No.003
2023年2月19日

野村望東尼とは、どんな人物?
1806年~67年 幕末の女流歌人・勤王家。福岡藩士の妻。夫の死後尼となる。本名はもと子。大隈言道に和歌を学ぶ。高杉晋作・平野国臣ら志士の活動を援助した。歌集「向陵集」。 (教研出版刊 日本史辞典)


望東尼(博多人形)

平尾山荘

 平尾山荘は、幕末の女流歌人野村望東尼が晩年を過ごした隠居所です。山荘と言えば、山の中の別荘を連想します。まさしくその通りで、明治の頃までは、小山が折り重なる谷間の静閑な場所でした。
 望東尼は、夫と二人で山荘で隠居暮らしを楽しみ、和歌作りに熱中しました。夫に先立たれた後は、仏門に入って心を磨きながら、尊王攘夷派の志士たちの後ろ盾にもなりました。この山荘を頼りにした志士の中には、長州の高杉晋作や福岡藩の平野国臣など、歴史上に名を残した人たちが数多くいます。

 春浅いうちに、小山を超えて平尾山荘に着いたとき、たった100年前は淋しい山の中だったことが信じられませんでした。周囲を見渡すと、高層のマンションが建ち並んでいます。全体が「山荘公園」になっていて、現在は福岡市が管理しているそうです。
資料館に入ってびっくり。私が知りたかった尼に関する資料が、わかりやすく整理されていました。
 思想信条の問題を抜きにしても、望東尼と平尾山荘は、江戸から明治の移り変わりを地元感覚で知るのに大変役に立ちます。
   
昭和初めの平尾山荘
   
望東尼の胸像
   
当時を偲ぶ山は街中の公園に



望東尼しのぶ会

西日本新聞23年12月4日朝刊に「幕末の志士を支援・野村望東尼しのぶ」の記事を見つけました。地元福岡市平尾地区では、明治維新以来望東尼の記憶を伝え続けてきたのですね。ボクも、現在進行中の「野村望東尼伝」を完成できるよう、頑張ります。

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