伝説紀行   筒川非情  久留米市  古賀 勝作


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作:古賀 勝

第280話 2006年10月29日版
再編2019.07.20

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 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

筒川非情

塩漬けの墓

福岡県久留米市


久留米南薫地区を流れる現在の筒川

 通外町の五穀神社境内を、縫うようにして流れる小川がある。筒川と呼ぶ。お宮さんの裏手は公園になっていて、競技場や動物園などで終日賑わっている。だが、数十年前まではレンコン畑が連なり、人が近づくことも少なかった。
 この筒川、北上した後はぐっと左折して国道3号を潜り、やがてお寺さんが集合する寺町辺りに向かう。久留米の市民でもほとんど知らない“日陰の川”を、得意の僻目(ひがめ)で観察していると、江戸時代に起こった悲しい出来事に出くわした。

遍路さんを一刀両断に

 田植も終って、ヒキガエルの「ガーガー」騒ぐ声だけが聞こえる日暮れ刻。人呼んで「饅頭笠まんじゅうがさ)」を深々と被った遍路姿の女が、筒川沿いをとぼとぼと歩いてきた。
「博多までは10里(40`)だとか。待っていれば、娘は会いに来てくれるだろうか」
 女は、時々目じりにたまった涙を拭きながら、呟いた。
「おい、そこな女子(おなご)!有り金寄こせ」
 眼前に躍り出た男が、ドス(刀)をちらつかせながら、迫ってきた。
「どうぞ、命ばかりはお助けください。私奴は、筑前博多に住む娘に会わなければ死ねません。その後でしたら、こんな命なんてちっとも惜しくはないのですから」
 跪(ひざまず)いて哀願した。
「しゃらくせえ。ぐずぐず言わずと、早よう銭を寄こしやがれ」
 追剥(おいはぎ)は、女から銭袋をひったくると、左肩から右下へ袈裟状に斬り捨てて逃げ去った。

捨てた娘に会いたくて

「助けて〜、どなたかおられませんか〜」
 悲鳴を聞きつけて、寺男の伍助爺さんが駆けつけた。倒れている女は、虫の息を奮い起こすようにして、爺さんにしがみついた。
「お慈悲でございます。私の願いを聞いてくだされ」
「わかった、わかった。言い残したいことがあったら早く…」


現在の筒川

 爺さんは、一言一句も聞き漏らすまいと、右の耳をおんなの口許に寄せた。
「私は、肥後(熊本)の菊池から参った者でございます。20年前に別れた娘に会うためでございます。暮らしが苦しくて、久留米のお方に娘を預けたことを謝りたくて…。しかし娘は久留米にいませんでした。養父母ともに博多に屋移り(やうつり=引越し)したとのことでございます」
「うんうん、それで…。お前さんの願いとは?」
 だんだん細くなる声に苛立ちながら、爺さんは聞き入った。
「はい、私が被っている饅頭笠の織り目のところと着物の襟に、お金を縫い付けてあります。親の身勝手で手放した娘への、せめてものお詫びの印です。娘に手紙を出しましたゆえ、いずれこの地に参ると存じます。それまでの間、お金を預っていてくだされ」
 そこで女の声が消えて、息絶えた。

塩漬けにして娘を待つ

 人のよい伍助爺さんは、何とか母の姿を拝ませたいと思った。だが、蒸し暑い梅雨時とあって遺体はすぐに腐ってしまう。
「そうだ!」、爺さんは、魚屋が魚の鮮度を保つためにとる方法を思い出した。棺桶の遺体の周囲にびっしり塩を詰め、娘がいつ現われても良いように立て札を立てた。だが、娘は100日たっても現れなかった。
「20年も放っておいて今さら母親だと名乗られても…」と、娘は実母の要請を拒絶したのであろうか。「悲しいのう」、爺さんは遺体を寺の裏庭に埋めながら、涙が止まらなかった。
 伍助爺さんが建てた墓碑を見て、近所の人は代わる代わる草花を手向けたそうな。それも、歳月とともに人々の記憶から遠ざかっていった。伍助爺さんも亡くなり、いつの頃からか、墓の位置すらもわからなくなった。後には、墓所全体を指す「塩漬けの墓」の名前だけが残ったそうな。(完)

 今回の取材は、困難を極めた。まず、「塩漬けの墓」なる寺や墓所が見つからない。舞台となる筒川も、右に折れたり左に曲がったりで、追いかけるのが大変だった。「塩漬けの墓」を求めて上流から下流へと向かった。西鉄電車の線路にぶつかって切れた小川は、反対側のずっと向こうで顔を出す。川岸に道がないのも困ったものだ。遠回りして川の位置に戻ったつもりが、忽然と姿を消している。
「どこが塩漬けの墓というわけではなくて、日陰の川のイメージがそんな悲話を生んだんじゃなかでっしょかね」とは、途中道を尋ねた土地の古老の弁である。川と同じく、どこかに隠れている件
(くだん)の墓を見つけたら、改めてご報告申し上げます。主人公のお遍路さん、安らかにお眠りください。

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