伝説紀行 伊保坂の命水 佐賀県旧三瀬村 古賀 勝作


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作:古賀 勝

第327話 2008年02月24日版

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 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢(とし)居所(いばしょ)なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしばだ。だから、この仕事をやめられない。

伊保坂の命水
(いぼんざかのいのちみず)

佐賀市三瀬村


伊保坂の泉  

 福岡市(筑前)から佐賀市(肥前)に通じる国道263号は、そのむかし「早良街道(さわらかいどう)」、或いは「肥前街道」などと呼んでいた。福岡市の西新を基点として、佐賀県との県境をなす三瀬峠(みつせとうげ)を越え、やがて佐賀平野にいたる。筑前博多と肥前佐賀を結ぶ重要な往還だったのだ。
 当時街道では、筑前−肥前間の通信手段として飛脚が大活躍していた。彼らは、健脚を武器にして、信じられないほどの身軽さで峠を一跨ぎした。

体弱って、もう一度飲みたい

年齢(とし)はとりたくないもんだ」と、縁側に座り込んで嘆いているのは七兵衛さん。(よわい)60の坂を越えて、めっきり体が細くなった。
 七兵衛さん、つい最近まで博多と佐賀を結ぶ街道を走る飛脚だった。特に彼の足は、仲間内からさえ「(つばめ)の七兵衛」と呼ばれたほどだった。博多方面から運ばれてきた書面や物を内野(福岡市早良区)で引き取り、峠の向こうの三反田(佐賀市大和町)の引継ぎ所まで届ける仕事であった。
 世の中が、徳川時代の終焉を迎えようとする時代である。国(藩)を越えた人と物の交流がますます激しくなっていて、七兵衛さんの仕事も増える一方であった。それだけに、我が身を思うにまかせないことがが悔しくて、切なくて仕方がなかった。
伊保坂(いぼんさか)の水ば飲みたか。あの水さえ飲めば、まだまだ三瀬の峠ば越ゆらるるばってんな」写真は、三瀬高原の旧街道
 最近の七兵衛さんの口癖になっている。「伊保坂の泉」とは、峠を越えて約1里(4キロ)ほど南に下った街道脇に、コンコンと湧き出ている泉のことである。行き戻り、泉の側に建つ伝照寺のご本尊に手を合わせた後、霊泉をいただく。元気を取り戻した七兵衛さんは、またスタコラと走り出したものだ。

若者に願いを託したが…

「それにしても、大丈夫かな、甚吉の奴」
 七兵衛さんが心配している甚吉なる近所に住む男。年齢は20歳を越えたばかりで、子供の頃から可愛がってきた。将来は飛脚の跡継ぎにと考えたこともあったが、口先ばかりが発達していて動きがもう一つ鈍い。旅回りの役者か噺家(はなしか)の方が似合っているかもと思うようになった。
 そんな甚吉は、親とも頼る七兵衛さんの願いを叶えようと、「親父(おやじ)さん、あっしがそん伊保坂(いぼんざか)の水を汲んできまっしょ」と言った。翌朝早く、格好だけは早飛脚の(なり)をして三瀬に向かって走り出す。
 朝暗いうちに内野を出た甚吉。山道が少しずつ険しくなるにつれ、息は激しく波を打つ。七兵衛さんの話だと、「どんなに足の遅い奴でも、四つ半(午前11時)には、伊保坂に着くはず」なのに、まだまだ上り坂の真っ最中だ。
 やっとこさで登りつめた三瀬の峠。ここから更に1里ほど急坂を下りたところに伊保坂はあり、そこに目指す泉があると聞いてきた。これから下りるのはいいとして、再び坂を登って来なきゃならない。手持ちの握り飯も食ってしまったし…。何とかよか方法はなかもんか?」

飲み分け利かぬ不甲斐なさに

 寝転がっている脇に、冷たい水が流れ出ている。掌ですくって飲んでみた。冷たいしなかなかに美味しい。「一度飲んだら元気百倍。親父さんが言っていた命の泉とは、こげな水のこつばいね」と一人合点する甚吉であった。
「同じ三瀬の水たい、峠でも伊保坂ん水でん、そげん変わらんち思うがね」
 勝手に納得して、持ってきた竹筒を満杯にすると、今来た山道を筑前内野へと下っていった。
「……」
 甚吉が差し出した竹筒を嬉しそうに受けとった七兵衛さん。一口飲んで首を傾げた。二口目を飲んで、今度は渋い顔に。
「甚吉よ。俺の命もあんまり長うはなかごたるな。」
「どげんしたとね、親父さん」
「いえな、この水が、どうもうもうなかとたい」
「何ば言いよらすと、親父さん。元気になってもらおうち思うて、わざわざ伊保坂から水ば汲んできたつじゃなかね。そん水ばそげん言われたんじゃ、俺の立つ瀬もなか」写真は、伝照寺本堂
 甚吉は、成り行き上剥きになって見せた。
「お前が悪かちは言うとらん。せっかく汲んできてくれた伊保坂の命水も、飲み分けが利かんごつなった我が身ば嘆いとるとたい。甚吉、俺が死んだら、骨ば三瀬の伊保坂に埋めてくれんね。そうすりゃ、あの世に行っても、いつでん腹いっぱい命水ば飲まるるけんな。これは遺言ばい」
「うへえ、また、三瀬ば登らにゃならんとですか、親父さん」(完)

 噂の伊保坂の泉は、三瀬峠を越えて、国道263号を約4キロ下った道路脇にある。以前お世話になった奥さんに、また案内してもらった。伊保坂らしい旧道も見当たらないのだから、案内してもらわなければ、とても泉を見つけることはできなかったろう。まして、「伊保坂」を「いぼんざか」なんて読むなんて、よそ者ではわかりっこないことだった。
 かつて七兵衛さんが飲んだ「命の泉」は、雑草に覆われたままで残っていた。手を差し伸べると、真冬の地下水らしく温かく感じる。
「地元のものでも忘れかけている伊保坂の泉のことばとりあげてくれて嬉しかですよ」と、案内してくれた奥さんに感謝されて恐縮した。
 話は変わって、三瀬峠に通じるの福岡側の山道のこと。早良区にあたるのだが、ヘアピンカーブを巨大なループ道に改造中。完成すれば、確かに便利になる。だが、これまでのトンネル通行料250円が300円に値上げされると聞いて嬉しさも激減。先の有料トンネルだってとっくに償還期限がきていて、無料化していてよいはずなのに。
 よほど急ぐ用事でもない限り、無料の旧街道を登る決意である。意地ででも。

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