ドイツの天文学者エルンスト・レゲナーは、宇宙空間でのイオン化
現象を研究して、星からの光がほとんど無視できるような状態の銀河系間の空間の温度を計算し、絶対温度で2.8K
とした。
 さらに、1941年、A・マッケラーは、カナダのビクトリア天文台の台報に、恒星間物質のスペクトル観測から恒星間空
間の温度を2.3Kと算出した、と報告している。

 これらの数値は、どれも、最近の宇宙背景放射の測定値である2.73Kに驚くほど近い。
また、この三つの数値は、1965年に初めて観測されたときに出された背景放射温度の3.5Kと比べると、最近の測定
値により近い。
 ただし、エディントンもレゲナーも、この温度を直接測る方法があるかどうかは、論述していない。



p.84
 宇宙背景放射の温度をめぐって
 
さて、ビッグバン論と定常宇宙論と両者が現れた1940年代の終わりごろの、ビッグバンの最も強力な推進者は、
コーネル大学にいたロシア生まれの物理学者ジョージ・ガモフ(図5-2)と彼の同僚だったラルフ・アルファーおよび
ロバート・ハーマンだった。
 1946年にガモフが発表した論文でのビッグバン論への最も重要な貢献は、核融合理論の導入であった。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 アルファーとハーマンは、1948年に、原始の火の玉から分離した背景放射の温度を計算して、絶対温度で5Kと
答えを出した。彼らはさらに、この背景放射は、星からの光から切り離して観測することはできないかもしれず、星
の明かりが観測結果に混入するかもしれないと警告した。
 この二人は、1949年には、新しく観測された資料から推定された宇宙全体の物質の密度を使ってこの計算をや
り直し、
28Kという新しい数値を出した。
 ガモフ自身、これとは異なった物理条件を考慮して、それを3Kと計算した。だが、のちほど出版された彼の著書
「宇宙の創造」には、宇宙の年齢が30億年との想定のもとに、それを50Kとした。その後、ガモフはさらに、それを
1953年には7K、1956年には6Kと変えている。

 要するに、ビッグバンの支持者の計算した背景放射の温度が、その後実際に観測された数値に、常に近かった
わけではない。現在の観測結果の2.73Kに一番近かったのは、ビッグバン支持者が計算した背景放射の温度で
はなく、むしろレゲナーの計算した銀河系間空間の温度(2.8K)だった。


p.87
  宇宙背景放射の発見とその解釈について
 
ところで、1950年代から1960年代初期にかけて競合する仮説、主としてガモフたちの支持するビッグバン論と、ホ
イルたちの推す定常宇宙論が派手な論争を繰り返し、少し大げさにいえば、宇宙理論家たちの戦国時代のような様
相を帯びていた。もちろん、こういう状況は、科学の発展のためには、必要でしかも望ましいことでもある。

 1965年に、ウィルソンとペンジアスが宇宙背景放射を発見した時点で、この状況は急変した。この観測結果は、同
じプリンストン大学のロバート・ディッケとその同僚たちが計算して、絶対温度3.5Kの宇宙背景放射であると結論し
た。偶然ながら、ディッケたちは、ちょうどそのころ彼ら自身、宇宙の背景放射を観測する計画を立てようとしていたと
ころだった。

 ただし、ウィルソンとペンジアスの地上観測では、3.5Kの黒体放射のピークは観測できなかったから、この温度の
推定には外挿法(ある変域内のいくつかの変数に対して関数直が知られているとき、その変域外で関数値を推定す
る方法)が用いられていて、その温度の推定値に少々不確かなところがあったのはやむを得ないところだろう。

 ここで読者諸氏にもう一度思い出していただきたいが、ビッグバンの支持者の他にも、銀河系間空間や恒星間空間
の温度を計算した天文学者が30〜40年前からすでにいて、もしその温度と熱平衡状態にある微細粒子が存在して
それが観測可能ならば、絶対温度にして3K付近の背景放射が観測されうる可能性を提示していたのだ。

