No.009
2023年04月30日

野村望東尼とは、どんな人物?
1806年~67年 幕末の女流歌人・勤王家。福岡藩士の妻。夫の死後尼となる。本名はもと子。大隈言道に和歌を学ぶ。高杉晋作・平野国臣ら志士の活動を援助した。歌集「向陵集」。 (教研出版刊 日本史辞典)


望東尼(博多人形)

流刑の途中

  野村望東尼(のむらぼうとうに)は、五十路を越えて仏門に入り、福岡平尾の山荘を基地として活動を広めた女流歌人である。幕末の尼は、尊王攘夷派の志士たちを鼓舞激励した戦う強い女でもあった。
 幕末にあって、当時佐幕思想の福岡藩主は、「乙丑の獄(いっちゅうのごく)」なる大弾圧を仕掛けた。望東尼は、囚われの身となって姫島(糸島市)の牢獄に閉じ込められることになる。鳥丸籠(竹製の網状に編まれた囚人護送用)にのせられて福岡城下から姫島に送られていく。一行はその途中、岐志の湊(現岐志漁港)で船出する間、村長の屋敷で休憩を取っている。
歌人として有名な望東尼は、村長に頼まれて和歌を詠んだ。

舟出するきしの浦波立かへりまたこの家にやどるよもがな

   
現在の岐志漁港
 
岐志港を出て姫島へ(後方が岐志港)
 
港のあたり
     
     

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