伝説紀行 壁湯温泉  九重町(宝泉寺温泉郷)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第242話 2006年01月29日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

鹿が教えた天女の湯

壁湯温泉由来

大分県九重町


洞窟の温泉壁湯 

 大分自動車道の玖珠インターを降りて、国道387号を小国方面に向かう途中に「宝泉寺温泉郷」が点在する。その中の一つが「壁湯温泉」だ。入浴できるのは、町営の共同浴場と旅館の2軒だけ。駐車場から狭い階段を下りていくと、岸壁にへばりつくように建てられている福元屋旅館が現われる。300円の入湯料を払って、水面間近かの洞窟の中の露天風呂に飛び込んだ。
 氷点下近い気温と川岸のツララは、さしもの我が精神力をも鈍らせる。加えて湯温は39度とぬるく、顔を出しているのも寒くて辛いほど。こんな断崖の洞窟に湧き出る温泉を開発したのは果たして誰なのか? 文字通りの天然かけ流し温泉のルーツを知りたくなった。

手負いの鹿が横切った

 時は享保年間というから、江戸時代も半ばの頃。豊後国の町田村に住む猟師夫婦が、一人娘の加代と3人で仲良く暮らしていた。漁師稼業の豊介夫婦にとって、加代は掛け替えのない宝物であった。身贔屓(ひいき)分を差し引いても、娘は、頭はいいし顔も整った美形である。たった一つだけ困ったことと言えば、加代の皮膚が黒すぎることだった。嫁入を前にして、親の心配は尽きない。夫婦はそそり立つ岸壁の上に祀ってある薬師如来に、朝晩願をかけた。
 そんなある日のこと、いつものように如来さまの前に跪(ひざまず)いていると、突然目の前を大きな鹿が足を引き摺りながら横切った。鹿は豊介の存在など無視するようにして、森の中に消えていった。この地方にあって、鹿の出没など珍しいことではない。豊介にとって、そんなことより娘がもっと色白であって欲しい気持ちでいっぱいだった。
 翌日も、如来さまにお願いしていると、また昨日の鹿が横切った。

岩の割れ目から湯が・・・

 豊介は、鹿が姿を現した町田川の水面を覗いた。水際からそそり立つ岸壁は直角で、その落差は優に10間(18b)を超える。よく見ると、わずかばかりの獣道が斜めに形づくられていた。先ほどの鹿は、この道を登ってきたに相違ない。写真は、岸壁を削って建てられた福元屋旅館
 好奇心も手伝って、命綱を頼りに獣道を下りてみた。慣れているつもりでも、真下の急流が身を縮こませる。やっとの思いで水面近くにたどり着いて、不思議な感触に襲われた。飛沫(しぶき)の冷気が覆う中で、豊介の周りだけが妙に温かいのである。よく見ると、岩の隙間から染み出した水が抉られた窪みに溜まっていて、そこから湯気が立ち上っているではないか。
 手をつけると、熱くもなく冷たくもないまさしく自然のままの湯であった。あの鹿は、この温泉に浸かって、手負った傷を治していたに違いない。この湯は、獣も重用する効能を持っているのではないか?

色白の絶世の美女に

「もしかして…」 淡い希望を抱いて豊介は、崖下までの通路を造ることにした。猟師仲間の協力も得て、人一人が上り下りできる道ができた。次は浴槽である。硬くて大きな岩に鑿(のみ)を当てて根気強くくり貫いていった。
「お加代、できたぞ!」
 豊介は他人に娘の裸身を見られないために、夜明け前に湯浴みさせた。そして1年、加代の体は透き通るばかりの色白になった。そうなれば、男どもが放ってはいない。来る日もくる日も豊介の元に、加代をうちの嫁にと押しかけてくる。遠くは博多や長崎からまでやってくる。
 そのうちに加代の姿が町田の家から消えた。浚われたのか、あまりの男どもの攻勢に気でもおかしくなったのか。
「いいや、近くのどこかにいるはず。嫁に出すのがもったいなくなって、豊介がどこかに隠しているに違いなか」
「そうじゃなか。この世のものとも思えんように美しゅうなった加代は、天に登って別の世界のもんになったんじゃ」など、噂が噂を呼んで、しばらくは村中が騒がしかった。

温泉に浸かって天女が昇天し

 噂を撒き散らす連中の話の根拠とは…。
夜明け前に崖を下りていくと、それはもう目映いばかりに美しい女が湯船に浸かっている。それも東の空が白みかけると、真っ白の裸身を衣で包んで視界からすうっと消えてしまう。そんなことが、毎日繰り返されているというのだ。
「あれは、天女になった加代が、父が造ってくれた温泉を忘れられずに、密かに浸かりに来ているのに間違いなか」ということになった。
 そんな噂が囁かれたことから、岸壁をくり貫いて造られた温泉のことを村人は、「仙洞の湯」と名づけたんだそうな。「壁湯」と言われるようになったのは、ずっと後に岸壁をさらにくり貫いて大浴槽を設えてからだと思われる。(完)

 壁湯温泉を訪れたのは、1月も残すところ僅かになった晴れた日であった。暗いうちに家を出たのだが、夜明とともに白銀の世界が眼前に出現した。雪ではなくて霜景色である。サービスエリアで土を踏むと、10センチほどの霜柱が「ざくっ」と音を立てて倒れた。この感触は何十年ぶりのことだろう。
 陽は燦燦と注ぐのに外気は凍てつく寒さ、そんな中で体温と変わらないぬるい湯に浸かるのだから、勇気のいることだ。旅館のおやじさんが、「最低30分は浸かっていてくださいよ。できたら1時間」と念を押してくれたことを思い出す。

 説明によると、壁湯温泉は、泉温が39度で泉質は中性・弱食塩泉型単純温泉だとか。ラジウムを多量に含んでいるため、飲めば胃腸によく、火傷などの皮膚関係に著しい効果があるとも聞かされた。約30分で湯船を出て、温かいマイカーに逃げ込んだ。そこで、額からドーッと汗が噴出した。
 町田川沿いを2キロほど登っていくと、川底温泉が。由緒ありそうな「ほたる荘」は、名のごとくこれまた水面すれすれに浴槽が造られていた。さすがに温泉のハシゴもできずに、早々と飯田高原を目指すことになった。

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