伝説紀行 札の辻  うきは市(吉井町)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第267話 2006年07月30日版
2016年09月18日再編
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。
札の辻の古狸

福岡県うきは市(吉井町)


札の辻の三叉路

 旧吉井町を東西に貫く国道210号は、むかしから筑後(福岡県)と豊後(大分県)を結ぶ重要な街道であった。今も白壁屋敷が連なる国道筋に、「札の辻」なる三叉路が見える。吉井の町は、戦国末期に耳納一帯を支配する星野一族が居を移してきてから栄えたといわれる。街中(まちなか)の白壁土蔵造りは、宿場町の名残り。「札の辻」の地名の謂れは、前記星野氏に因んでいるともいうが・・・。

辻の油屋に尼が飛び込んだ

 数百年もむかしのこと。季節は夏の盛りの夜更けだった。往還の辻を曲がったところの油屋の店先に、赤い頭巾を被った女が飛び込んできた。
「助けてください、悪い奴に追われています」
 店の女将(おかみ)は、何の疑いも抱かずに女を奥の部屋に匿った。遠くで2匹か3匹、犬の鳴き声が聞こえるだけの淋しい夜だった。
 逃げ込んできた女は50歳を過ぎたくらいの尼で、「善為尼」と名乗った。尼は、女将に誘われるままに油屋に住み込んだ。
 そうこうするうちに月日はたって、新しい年を迎える準備に忙しい時期となった。遣いから帰ってきた善為尼が、青い顔をして女将に暇乞(いとまご)いをした。何があったのかと女将が問い詰めた。

不思議なお札をくれた

「ご隠居さま。私奴がまだ若くて元気がよかった頃、仔犬を連れた母犬を殺したことがあります。その時の罪の意識が消えなくて…。体の丈夫なうちに西国巡礼を果たして、罪の償いをと思い立った次第でございます」
 善為尼が懐から小さな紙包みを取り出した。


「これは、厄介な病や祟りに取り付かれた時に救ってくれるありがたいお札です。ご恩になった女将さんにさしあげます」
「・・・・・・」
 あっけにとられる女将に、尼は念を押した。
「願をかけるとき、絶対にお札を火の傍に近づけないでください。くれぐれも・・・」
「どうして、火に近づけてはいけないの? それに、このお札は、いったい、どこの神さまから授かったものです? 教えて」と女将が訊くが、目の前から善為尼の姿は消えた。

尼が消えた

 善為尼を追って女将が表の辻に出た。しかし、尼の影も形も見えなかった。女将が急に腹を押さえて座り込んだ。
「女将さん、早く善為尼さんに貰ったお札を・・・」
 ついてきた番頭の勧めで、女将はお札の入った紙包みを開いた。中には1枚の紙切れがあるだけ。何やら薄墨で記してあるようだが、暗くて見えない。
「番頭さん、提灯をもちょっと近くに」
 女将は、錐揉み(きりもみ)されるような痛みに堪えながら、必死で紙切れの文字を読もうとした。その時、突然お札が燃え出した。あっという間に薄っぺらな灰になって宙に舞い上がり、辻の向こうに消えていった。あんなに念を押されていたのに、火を近づけたばっかりに・・・。悔んでも悔みきれないでいると、「女将さん、火事ですよ!」と、番頭が南の方角を指差して叫んだ。

焼け跡から狸の死体が

「延寿寺のお城の近くの土塀小屋(どべごや)だったらしかですよ、昨夜の火事は」、翌朝番頭が女将に報告した。延寿寺の城とは、豪族星野高実氏が住む福丸城のことである。
 胸騒ぎを覚えた女将が、油屋の辻からは真南へ半里(2`)足らずの延寿寺村に走った。
「女将さん、どうしたんです?そんなに急いで」
 声をかけたのは、むかしから店に出入りしている農夫だった。
「いえ、女将さんが心配するようなもんじゃありませんよ、焼け死んだのは…」
 3匹の犬に追われて、吉井の辻の方から逃げてきた赤い頭巾の女が、土塀小屋に飛び込んで表戸を締め切った。追いかけてきた犬は、小屋に向かって吠えたてた。しばらくして、土塀小屋の天上から火の手が上がった。女将が善為尼に貰ったお札を焼いたのと同時刻である。あっと言う間に、小屋は丸焼けに。いつの間にか3匹の犬もいなくなっていた。
「・・・して、小屋の中の頭巾の女は?」
「焼け跡に残っていたのは、人間ではなく古狸の死骸でした。しかもその狸ときたら、着物を着て赤い頭巾まで被ったままでした」と、農夫は言う。

「辻の札」だけが残った

 焼け死んだ古狸は、なぜ人間の尼に化けて人間社会に現れたのか。己が犯した「母犬殺し」を悔いて、少しでも世のためになる善を施そうとしたのか。ところが、母犬を殺された当時子供だった3匹の兄弟犬に見つかってしまった。返り討ちをしようにも、己の体力では無理だ。こうなれば、遠くへ逃げるしかない。油屋に暇を乞うて、旅たとうとしたその時またもや兄弟犬に見つかった。そして延寿寺村の土塀小屋に逃げ込んだあと、焼け死んだ。
「それでは、古狸のお札とはいったい何だったのか?」、女将は、善為尼の古狸が残した謎を解こうとする。「そうか!善為尼の“命の札”だったのだ。狸は火が大の苦手。そうとも知らず女将が不用意にお札を火に近づけたために、燃え上がってしまった。お札が燃えれば、古狸の運命もそれまでだった。不思議なことに、一連の小火(ボヤ)騒ぎの間に、あれほどひどかった女将の腹痛は嘘のように治まっていた。


妙福寺(延寿寺)

 後には、「札の辻」という地名だけが残った。(完)

 数年ぶりの吉井の町訪問であった。ひな人形巡りですっかり評判を呼んでいる吉井であるが、この日も白壁が連なる町いっぱいに「骨董市」が展開されていた。
物語で想像する「犬の遠吠え」の雰囲気は感じない。人の群れはそこぞこだが、210号線を走る車の列は、それはすごいものでしたよ。(2016年9月11日)

 吉井の町の札の辻三叉路は、今でも大変賑やかだ。朝倉から南下してきて、210号線にぶち当たったところだが、正面には名物の大福饅頭を売る店がある。その隣には銀行が建ち、薬屋とか小間物屋が軒を連ねている。「油屋」はないかと探したが見つからなかった。
 東西に伸びる国道の南側を、並行して清盛カッパで有名な巨瀬川が流れている。そして北側を「五人庄屋」が命がけで築いた南新川が流れる。由緒ある神社や明治以降の富裕層が建築した豪邸も点在する。ちょっと見では、古都を連想させてくれるたたずまいである。
 そんな古い街の「札の辻」という名前が、狸に縁を持つとはにわかには信じられない。むかしの人たちの、頓知の利いたおしゃれな芝居好みなのだろうか。
 それでは、吉井の町を賑やかにさせた星野氏の居城はどうか。わずかに名前を変えて「福益城址」の碑が建つだけだった。江戸時代まであった延寿寺村の「延寿という寺は何処に」と、古老に尋ねたら、「それはさい、今の妙福寺のこつたい」と、いともあっさり答えてくれた。

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