 しかも、ビッグバンの支持者たちがウィルソンとペンジアスの観測以前に予測した温度は、観測された数値の3.5K
よりもかなり高いものが多かった。
 にもかかわらず、天文学者のみならず、科学者一般の大多数は、この背景放射の観測をビッグバン説の絶対的な
勝利と見なした。そんな事実はなかったにもかかわらず、ホイル自身が彼の説の敗北を認めたというような噂を振りま
く人たちまで出てきた。
 その結果、定常宇宙論は大多数の人たちに無視されるようになり、一般的に異端論とまで考えられるようになって
しまった。

青色は杉岡がつけました。

 これまで歴史の表に出てこなかった事実が、明らかにされています。
これらの事実の前に、ビッグバン理論を信じてやまない人たちは、唖然として立ち尽くすだけかもしれません。

何度も述べますが、「世界の論争・ビッグバンはあったか?」(ブルーバックス、近藤陽次)はたいへんな名著です。
宇宙論に興味ある人のみならず、科学を志す人全員に読んでもらいたいものです。
これは一旦信じこんでしまった人間の危うさやもろさを、また科学における批判精神の大切さというものを、いやというほど
知らしめてくれる本だと信じるからです。



追加2002/9/23    <宇宙の大規模構造(グレート・ウォール)とビッグバン理論の矛盾>

 コンノ・ケンイチ氏の著書「死後の世界を突きとめた量子力学」(徳間書店)には、欧米では知られていても日本では
ほとんど紹介されない(意図的に伏せられている?)ような重要な事実が数多く指摘されています。
ビッグバン理論とグレート・ウォール(宇宙の大規模構造)の関係もその一つで、コンノ氏は、つぎのように述べビッグ
バン理論の奇妙な点を鋭く突いています。

「死後の世界を突きとめた量子力学」P.164〜166
・・・・・・・・・・・・・
 たとえば「馬のたてがみが後方になびいている」写真を見て「馬が走っている」と仮定しても、後になって別のムービー
を見ると「前方から風が吹いていただけ」というようなことである。「ビッグバン理論」や「アインシュタイン相対性理論」も、
これとまったく同じ誤りを犯しているのである。「ビッグバン理論」の基本となったのは、エドウィン・ハッブルが観測で見出
した「宇宙の赤方偏移」という現象を「銀河が離れ遠ざかっている」(馬が走っている)という運動状態と解釈し、あげく「宇
宙が膨張している」という仮定理論を数学的に発展させたことから始まった。
 膨張という運動には必ず「始まり」がある。ハッブルの膨張定数を逆算すると、「宇宙(時間と空間)は百五十億年前に
誕生した」となったのである。
 しかし、「ビッグバン理論」の原点となった「宇宙の赤方偏移」という現象は、銀河同士が離れ遠ざかっているという運
動状態をジカに確認したわけではない。「馬のたてがみが後方になびいている」という一枚の静止写真(あまりにも個々
の銀河は遠くにあるので、運動の直接確認はできない)を見て「馬が走っている」運動状態と解釈し、「どこからスタート
したのか、これからどうなるのか?」という推論を数学的観点から積み重ねたものである。
 しかし精度の高い別の写真やムービーで「馬が走っていなかった」ことが分かれば、ビッグバン宇宙論は直ちに崩壊し
てしまう。「ビッグバン理論」が崩壊の途上というのは、ハッブル宇宙望遠鏡のような精度の高い天体観測機器が打ち上
げられて、ビッグバン理論と大きく矛盾する現象が続々と発見されているからである。
 その最大のものに、宇宙の大規模構造(グレート・ウォール)の発見がある。
 ビッグバン理論では、宇宙が誕生したのは百五十億年前とされてきたが、ハッブル望遠鏡が発見したグレート・ウォー
ルが形成されるには、何と一千億年もかかるのである。娘の年齢が母親を上回るわけもないし、地球の山や海が地球
の誕生より古いわけもない。
 これだけではない。ハッブル宇宙望遠鏡の新たな観測結果によれば(もし、ビッグバン理論の基本とされてきた赤方偏
移でいう互いの銀河同士が離れ遠ざかっているという解釈が正しければ)、宇宙の年齢はビッグバンがいう百五十億年
前から半分の70〜80億年前に修正されてしまうのである。グレート・ウォールもそうだが、宇宙には年齢が百億年パル
サーのような天体もザラに存在するのである。七十〜八十億年しか経ていない宇宙の中に、百億歳や一千億歳のパル
サーやグレート・ウォールが存在するのは、どう考えてもオカシイ。
 これだけでもビッグバン理論の破綻は充分といえるが、だいたいビッグバンの基本「ハッブル定数」(宇宙膨張)が正し
かったなら、グレート・ウォールに見られる銀河集団のボイド(バスタブの泡のような表面に銀河が集合し、泡の中は何も
無い空洞)など形成されるわけもないのである。
 しかし、「宇宙の赤方偏移」は現実に観測される物理現象である。となると宇宙の赤方偏移という現象は、ビッグバン
理論がいう銀河が離れ遠ざかる(馬が走っている)運動状態を示すものではなかったことになる。・・・

