伝説紀行   お光の墓  久留米市田主丸  古賀 勝作


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作:古賀 勝

第290話 2007年02月04日版
再編:2017.04.09

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 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。
虐めの代償
お光の墓

久留米市田主丸町


柴刈地区の佇まい 

 旧田主丸町の片ノ瀬に、柴刈という地区がある。筑後川の土堤の下あたりで、平安期には「柴刈郷(しばかりごおり)」といい、明治以降になって柴刈村となった。片ノ瀬は、古くから筑後川水運の船着場として栄えたところで、今でも当時を偲ばせる古い町並みが残っている。また、福岡や久留米などの奥座敷としての片ノ瀬温泉も有名だ。


写真は、筑後川河畔の片ノ瀬温泉

 土堤に登って周囲を見渡せば、なるほど、豊かだった様子が伺える大きなお家が点在している。宝暦一揆の拠点であったり、時には大洪水で水底に沈んだりした場所でもある。そんな激しい歴史を刻む村も、今では穏やかな田園風景が広がっている。
 温泉宿の建つ土堤から見下ろす柴刈地区の塩足に、「お光」という娘さんの墓があると聞いた。

前妻さんが死んで虐め始まる

 明治の初めの頃だった。柴刈村でも一二を争う大きな屋敷には主人の正三郎と後妻のさつき、それに娘のお光と弟の正夫の4人が暮らしていた。正三郎は、片ノ瀬の船着場を仕切る村の顔役で、大勢の使用人を抱えて羽振りのよいこと。妻のさつきは、3年前に前妻月子が死ぬまではこの家の女中頭だった。妙に色っぽいところがあって正三郎の浮気心を誘い、月子の葬儀が終るとすぐに正妻の座に着いた。
 月子の死因について、店の中でも近所でも、ただならぬ噂が飛び交った。月子が元気なうちから、正三郎は屋敷内でさつきと夫婦以上の態度をとっていたからである。忍耐の日々を送っていた月子だったが、ある日突然腹が痛いと言い出して、そのままあの世に旅たってしまった。
「お光ちゃんが可哀そう」、店の者たちは、とり残された未だ13歳になったばかりのお光のこれからを案じた。案の定、喪も明けぬうちに、さつきは陰に陽にお光を(いじ)めだした。

耐える娘は何を訴える

「お光、街まで魚ば運んでこんね」
 か弱い女の子には酷な10`もの魚を田主丸の料理屋まで一人で運べというのだ。しかも、弁当も持たせず、寄り道を一切許さないことまで言いつけた。
「わしがひとっ走り行ってきますけん」
 店の若い者がお光の代わりを買って出るが、それもさつきは許さなかった。惚れた弱みというか、父親である正三郎は、そんなさつきのなしようを見て見ぬ振りである。
「ろくにご飯も食べさせてもらえんのじゃな」
 隣に住むお婆さんが、お光を呼び寄せて、こっそりおにぎりを頬張らせたりした。
「うちが気がつかんけん、お母しゃんば怒らせると」
 けなげに継母を(かば)う少女がいじらしくて、老婆は皺くちゃの顔を更に皺くちゃにして涙した。日一日と痩せていくお光は、目だけをギラギラ光らせるようになった。それはまるで、天国にいる実母に何かを訴えるかのようでもあった。
 そんなある日、お婆さんのもとに倒れこんできたお光の体は火がついたように火照(ほて)っている。
「お婆ちゃん、あのな・・・」
 お光は、お婆さんの耳元に口を近づけると、悲壮な表情で何やら話しかけた。

虐めた人は牢屋の中

 お光は間もなく息を引き取った。「やれやれ」、葬儀を出すのももったいなかったかのように、笑顔を浮かべるさつきを、久留米から来た警官がしょっ引いていった。前妻月子を毒殺した罪だった。誰かが通報したものだった。
 その日を境に、看板がはずされ、店や屋敷から人影が消えた。いつの頃からか、主人の正三郎と息子正夫の行方もわからなくなった。
「お光ちゃん、もうよかばい。そろそろ成仏ばせんね」
 何年かたって、塩足の田んぼの中の小さな土盛に野菊を供えながら、語りかける老婆がいた。夜毎、廃屋になった屋敷にお光らしい亡霊が現われて、人々を悩ませていることを言っている。老婆の傍に寄ってきた初老の男が、誰に言うとなく(つぶや)いた。
「後妻さんもとうとう牢屋の中たいね。奥さんば(あや)めち詰め所に知らせたつはいったい誰じゃろね?」
「あたしゃ、知らんばい。お光ちゃんからも、後妻さんが悪かこつばしよるとこば見たてんなんてん、何も聞いとらんけんね」
 老婆は、お光の最期を看取った例のお婆さんである。そして、老婆の傍で独り言を呟くのは、かつて主人に、「お光ちゃんを助けて」と言い残して店を出た番頭の藤助であった。(完)

「周囲を竹藷(たけいも)で蔽われた小高いところに、哀れ短い一生を悲涙の行路に尽くしたお光の墓がある」と、資料には書いてあった。「資料」はそうとう以前に書かれたもので、時代が当時の世相をも風化させたのか、それらしい墓は見つからない。
 冒頭にも記したように、この地域は洪水や一揆など、激しい歴史を積み重ねてきたところである。でも、温泉宿の主人と話をしている限りそんな暗さは微塵も感じさせない。「鯉とりマーシャンはの、あげん簡単に鯉ば捕まえられたのは何故か。それはさいの・・・ 本当は、マーシャンは、水の中より山の中を走り回る方が得意じゃったと」など、懐かしい楽しい話をしてくれる。
 土堤から下りていくつかの集落を見てまわった。気がつくことは、むかしながらに点在する墓所である。戦後、土地の有効利用のために墓をまとめたり納骨堂を建設することが流行った。でもこちらは、部落別に或いは各戸別の墓が多くみられる。中には、名前も記されない「無縁」の墓も。これもまた、筑後川左岸の穀倉地帯を物語る歴史の証人なのかもしれないな。

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