伝説紀行 百堂坂 うきは市 古賀 勝作


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作:古賀 勝

第319話 2007年12月02日版

08.04.06

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 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢(とし)居所(いばしょ)なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしばだ。だから、この仕事をやめられない。

百堂坂の由来

うきは市(旧浮羽町)


かつて百堂が建っていた「百堂坂」

 成田屋(市川団十郎)得意の歌舞伎十八番、「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」に登場する助六は、実は曽我兄弟の弟五郎時致(ごろうときむね)のことだと言われる。また、五郎が愛する花魁(おいらん)は、五郎の兄十郎祐成(じゅうろうすけなり)の恋人虎御前の変形だそうな。
 その虎御前が、愛しいお方を供養するために各地に建てたお堂跡が、うきは市にもあると聞いた。福岡と大分の県境に位置する国道210号「道の駅うきは」のすぐ傍の「百堂坂」のことだ。

発端は曽我兄弟の敵討ち

 時は建久4(1193)年というから、鎌倉幕府が成立して源頼朝が征夷大将軍の地位に就いた頃のこと。
 富士の裾野のお狩場で大事件が起きた。頼朝催す狩りの最中、近臣の工藤祐経が曽我十郎・五郎の兄弟によって暗殺されたのである。十郎はその場で斬り殺され、五郎は後に処刑された。世に言う、曽我兄弟による敵討ちである。


百堂坂そばの道の駅

 十郎の恋人である大磯の遊女・虎は、黒髪を下ろしてふるさと大磯の地に庵を結び、兄弟の霊を慰めた。それだけでは気がすまず、やがて諸国行脚に出る。未だ19歳の若き身空であった。

ふるさとに似た地に庵を結び

 虎女が、筑後川のほとりにたどり着いたときは、旅立ってから既に5年が経過していた。荒涼たる平坦地を見下ろす山北郷(やまきたのごう)の台地(大野原(おおのばる))に立ったとき、彼女にはそこが懐かしい大磯の浜辺に思えた。高台から望む台地は、無限に広がる海(太平洋)にも見え、その向こう側のこんもりとした山(高山(こうやま))が、岬から見る高麗山にそっくりなのだ。台地には小さな雑竹や草が生い茂っていて、あたりに人が住んでいる気配はない。
 台地を望む高台に庵を結んでしばらくたって、腰の曲がった老婆が訪ねてきた。
「すぐ向こうの流川(ながれがわ)ちいうところに住んじょる婆じゃがな。わしの分も拝んでくれんかの」
 老婆は昨年夫を亡くして、今では狭い畑を耕しながら細々と暮らしていると話した。生きているうちはその存在を確かめることもなかったが、いざとなると、亡き夫が無性に恋しくなったのだそうだ。

法然の教えが恋人の供養に

「私が京都に立ち寄った(みぎり)、知恩院で法然上人から念仏の極意を説いてもらいました。仏を念じれば、あちらの世におられるお方との会話も叶いましょう。そのことを信じて、さあ私といっしょに拝みましょう」
 涙ながらに虎女の話を聞く老婆は、そのことを村中の老若男女に伝えた。そのうちに、大勢の村人が念仏堂を訪ねてくるようになった。
 山北の郷で庵を結んでやがて100日目を迎えようとする頃、虎女は村人に告げた。「私は、間もなく大磯で待つ十郎・五郎殿の墓近くに戻らなければなりません」と。
「私は、曽我十郎・五郎殿を弔うために諸国を回り、これまでにいくつもの庵を結びました。そこで法然上人の教えが浸透し、そのことがご兄弟の弔いにお役にたてたと信じております。そしてこの山北郷が…」
 やがて虎女は、大勢の村人に見送られて山北の郷を跡にした。(完)

 虎女の足跡は、「百堂由来」とともに全国に記されていると聞いた。筑後川周辺だけでも、第309話の小城市や福岡県広川町の「百堂塚」・「百堂山」、みやま市清水山中腹の叡興寺、旧山川町などいくつもみられる。赤穂浪士の忠臣蔵と同様、庶民の心を掴んだ「敵討ち」として後世に語り継がれてきたものだろう。道の駅そばの百堂坂に立ってみて、「曽我兄弟物語」の奥深さを感じたものだ。


みやま市叡興寺の曽我兄弟供養塔

 虎女の供養行脚が、その後どこまで続いたのかは不明だが、「百堂成就」のあと大磯に戻り、70歳でこの世を去るまで祈り続けたという。

大野原:戦国期よりみえる。日田・星野に通じる要路。
山北郷:平安期から見える郷名。筑後国生葉郡七郷の一つ。山北郷全体が観世音の封戸。
山北御封:平安期にみえる封戸郷名。生葉郡の内山北郷に設定されていた観世音寺の封戸が、11世紀のはじめごろそのまま寺領化し、隣接の大石封ととともに荘園的な支配を受けるようになったもの。
荘園:平安〜室町時代の貴族・社寺の私的な領有地。豊臣秀吉時代に廃止。

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