伝説紀行 又兵衛の日  柳川市(大和町)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第259話 2006年05月28日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

有明漁師の厄日

又兵衛の日

福岡県柳川市(大和町)


塩塚河口の漁港

 大分と福岡の県境で誕生した水が、58キロの道のりを旅して有明海に到達する矢部川とその支流の塩塚川。河口付近には、有明海漁業の基地がひしめく。古代より漁師は、クツゾコやイイダコ、アゲマキなど、干潟に棲む魚介類を求めて舟を出してきた。関連資料:有明海特有の魚介類
 いかに波静かな内海とはいえ、いったん嵐が来れば命がけである。加えてこの海は干満の差が6bにも及ぶため、潮の流れを無視して仕事はできない。
 そんなことから、漁師仲間では縁起を担ぐことも多くなった。例えば、「又兵衛の日には漁を避けるべし」など、有明漁師の厄日を聞いたことがある。さて、「又兵衛の日」とは、いったい何のことやら。

漁師が天文学者に?

 江戸時代のこと。中島港近くに又兵衛という漁師が住んでいた。朝早くからボロ舟を漕いで有明の海に出るのだが、売り物になるような魚はなかなか獲れない。
「あんた、もうちっとは稼いでもらわんと、親子8人食うてはいけんばの」
 夕方クタクタになって帰ってきても、女房のおすげは愚痴と嫌味ばっかり。不貞寝(ふてね)しようにも、そばの赤ん坊や腕白盛りの子供たちが許してくれない。気が狂いそうだ。そんな時の又兵衛は、外に出て潮風に吹かれながら星空を見ることにしている。何千何万、空一面の星は、キラキラ瞬きながら悠然としたものだ。「そちらの世界に飽いたら、いつでも天まで昇ってらっしゃい」と手招きをしているよう。


写真:有明海漁場に向かう漁師

 毎晩星を見ていると、どこにどんな星があるのか、おおよそわかってしまう。大きな星を繋ぎ合わせると、猫に見えたり筏に思えたりして、女房のしみったれた顔など忘れられる。星が少しずつ移動していくことにも気がついた。又兵衛は、それが自分だけが知ることのできる秘密であるような気がして優越感を覚えるのだった。

夜の漁なら…

 そのうちに、北の空でまったく動かない大きな星を見つけた。北の空だから“子の星(ねのほし)”と名づけた。
「へえ、星がみんな動いとるのに、一つだけ動かんのもあるちね」
 おすげが、亭主の一人()がりに付き合った。
「あんた、よかこつがあるばんた」
 突然、信じられないような甲高い声を張り上げた。
「ねえごつかいな(何ごとか)?」
「こりから昼の漁ばやめち、晩に海に出たらよか」
「・・・・・・?」
「まだわからんかんも。ほら、まったく動かん北の星さえ見失わなきゃ、どげな暗闇でん自分のおる場所がわかろうが。そいけん人の分まで魚ば獲るこつがでけるたん」
「なるほどな」と、感心はしたものの、おすげほどにすっきりした気分にはなれない。

たちまち大金持ちに

「やっちみるか」と、漁師仲間が眠りにつく時刻に起きだした又兵衛。海に向かって()を漕いだ。なるほど、舳先(へさき)のかがり火につられて、面白いように魚が寄ってくる。向うから甲板めがけて飛び込んでくる“大物”もいる。
 ボロ舟が沈没してしまう直前で網を引き揚げた。あとは“子の星”を頼りに塩塚川の港に帰るだけ。写真:恵みがいっぱいの有明海
「わー、こりゃすごか!」
 さすがのおすげも、余りの大漁に腰をぬかさんばかり。
「夜中に漁ばしよるこつは、誰にも言わんごつしとかにゃない」
 夫婦は、お互いに口止めしあって、大きく頷きあった。大漁は、翌日もその翌日も続いた。
「これじゃ、舟が()まかたい」ということで、船大工に頼んでこれまでの3倍も大きな舟を造ってもらった。獲った魚を売りにいくおすげも、あまりの売り物の多さに音を上げた。そこで人を雇って瀬高や大牟田までも売りに出かけた。又兵衛は、たちまち村一番の金持ちになった。

