伝説紀行 ふうぞうどん 筑前町 古賀 勝作


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作:古賀 勝

第316話 2007年10月21日版

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢(とし)居所(いばしょ)なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしばだ。だから、この仕事をやめられない。

よか嫁女の条件

ふうぞうどん

福岡県筑前町(旧夜須町)


勝山集落近くの炭焼池公園

 筑前町役場付近から北方を望むと、典型的な田舎の風景が広がっている。稲刈り後の田んぼの背景は、低くもなく高くもない、しかも不揃いの山並みが連なる。三箇山(さんがやま)という。なるほど3個の山がその高さを競っているようだ。そのためか麓の集落の名も「三並(みなみ)」と呼ぶ。
 今回は、その山の中腹にある勝山という集落にお邪魔した。このあたり、少し前までの稼業は林業や炭焼きなどに限られていて、伝説の人「ふうぞうどん」も、そんな環境から生まれた“英雄”である。

炭は焼けども、貧乏暮らし

 江戸の世、三並村(みなみむら)の三牟田に住むおじさんが、勝山の炭焼き小屋で暮らす富蔵(ふうぞう)を訪ねてきた。富蔵は怠け人間で、毎日毎日炭を焼いているだけの貧乏暮し。何を食って生きているのやら、集落の人々は不思議でしようがない。
「そげな暮しばっかりじゃと、そのうちに本当に栄養失調で死んでしまうが」
 麓から登ってきた伯父さんの説教が始まった。


「ばってん、おっちゃん。おり(俺)にゃ、ここでのんびり炭ば焼いとくのが一番似合うとると」
「炭ば焼くばっかりで買うてくるるもんがおらにゃ、どうにもならんじゃろうが」
「ばってん、ときどき知らん人が来て、出来上がったもんば持っていかすばい」
「そいでおまや、炭の代金は貰よるじゃろね」
「代金ちは、どげな形ばしとるもんのこつね?美味(うま)かもんね」
「困ったもんたいね。稼ぐこつも銭のありがたさも知らんとじゃけんね」
 さすがの伯父さんも、あいた口が塞がらない。

ひょっこり、都から嫁女が

「そうそう忘れるとこじゃった。今日はお前の嫁さんばつれてきたとたい」
 先日村に一人の娘が迷い込んできた。伯父さんが言うには、その娘は自分の生まれは京の都のお姫さまだと。だが、身なりは粗末で、どう贔屓目(ひいきめ)に見てもお姫さまには見えない。娘は、「神さまのお告げにより、筑前の『ふうぞう』というお方と夫婦(めうと)になるために遥々やってまいりました。名を福代と申します」だと。
 小屋の表に待たせていた娘と顔を合わせた富蔵、想像した以上の愚美人である。が、すぐに思いなおした。「一生の内一度は嫁女(よめじょ)を…」と常々思っていたこともあって、「これも何かの縁」と考え、その日のうちに夫婦の契りを結んでしまった。
 そのうち、嫁の福世が「おまえさま」と、真剣な顔で話しかけてきた。「街に炭ば売りに参りましょう」と。
「何のために?」と(いぶか)る富蔵。「お金を稼ぐためです」、「お金を稼いでどうすると?」と返された福世は、黙って車力に炭を積み込んだ。

無造作に投げたものが…

 むりやり車をひかされ、後から福世が押せば、下り坂では前に進むしかない。山を下り、田んぼ道を横切りながら石櫃(いしびつ)(現筑前町石櫃)の街に向かった。途中大きな池にさしかかった。「あの鳥は?」、嫁の福世が池に泳ぐ鳥の名を訊いた。
「鴨じゃろもん。おまや、鴨も知らんとか」と切り替えした。
「鴨は知っていますが、食べたらうまかろうと思うただけです」だと。
 大切な嫁女の要求が鴨料理にあることを知った富蔵、懐から何やら取り出して、水鳥めがけて投げつけた。だが、日頃やりつけない運動ゆえか、鴨の群れは敵にアカンベエするふりをしていっせいに飛び立った。
「お前さま、今鴨に投げつけたのは何ですか?キラリと光ったようでしたが」
「ああ、あれね。ありゃ、これたい」
 富蔵が懐から取り出したのは黄金色(こがねいろ)した小判が1枚。嫁の福世がびっくりしたの何の。

銭は人によって生かされる

「お前さん、この小判をどこから?」と迫った。
「何の、こげなもん。小屋にはいくらでんあるが」と、こちらは平然としたもの。
 こうなれば商売どころではない。福世は車力を180度回転させ、今度は自分が前をひいて、亭主に後を押させた。
 富蔵が炭小屋の奥から運び出した箱の中からは小判がざくざく。
「これだけじゃなかつばい」と、次から次に持ち出す箱にも、こぼれるように詰め込まれた小判が…。嫁の知らせを受けて駆けつけた三牟田の伯父さんも、びっくり仰天。
「おまや、どっかの屋敷の蔵から盗んできたか?」と怒鳴り上げた。
「うんにゃばい(違います)。おり(俺)が焼いた炭はほんによう燃ゆるけん、ち言うて持っていかすどっかの知らん人が、その度に置いていかすとたい。こげなもんは食われんし、邪魔じゃけん、隅に放ったらかしにしとったと」だって。

 福世の発想で富蔵は、小屋の隅に放置されていた小判を元手に商売を始めたんだと。お陰で、勝山には富蔵夫婦が住む御殿のような長者屋敷が建てられた。「ふうぞう殿屋敷」というそうな。
「人間、偉くなるためには、まずはよか嫁女ば貰うこつたい。その嫁女も、顔やかたちより福を呼ぶ面相をした女がよか」とは、三並村の人たちの話し。(完)

三並村江戸期から明治22年までの村名。寛文初年より勝山で採れる竹を藩の旗竿に用いるようになった。また延宝年間には、六蔵という百姓がいて、開墾した芋河内開田がある。

 この話し、全国的に伝えられる「炭焼き小五郎」の話が下敷きになっている。調べてみれば、北海道から九州まで、似たような話がたくさんあった。それも、主人公が金持になった後、次の代まで延々と物語が展開さ

れる「大長編物語」が多い。内容は、あまり教養のない男が、賢明な妻を得て出世する話なのだが、その土地土地によって特徴を持たせている。写真:勝山集落奥の山林
 ここ筑前町では、背景の三箇山の景色と環境が見せどころ。勝山集落奥の山中を見てまわった。ほとんどが崖っぷちの状態に、槙や杉がそそり立っている。孟宗竹もこの山では幅を利かせる。そんな厳しい傾斜にも、2〜300坪くらいの平地はあった。ここがふうぞうどんの「長者屋敷」跡なのかと、一人合点しながら山を下りた。

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