No.004
2023年2月26日

野村望東尼とは、どんな人物?
1806年~67年 幕末の女流歌人・勤王家。福岡藩士の妻。夫の死後尼となる。本名はもと子。大隈言道に和歌を学ぶ。高杉晋作・平野国臣ら志士の活動を援助した。歌集「向陵集」。 (教研出版刊 日本史辞典)


望東尼(博多人形)

望東尼の墓標

 望東尼は62才で亡くなっている。ところがこの墓標、54才の頃に建てられているというから、ちょっと首をひねりたくなる。つまりこのお墓、生前墓なのである。尼が、夫の死去を悲しみ、その隣に自分のお墓を拵えたというわけだ。
 尼が亡くなる頃、明光寺は上呉服町にあった。明治に入って何かと騒がしくなった博多の中心部を逃れて、閑静な吉塚に居を移したのだそうだが、今ではこのあたりもけっこう賑わっている。JR博多駅からタクシーで1000以内の場所であるから、当然なのかもしれない。明光寺には、ほかに黒田長政の正室栄姫遺髪の供養塔もある。
   
明光寺の山門
   
明光寺本堂
   
野村家累代の墓(左が望東の墓標)
     

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