伝説紀行  頭のよかカッパ  筑後川


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作:古賀 勝

第277話 2006年10月08日版

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 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

頭のよかカッパ

筑後地方


水天宮下の筑後川

 筑後川に棲む9000匹のカッパを束ねるのは九千坊(くせんぼう)。九千坊は、本欄で幾度となく登場してきた。また、カッパの祖先が、大陸から八代の球磨川河口に渡ってきて、その地に棲み付いたものや日本各地に分散したものなどさまざまなことも紹介した。 九千坊率いるカッパの祖先は、八代湾から有明海に入った後に、筑後川を永住の棲家に決めたものだった。
 カッパの背格好は、小学校の上級生くらいで、髪の毛の中ほどが薄くて、丁度頭に皿を載せているように見える。皮膚は全身濃い緑色で、体臭がキュウリのように青臭いのが特徴だ。日頃は小魚を食べて暮らしているが、たまには陸(おか)にあがって人様がつくったキュウリを食するせいで、皮膚臭までそうなってしまったのか。
 カッパの性格は、まず女垂らしであること。特に人間の美人を見たらやたらとプロポーズしたがる。次に、何故か相撲をとるのが大好き。誰彼かまわず試合を挑もうとする。
 さて、平成18年度のカッパ伝説を締めくくる今回は…。

清盛入道はカッパの守り神

 時は数百年前だったか。頭領の九千坊が、筑後川の見回りを終えて、半年振りに本拠地の久留米瀬ノ下に戻ってきた時のことだった。水天宮のご祭神である平清盛入道の奥さんの二位の尼に挨拶するため、境内に参上した。カッパは没落した平家のなりの果てだと言う人もいるが、それは違う。しかし、いちいち反論していてもしようがないから、ご祭神をカッパ族の守護神だと決めて敬っている。
 拍手(かしわで)を打って、「払え給え・・・」を唱えると、しばらくはカッパ一族の安泰が保証されたような気になる。祈祷を終えて川に戻ろうとすると、土堤の向こうから鍬を担いだ農民三人が、ワイワイガヤガヤ騒ぎながら近づいてきた。


写真:久留米水天宮本殿

「この頃土堤ば歩きょっとさい、すぐカッパが出てきて相撲とろう、相撲とろうち言うもんない。相手も細(こま)いし、しぇからしかけん(面倒だから)、そんなら一番ち思うち立ち上がると、体中がヌベヌベで、張り手も空振りばっかり。相撲になる前にすぐ手を突いてしまう」
「この頃じゃ、名物の筑後川土堤のアベックも、寄り付かんごつなってしもうたもんない」
「困った、困った」
 そこで、村の男どもが社務所に集合して、カッパ追放のための会議を重ねた。

川原で江戸の大相撲

 何日かたって、水天宮下の川原に、立派な土俵が設(しつら)えられ、川に向けて大きな看板が立った。

「来る○月○日 正午より 江戸大相撲興行 横綱太刀の山・大関富士の嶺が激突!」写真は、水天宮そばを流れる筑後川
 朝から久留米中が大騒ぎ。日本中の人気を独り占めしている太刀の山が、久留米に来るなんて夢のような話だと。しかも、土俵が筑後川の川辺とは勧進元も粋な計らいをしたもんだ。もちろん、相撲が俗技にもなっているカッパども、人間相撲の最高峰がどんなものか興味津々であった。
 実はこの大相撲、社務所に集まった衆が考えた、「カッパ追放」のための策略だったのである。博多で興行する一行に、無理を言って久留米まで来てもらい、水天宮下での大会とあいなった次第。
 あの迫力を目(ま)の当たりにすれば、さすがのカッパも人間の力に慄(おのの)くだろう。さすれば、二度と相撲をせがまなくなるに違いなかとは、社務所での目論みだった。
「はっけよい!」
 金ぴかの装束に派手な烏帽子を被った行司の軍配が返ると、横綱と大関が真正面からぶっつかった。
「はっけよい、残った、残った!」
 川原を埋めた観衆から大歓声が巻き起こる。

策略を上回る計算

 よく見ると何だか変。水天宮の境内から土俵まで、立錐の余地なく観衆で埋まっているというのに、土俵から川面までは「カッパ様以外は立ち入り禁止」の立て札が立っている。「ワーワー」の歓声を聞いて、ポツリ、ポツリと川から這い上がってきて、そちらも間もなく濃い緑の生き物で埋め尽くされた。
「ハッケヨーイ!」
 横綱太刀の山が四股を踏むと、「どすーん」と音がして、地面が揺れ、筑後川に大波がたった。その拍子に、見物中のカッパどもがいっせいに水に飛び込んだ。
「これで、カッパも懲りたろう。若者よ、大いに彼女を誘って土堤でのデートを楽しむがよい」
 なんて、楽観論者が叫んだ。だがどっこい、カッパの相撲好きは、彼らが考えるほどに半端じゃなかった。九千坊を真ん中にして、特等席で観ていたカッパたちが、太刀の山と富士の嶺の取り組みを徹底分析した。
 そこで得た結論は…。
 翌日、水天宮そばの土堤を歩いていたカップルにカッパが寄ってきて、「ねえ、そこのよか男、相撲をとろうよ」とねだったものだから村中が大混乱。
 九千坊は、頭の勝負で人間に勝利した後、幹部カッパを集めて訓辞をした。
「これしきのことで人間を甘く見るでないよ。江戸の永田町や霞ヶ関なんてとこには、策略をどうぶち破るか、その上の上ばかり考える有象無象(うぞうむぞう)ばかりというから…。謙虚に、謙虚に」

 筑後川には、60年前までカッパがウヨウヨ棲息していた(らしい)。だが、あの忌まわしい久留米大空襲に驚き慄(おのの)いたのか、戦後目撃したものは皆無だという。(完)

 カッパとは、巷間噂されるように、人間にとって決して悪い生きものではない。特に筑後川のカッパは、田んぼの水を汲み上げたり、害虫を駆除してくれたり、それはもうよいことずくめだった。玉に傷は、人間の女に惚れやすいことと、嫌がるものに相撲をねだる癖だけ。庇(かば)うわけじゃないが、カッパは人間や馬を溺れさせたりは絶対にしなかった(はず)。キュウリや茄子(なすび)を盗むというのも違う。収獲を終えて、売り物にならない取り残された野菜(かがりあげ)をいただいて食べるだけのことだったのだから。
 久留米大空襲でいなくなった筑後川のカッパの再来を期待して、今日も川原を行ったり来たり。

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