伝説紀行   秀都橋  朝倉市秋月  古賀 勝作


http://www5b.biglobe.ne.jp/~ms-koga/

作:古賀 勝

第291話 2007年02月11日版
再編:2019.03.10

   プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です
             【禁無断転載】
        

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

野鳥川に架かる虹

秋月の秀都橋

福岡県朝倉市


野鳥川に架かる秀都橋

 秋月(福岡県朝倉市)は、黒田家(福岡藩主)の分家があったところで、今なお城下町の面影を色濃く残している。壁のようにそそり立つ古処山(860b)から流れ落ちる野鳥川を挟んで、武家屋敷と商家が混在する町だ。江戸時代には杉の大木が生い茂っていたという「杉の馬場」は、県内でも有数の桜並木に生まれ変った。
 情緒溢れる野鳥川には、そのまんま時代劇のロケに使えそうな石橋が何本も架かっている。「秋月橋」「秀都橋」「今小路橋」と続いて、「眼鏡橋」が観光客の目を惹く。今回紹介するのは、その中でもあまり知られていない秀都橋の由来について。

野鳥川に橋が欲しい

 江戸時代、野鳥川には庶民が通れる橋は架かっていなかった。彼らは、転がっている石を伝ったり、丸太を渡して行き来していた。上の写真のように水嵩が少ないときはまだいいのだが、いったん雨が降るとたちまち往来が不能になる。上流の杉の馬場まで遠回りして、お武家さんに遠慮しながら通してもらわなければならない。誰もが自由に渡れる橋が欲しいとの願いは、城下のすべての人の願いであった。
 按摩で生計をたてながら母親と暮らす秀都(ひでいち)にとって、その願いはなお一層のことだった。というのも、彼の場合生まれつき目が見えなくて、飛び石を渡るのさえ人さまに助けてもらわなければならなかったからである。写真:秋月城の長屋門
 わびしい暮らしの中で、長雨は食い扶持の枯渇にも直結しかねない。

自前で造れば可能かも

「何とかならんもんですかね」
 馴染みの葛屋の旦那の背中に跨って秀都が話しかけた。例の野鳥川に橋を架ける問題である。
「難しいと思うよ。何たって、お城が動きそうにもねえしな。お前もわかっておるじゃろが、この前の島原の役じゃ大変な金を使いなさったってからな」
「お江戸(幕府)のご命令で、キリシタンの一揆征伐に出かけなさった時のことでございましょ。長い戦いになって、しかもたくさんのお武家さんが亡くなりましたからね。そこんとこの事情は、わたしにだって少しは察しがつきますがね・・・」
「まだ諦めねえのかい、秀都どんな」
「はい、こちらもお(まんま)の食い上げになるかどうかの瀬戸際でして」
「いつもながら大袈裟だね、秀都どん。そんなに橋が欲しけりゃ、自分の銭でこさえるんだね」
 葛屋の旦那にあしらわれて、しぶしぶ引き下がった秀都だったが・・・。

それならと、稼いで、節約して

 それからである、秀都の働きにすごさが増した。これまでは一日に5人か10人しかとらなかった客を、一気に20人にまで増やした。文字通り、寝る間も惜しんでの仕事であった。稼いだ金は一文も無駄にしまいと、飯の質を落としたり、時たま味わう晩酌も封印した。
「一生のお願いでございます」
 秀都は、葛屋の旦那の紹介で橋大工の棟梁に会い、労賃先払いでの工事を頼み込んだ。
「いくらなんでも、そいつあ無理な話しだぜ」
 棟梁も、金の工面もない仕事は引き受けられないとそっけなかった。ここに来て思うようにお客もとれず、お先真っ暗の日々だった。
「母さんは先に寝るよ」
 珍しく、母親のタケが寝る前に声をかけた。
「何かあったのかい?母さん」写真は、秋月橋
 見えない目が母の後姿を追った。
「秀都、今はうまくいかなくても、仏さまはお前を見捨てはなさらないからね」
 それだけ言うと、タケはすぐに寝息をたてた。そして翌朝、母の心臓はとまっていた。

街中が協力して

「私には、神も仏もついてはくれないのか」
 この世で最大の宝と思っている母親に先立たれて、橋を架ける夢も消えてしまった。
「秀都どん、おるか」
 葛屋の旦那と橋大工の棟梁だった。
「もう駄目です。私には、橋を架ける気力が失せてしまいました」
 うなだれる秀都の前に、抱えきれないほどの小銭が投げ出された。
「???」
「これはな、橋を造るために野鳥村の衆が甘木の街を駆け回って集めた金だぜ」
 材木を買う金が調達できれば、もう橋の完成は約束されたようなもの。棟梁は今後の手間賃は俺のおごりだと言い出した。土木工事は村の衆が交代で奉仕した。不足した用金は、葛屋の旦那が賄うことになった。こうして、中町から今小路に跨る力強い橋が出来上がったのである。
「橋ができたことで、どれだけの人が助かることか。これもみんな秀都どんが、見えん目も厭わずに働いてくれたお陰たい。秀都どんとこの橋は、中町と向こう岸の今小路を繋ぐ虹のようなもんたい。そこで橋の名前を『秀都橋』とつけてはどうかと・・・」
  葛屋の旦那の提案に反対するものなどいようはずもなく、即決で命名された。これが今日にも残る秀都橋のそもそもである。この橋、その後の大水で何度も流されたが、すぐさま架け替えられて今日に至っている。(完)

 秋月は、そこに立つだけで江戸時代にタイムスリップできる町だ。お城の跡が中学校として使われていることも、周囲の景観を変えずにすむ要因になっている。訪ねたのは、異常気象で20度近くまで温度が上がった2月の上旬であった。平日のせいか、人通りはまばらである。みやげ物売り場や食堂も閉まったままだった。異次元の世界に迷い込んだような静かさであった。


写真:本丸跡に立つ秋月中学校

 野鳥川の岸辺に下りて、作業中の婦人に話しかけた。「秀都橋は趣きがありますね」と。「そうですかね、私らは、いつも見ているから当たり前の橋にしか見えませんがね」「何たって、この川の水がきれいで、気持ちがいいですよ」「そんなに持上げても何もでまっせんばい。見てみなっせ、こげん川底の石に汚れがついておりまっしょうが。これもみんな、石鹸水ば垂れ流すけんですよ。観光地らしゅうもなか」と、逆に吐き捨てられた。同じような話は、柳川の掘割りの汚れ具合でも聞かされた覚えがある。
 秀都橋のすばらしい雰囲気を幻滅させないためにも、やがては筑紫次郎(筑後川)に流れいく野鳥川を汚さないように心がけたいものだ。
  

ページ頭へ    目次へ    表紙へ