伝説紀行  孫太郎観音  佐賀市(旧三瀬村)


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作:古賀 勝

第274話 2006年09月17日版

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 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

孫太郎観音

佐賀市三瀬村


孫太郎観音堂

 福岡と佐賀の県境・三瀬峠(みつせとうげ)から佐賀市方面へ2キロほど下りていくと、右手に鬱そうとした杉木立が見えてくる。杉神社だ。土地の人は「杉屋敷」とも呼んでいる。創建時に植えられた杉の木1万本が名前の由来らしい。
 杉神社と街道を挟んで向こう側に、由緒ありげな観音堂が見えた。孫太郎観音と呼ぶお堂の周辺を、「孫太郎屋敷」ともいうそうな。杉神社と孫太郎観音の関わりについて、「屋敷内」で雑貨屋を営む園田さんに尋ねた。

ご神木が邪魔になる

 数百年もむかしのこと。今原の里(現佐賀市三瀬村今原)に、幹周りが30間(54b)もある巨大な杉の木が立っていた。朝夕には2キロ先まで日陰になってしまうほどのお化け杉だった。
「爺さんよ。村のためだ、あのを伐ってくれないかな」
 相談を持ちかけたのは、村の世話役をしている浜五郎。相談されているのは、いつの頃からかこの地に住みついている木こりの孫太郎さんである。


孫太郎観音像


「何ば罰当たりなこつ言うか。あの木には神さまが宿っておられるとぞ。ご神木ば伐ったら、どげな祟りがあるか…」
 爺さんは、話しながら身震いをした。
「ばってん、このままじゃ穀物も野菜も何も採れん。村中が飢え死にたい」
 浜五郎は、ブツブツ言いながら帰っていった。翌朝、「トーン、トーン」と斧を打ち込む音で目を覚ました浜五郎、取るものもとらずに大杉の根元に駆けつけた。孫太郎さんが大きな斧で杉の大木と格闘しているではないか。

信心が足りん

「この杉には神さまが住んでござるち言うたじゃなかか?杉も困るばってん、神さまの祟りの方がもっとえずか(怖い)
「ばってん、このまんまじゃと、村のもんが飢え死にするとじゃろ」
 それから5日たって、浜五郎が様子を見にきた。すると爺さんが杉の根元にへたり込んでいる。
「斧を打ち込んでも打ち込んでも、翌朝には切り口が塞がってしまう」
 翌朝もう一度出向くと、昨日とはちょっとばかり様子が違っている。爺さんの持つ斧が軽そうだし、切り口もどんどん奥深くまで進んでいく。その分周囲には木屑が積み上げられた。
「爺さんよ、いったいこれはどげんなっとるんだ?」
 ひと休みしたところで、孫太郎さんがやっと重い口を開いた。
「実はな、ゆんべ(昨夜)遅く、見たこともなか年寄りが現われてな」
「ふんふん、その爺さまがどうしたと?」
「神さまが宿る木を伐るち言うのに、神さまへの崇敬の念が足りんち言われた。これからは、仕事の前に火を焚いて、山の神ば拝めち。それから…」
「ふんふん」

斧に血流しを

「打ち込んでも打ち込んでも、翌朝には木屑が元に戻るのは、わしの持っている斧がいかんのじゃと。それで鍛冶屋に行けだと」
「鍛冶屋に何しに?」
「斧の両側の棟(刃先と反対側)に川の字の血流し(溝)ば刻めち。そうすりゃ、斧は軽くなるし切れ味もよくなるち。杉の木にも命があるけん、命を支えている杉の血が斧を伝って流れやすかごつ川の字に刻めばよかち教えてくれた。そこで、鍛冶屋に行って血流しば彫ってもろうたら、この通り」
 それから1週間が経過した。木の根元には洞穴のような大きな切り口があいた。
「浜五郎、東側に住んでるもんに、ご神木の西側に回れち言うて回れ!」
 幹周り30間もある杉の巨木が倒れる瞬間がやってきた。
「浜五郎、最後のひと打ちだ。危なかけん遠くに下がってろ」
 孫太郎爺さんは、自慢の大斧を担いで切り口の中に消えていった。それから間もなく、杉の巨木は「ムシムシ」と気持ちの悪い音を鳴らしながら、東を向いて傾いた。倒れこんだ瞬間、轟音とともにつむじ風が舞い、地面が大揺れした。
「爺さん!孫太郎爺さん!」
 遠くで眺めていた浜五郎が、叫んだ。未だ倒れた木の唸りが鳴り止まないなか、伐り倒された株に走りよって孫太郎さんを捜した。だが付近には陰も形も、そして爺さん愛用の斧の端くれさえ見あたらなかった。

ご神木とともに消えた老人

 今原の里が、燦燦と照る陽の光でぱっと明るくなった。だが、村人たちの表情は冴えない。行き場所を失った神さまの仕返しが怖かったからである。
「こんな時、あの爺さんがおってくれたらな」
 浜五郎は、今になって命を投げ出してまで村を救ってくれた孫太郎さんの存在を知らされていたのだ。
「ばってん、孫太郎爺さまちは、いったい何者じゃろうかね。突如村に現われて、ご神木といっしょに姿を消しなさったが…。あっ!」
 ひょっとしてあのご神木の化身かもしれんな、孫太郎さんは。村の窮状を知って、自らの命を犠牲にして援けてくれた。火を炊けと言うのも、斧の棟に樋(ひ=血流し)を撃てちいうのも、みんな爺さんが神さまだからわかることじゃなかかな。
 今原の人たちは、大杉が立っていた場所に祠を建て、孫太郎さんを神さまとしてお祭りした。その際、身代わりになった大杉に代わって、祠の周りに杉の苗を1万本植えた。これが、現在三瀬村(佐賀市三瀬)住民の守護神として親しまれている杉神社と観音さまのそもそもなんだって。(完)

 お話しを聞かせてくれた園田さんは、80年前に孫太郎屋敷で生まれ育った、根っからの土地の人だそうな。旦那さんといっしょに、毎朝毎晩杉神社や観音堂を見守ってこられたとか。「私がこまか頃、家の裏にそれは大きな杉の切り株が残っとりました。おそらく孫太郎さんが伐った大杉でしょうね」。伝説の根拠はしっかり存在していたのだ。写真は、杉神社の杉の古木群
 神社境内に一歩足を踏み入れると、冷房をきかせた部屋のようにひんやりする。それもそのはず、境内全域に植えられた杉の古木が枝を張って、陽の光を遮っているからだ。中でも目立つのが樹齢800年の古木。「孫太郎さんの杉は、あげな
(小さな)もんじゃなかったですよ」とこれまた一蹴された。朝日が昇ると、2キロ離れた北山ダムあたりまで日陰になったという杉、切り株だけでもいいからお目にかかりたかったな。
 三瀬高原ではもう稲刈りが始まっている。黄金色の田んぼを蛇のようにくねりながら通っているのが旧街道
(肥前路)。その遥か向こうの背振山脈は、まるで下界(筑前)の煩わしさを寄せ付けまいとするようにして立ち塞がっている。
「三瀬峠は、伝説の宝庫ですよ」。別れ際に園田さんがふるさとを大いに自慢された。
(2006年9月12日取材)

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