No.002
2023年2月12日

野村望東尼とは、どんな人物?
1806年~67年 幕末の女流歌人・勤王家。福岡藩士の妻。夫の死後尼となる。本名はもと子。大隈言道に和歌を学ぶ。高杉晋作・平野国臣ら志士の活動を援助した。歌集「向陵集」。 (教研出版刊 日本史辞典)


望東尼(博多人形)


 

延寿王院の幕末五卿

太宰府天満宮の参道を進んでいくと、突き当たりになにやらわけありそうな館が見えてくる。大きな石碑には「五卿遺跡」と記されている。
本サイトで掲載予定の「野村望東尼」に関連する、幕末の公家五人衆のことだ。尊皇思想を掲げたために、都を追われた三条実美ら五人衆が幽閉された場所である。延寿王院という。王院についての説明は機会を見て紹介するとして、今回は、ボクが五卿に惹かれたわけをお話ししたい。
 望東尼は、彼女が若き志士たちから、「勤王の母」と慕われたことからそう言われたのだという。尼は、博多から大宰府まで足を運んで、公家らと連絡を取りながら、志士たちを励まし続けたという。望東尼だけではなく、ここには薩摩の西郷隆盛など、数多くの勤王の志士たちが立ち寄っている。そんなことから、大宰府のこの場所は、「明治維新の震源地」とまで呼ばれたそうだ。
 「東風吹かば…」と書かれた石碑からのぞき込んだ先の、なにやら時代を感じさせられる館の様子は、確かにお公家さんたちにふさわしいたたずまいではある。大勢の外国からの観光客には、「関わりのない」場所かもしれない。だがやっぱり、ボクにとって現在執筆進行中のこの場所が誇らしい。梅ヶ枝餅を頬張りながら談笑する、修学旅行生にも教えてやりたいのだが。
   
参道の奥が延寿王院
   
延寿王院の正門

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