伝説紀行   バタバタ市  朝倉市甘木  古賀 勝作


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作:古賀 勝
第289話 2007年01月28日版

2008.01.06 2009.01.11 2017.01.08 2019.01.06

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 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。
 

ばたばた市の始まり

甘木山安長寺

朝倉市甘木町

 
バタバタ市でお参りする方々

 甘木の名物といえば、正月4〜5日に開かれるバタバタ市と、そこで売られる豆太鼓だろう。この太鼓、竹ひごを丸く曲げて和紙を両面に張り、太鼓の形にした上に(わらべ)の顔を描いただけの簡単なもの。太鼓の左右につけた糸の先の大豆が、バタバタと快い音を鳴らすところから「バタバタ市」の名前がついたんだって。市が開かれる所は、町の中心部に建つ安長寺の境内とその周辺。
 安長寺の創建は、延喜20(920)年というから古刹としてもひけはとらない。寺を開いたのは、この地方の豪族で甘木近江守安長というお人だそうな。そこで地名が「甘木村(あまぎむら)(後の甘木市)」になり、寺の名前も「甘木山安長寺」(かんぼくざんあんちょうじ)とあいなった次第。
 安長寺の門前町が、東西と南北に伸びる往還の要にあったことから、市(いち)が立つようになった。それがバタバタ市の始まりとなる。市で売り出される豆太鼓も、寺が授ける疱瘡(天然痘)除けのお守りから始まっている。ワクチンの開発で天然痘は根絶されたが、以前は一度かかると死を覚悟しなければならない怖ろしい病気だった。だから、民にとって安長寺は子孫を繁栄させるために欠かせない地蔵さんだったわけ。
 さて、そんな怖ろしい病気と、安長寺の門前町と、どこでどう結びつくのか。

開祖は幼時に疱瘡を患った

 時は醍醐天皇が君臨した平安時代である。夜須郡(やすのごおり)馬田郷(現朝倉市甘木町)に住む甘木安長が、難しい顔をして考え込んでいる。「どうしましたか?」と尋ねる夫人。バタバタ市で売り出される豆太鼓
「わしが今ここにあるは、矢田寺の地蔵菩薩のお慈悲のお陰。何とか恩に報いる手立てはないものかと…」
 矢田寺とは、現在の奈良県三条寺町にある寺で、同じく大和国にあった金剛寺(奈良県大和郡山市)の別院として建てられたもの。この寺の本尊は、地蔵菩薩である。地蔵菩薩は、釈迦が亡くなった後の56億7千万年の間を埋めて、人々の安泰を授けた神さまなのである。
 安長は、子供の頃まで、父安道の仕事の都合で大和の国で暮らした。5歳の頃に、体中に泡のようなできものが吹き出して、何日も高熱が続いた。今でいう「疱瘡(ほうそう)」である。この病気にかかれば、大概の子供が命をなくした時代であった。
 父の安道は、信仰する矢田寺に籠もって、息子の疱瘡退散を祈願した。

疱瘡:痘瘡即ち天然痘の俗称。または、種痘及びその痕のこと。いもがさ。もがさ。豌豆瘡。(広辞苑)

地蔵菩薩に命を救われ

「安道、起きよ」の声で目を覚ますと、右手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、左手に小さな壷を抱えた地蔵菩薩が立っておられる。
「そなたの願いを聞き届けてしんぜよう。一刻も早く、これなる薬草を子息に飲ませるがよい」
 気がつくと地蔵菩薩の姿は消えて、目の前に薬草の入った壷だけが残されていた。
「ありがたや、ありがたや」


安長寺の大楠


 安道夫婦と安長は、矢田の地蔵尊の恩を忘れまいと心に誓いながら、次の任地である筑紫国へ向かったのであった。あれから30年、父母は既に他界し、安長は夜須郡の荘園を護る豪氏として活躍している。

矢田の地蔵さんの分神が安長寺

「それならば、矢田のお地蔵さまをこの地にお迎えなさりませ。さすれば、身近で毎日拝めますし、里の者たちも喜びましょう」
 夫人の発案で、安長は早速大和の国に旅たった。矢田寺から地蔵尊の分神をいただいた後、屋敷内にお堂を建ててお祭りした。これが、今日に至る安長寺の始まりである。
 安長を慕う里人は、「疱瘡を治してくれるありがたい地蔵さま」として、お参りを欠かさなかった。疱瘡治癒が疱瘡除けになり、延命地蔵さまとして、お堂の周りに多くの人が住み着くようになった。人が集まれば、物流の交易も盛んになっていく。そこで始まったのが、バタバタ市である。バタバタ市で売り出される豆太鼓の豆が、疱瘡の時の吹き出物に似ているところから、「疱瘡除けお守り」となったのだろうか。
 市は毎月2日・4日・7日と開かれたために、二日市・四日市・七日市などの地名が現在も残っている。(完)

 安長寺の境内に入ってまず驚かせれるのが本堂裏手の大楠である。天をも覆ってしまうほどの大木で、寺の歴史の長さを証明してくれる。
 ご本尊
(地蔵菩薩)のご利益はというと、子授け・安産・育児・健康・学業成就・受験等、子供に関する願いごとならなんでも有りだ。もともとは、「疱瘡(天然痘)の治癒と予防」であったことから、子供に関する願いごと一般に発展したものだろう。安長寺のご先祖である矢田寺のホームページによれば、地蔵尊の一体は指を結んでおり矢田型地蔵と呼ばれている。もう一体は、右手に錫杖を持っておられるとか。


豆太鼓を買い求める人々


 安長寺の親方分にあたる矢田寺には、大阪勤務の折に何度か訪れている。町の片隅に、まさしく民間信仰の典型的ななりで建っていた寺院のことを思い出す。そこの「縁起」には、地獄の業火の中で苦しむ人たちを助けてまわる僧が、実は人界に戻って自分の姿を造った地蔵菩薩だと書いてあったような気がするのだが…。(07年1月27日)

 初めてバタバタ市を見学させてもらった。まず、境内の内外が予想以上に静かなことに驚いた。次に、新聞報道を見て駆けつけたのに、豆太鼓が売り切れていて歯がゆい思いをさせられたこと。周囲の人たちも同じ思いをぶちまけていた。少々売れ残っても、門前町のおもちゃやさんなどで売れるはずと思うのだが。
 しかし、お参りする善男善女の清清しい表情には、暗い世相の中でほっと一息入れたような安堵感に包まれる。ご住職を含めて、寺総動員で参詣客に応対している姿も、とても印象的でした。(2009年1月5日)

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