註:赤色は杉岡がつけました。

 コンノ氏にしても、近藤氏にしても、勇気をもってこれらの事実を掘りおこしているその姿勢には心底敬服します。
日本では、どの学者も「ビッグバン理論は完全に正しい」という前提で論を進めていきますが、見ていて情けなくなります。
両氏のような「こういう解釈もあるが、こういう事実もあるのだから、このようにも解釈できる」という多様な解釈を公平に
並べて検討するという、そんな真摯な姿勢が日本人学者には欠けています。
批判精神を忘れ、ただただ「アインシュタイン万歳!インフレーションビッグバン理論万歳!」と流行に乗っかってすすむ
姿は、もやは学者のそれではありません。

科学者は、はやく気づかなければなりません。気づいた者の勝ちです。





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             桜井邦朋博士の言葉

  著名な天体物理学者・桜井邦朋博士(神奈川大学教授)は、「宇宙には意志がある」(徳間文庫)の中で、
 現代物理学の欠陥ともいうべき、数学偏重の危険性についてつぎのように述べておられます。
 これは、現代物理への警告ともとれましょう。

 「・・・
  物理学者の中には、数式を用いた表現ができさえすれば、それでよしと考える人たちも多い。
 方程式を解くことが物理学だと思い、その数式の物理学的意味を考えようとしない人が、往々にしている。
  しかし、そんなやり方では本当に物理学の研究ができるのか、私には疑問である。

   だから、「(数)式で書けば、こうなるから・・・」という説明をする人に対して、私は「その式の
  物理的な意味を分かるように説明してほしい」と尋ねることにしている。
  すると、たいていの人は「何てバカな奴だ」という顔をする。だが、それでも突っこんで聞いて
 みると、ちゃんとした厳密な説明ができる人は案外少ない。これは数式の持つ意味を曖昧にしか
 考えていないからである。
  物理学者ですら、こうなのだから、学校教育が数式偏重になるのも当然なのかもしれないが、
 これはなんとも残念なことである。
  今の若い人には物理学嫌いが多い、という話をよく聞くが、それは数式偏重のせいではないかと、
  私には思えてならない。・・・・(註:色は杉岡がつけました)



  これを読んだとき、全く同感!と心で叫びました。(私もいつもそう感じていたので)
 これは、現代物理そのものへの警笛といってよい。
 インフレーションビッグバン理論なども、まさに高度な数式の遊びにすぎず、無意味そのものと断言でき
 ますが(一般相対論が嘘ですからね)、上文から、現代宇宙論の脆さ、危うさをどうしても思わざるをえま
 せん。
  いえ宇宙論だけではないのかもしれません。
 「10次元の世界を予測し余分の6次元は微小な世界に巻き込まれているから観測できないのだ!
 主張するインチキくささがプンプンする超弦理論もどうか「じつは嘘でした」などとならないように祈るば
 かりです・・
                                                           M.S.