無理をして夜の海へ

「海にもよう出んのに、どげんしてあげん大っか家ば建てたつかんも?」
 村中の話題は、又兵衛が漁師にしては似つかわしくない大きな屋敷を構えたことだった。
「ばってん、女房は毎日車力に山んごつ魚ば積んで売ってまわっとるけんな・・・」
「ひょっとして・・・」、村人たちは、又兵衛が夜中によからぬことをして、売り物の魚を手に入れているのではないかと疑いだした。


「今日くらいは、休んだらどげんね」
 空模様が心配なおすげが亭主に言った。写真は、大和町中島の朝市
「ばってん、夜中の漁がこげん調子よかと、休むのがもったいのうて・・・」
 見送る女房の背中の赤ん坊の頭を撫でると、又兵衛は勢いよく舟を出した。3月19日の晩だった。
 その夜も、獲物は向こうからやってきた。漁に夢中になっていて、天空が黒雲に覆われ、星がまったく見えなくなったことに気がつかなかった。

漁師仲間に打ちのめされて

 あっと言う間の出来事だった。又兵衛の舟は大波を受けて裏返った。
「死んでなるものか、せっかく村一番の分限者になったつに・・・」
 又兵衛は、流木にしがみついて、必死に泳いだ。しかし頼りの子の星が見えない。そのうちに東の空が白みだした。「助かるかもしれん」と、一縷の望みで眠さに堪えた。すると彼方で櫓を漕ぐきしみ音が聞こえた。
 夜が明けて、風もおさまったところで、竹崎の漁師が網を投げていた。そこにグラッと舟が揺れて、髪を振り乱した青い顔がにゅーっと現れたものだから、驚いたのなんの。
「幽霊だ!お化けだ!海坊主だ!」と騒ぎ出す。すると、周辺で漁をしていた仲間たちも寄ってきて、竹竿で又兵衛を叩きまくった。どんなにわけを話そうとしても、誰も聞いてはくれない。
 力尽きた又兵衛は、深い海の底に沈んでいった。

 又兵衛の水難の噂は、たちまちにして有明海を取り巻く村中に広まった。
3月19日に海に出ると、舟の上に血の気を失うた男の幽霊が出るげなばい」
「前の日に、どげん天気がよかっても、必ず大風が吹いて舟がひっくり返るげな」
「いんにゃ(いや)、ありは、金毘羅さんの怒らっしゃったと。せっかくよか気持ちで泳いどる夜中に投げ網をうたれた魚が、金毘羅さんに援けを求める陳情ばしたつたい」
 噂は噂を呼んで、それからは3月19日を「又兵衛の日」と決めて、漁に出るものはいなくなったそうな。(完)

 改めて「又兵衛の日」の理由を探して、有明沿岸の漁業基地や関係団体を尋ねまわった。江戸時代から続いていると言われる中島漁港の朝市は連日大賑わい。売り手の気さくなおかみさんに話しかけた。「伝兵衛ね。それはクチゾコのこつたい」だと。だが、それが漁の縁起にどう結びつくのかまでは、答えてくれない。蒲鉾を売っているおじさんは、「漁に出るのに縁起を担ぐことはある」そうだが、それが「伝兵衛の日」なのかかどうか?。「金毘羅さんの祭日は漁を休みますもんな。その日は確か3月だった思いますばってん…」ということで、これまたはっきりしない。

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有明海の魚

 それではと、有明漁連に訊いてみた。「いろいろ年寄りに訊きましたばってん、わかりまっせん。ばってん、8月の盆の月には、縁起ば担いで新しか船の進水式などはやめとります」とのこと。写真は、勢ぞろいした有明の魚介
 結局わからずじまいに。わかったことといえば、「伝兵衛」がひらめに似た「クチゾコ」の代名詞になっていることくらい。クチゾコと縁起の因果関係を求めて、まだまだ探索は続く。クチゾコ漁の最盛期は、まさに6月に入った今だと、朝市のおばさんは教えてくれた。
 さて、内陸部に育った筆者にとって、有明海には特別な思い入れがある。小学校5年生の頃熊本県の親戚の家に行く鹿児島本線の車窓から、生まれて初めて見た海が有明海だったからだ。
 九州に育ったものにとって有明海は、絶対に粗末にできない宝物なのだ。
関連資料:有明海特有の魚介類

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