伝説紀行 聾治し地蔵  佐賀市(旧三瀬村)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第237話 2005年12月11日版
再編集:2011年07月03日

2007.04.01
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

三瀬峠の聾治し地蔵

佐賀市(旧三瀬村)


聾治し地蔵祠

 博多(福岡)を出て肥前(佐賀)方面を旅するには、通称「早良街道」を通って三瀬峠(標高583b)を越えるのが一番だ。今でいう国道263号のことを、筑前の人は「肥前路」と呼び、肥前側では「筑前路」と呼んだ。筑前と肥前の国境(現在の県境)は三瀬峠であり、今でも「従是北筑前国」「従是南肥前国」と書かれた文化15(1818)年銘の境目石が残っている。境目石と国道を挟んで反対側には、苔むした石の祠が。人々はこの中の主を、「聾(ろう)治しの地蔵さん」と敬って信仰してきた。祠には、「文政6年葵未(1822)6月21日建立」と銘記されている。言い伝えによると、この地蔵さんにお参りすれば、耳の不自由な人が健聴者になれるとか。

爺さんが火吹竹で耳吹いた

 山内(三瀬高原)の井手野村(現佐賀市三瀬)に住む作兵衛が本家に出向くと、婆さんが爺さんの耳に火吹竹をあて、頬っぺたを膨らませて「ふふふっ」と吹いている。時は江戸時代も終わりの頃の昼下がりであった。
「ねえごつばしござっとですな?」(何をしているのですか)と尋ねても、耳の遠い爺さんは返事をしない。代わって婆さんが答えるには、 昨日爺さんが野良から帰るなり、「峠の地蔵さんに貰うてきたけん、俺の耳にあてて吹け」と言いつけたのだそうな。写真:聾治し地蔵
「何のために?」と訊いたら、「耳の遠かつがようなるげなたい」という返事。「そげなわけで、ゆんべ(昨夜)は一睡もせんで火吹竹ば吹きよったですもんなた」だと。
「それで、爺さんの耳は聞こゆるごつなったかん?」
「あたしにはどげんかわかりまっせんばってん、本人は、ちょっとはよかち言うちょります」だって。
 耳の病気といえば、作兵衛にも気がかりなことがある。命の次に大切な娘が難聴で苦しんでいるからだ。

峠で博多の声が聞こえる

 往還(肥前路)に出た作兵衛は、息を切らせて三瀬峠を登っていった。
 峠の茶屋の婆さんに尋ねて、道端から少し入ったところの祠に出向いた。中には、なんとも気難しそうな顔をした地蔵さんが座っておられた。
 何十本もの火吹竹が無造作にお供えしてある祠の前で、品のよさそうな老婆が手を合わせたまま何やら呟いている。と思ったら、今度は片方の耳を地蔵さんの口許に近づけて誰かの話を聞いている様子。その後また、老婆が話しかける。作兵衛には、それが老婆とお地蔵さんの会話のように見えた。


写真は、旧峠

「お婆さんな、そぎゃんかこつばして誰と話ばしござっとですか?」と作兵衛が声をかけた途端、老婆が口に人差し指をあてて睨みつけた。
 火吹竹と耳の関係を知りたい作兵衛は、老婆の不思議な動作が終るのを辛抱強く待つことにした。

地蔵さんが孫娘を助けてくれた

「ここに100日参りばすると、お地蔵さんの言葉がわかるごとなりますと」
 お地蔵さんとの会話を終えた老婆が、向きなおって静かに語り始めた。
「して、…お地蔵さんとはどげな話しばしござったとですか?」
「はい、ここから見下ろす博多の町で、孫が私に早よう帰って来いと呼んどるげなですよ。このお地蔵さんの耳には、どげな遠かところの音でも聞こえるそうなですけんね」
「そげん耳のよかお地蔵さんじゃけん、お参りすっと、聾者(ろうしゃ)が健聴者になれるちいうわけですたいね」
 博多の商家のごりょんさん(おかみさん)だという老婆は、月に三度の割合で肥前路の険しい山道を登って来ると言う。「どうか、かわいか孫娘の耳が聞こゆるごつなりますごつ…」、老婆の願いはその一点であった。参り始めて3年がたって、夢枕に地蔵菩薩が立ち、「今度峠に出向くとき、真竹で作った火吹竹を持参せよ。さすれば霊力を与えよう」と言われた。
 老婆は店の者に作らせた火吹竹を地蔵さんにお供えした。すると、祠の中から昨夜の地蔵さんがまた語りかけた。「霊力をいただいたこの火吹竹を持ち帰り、孫娘の耳に強く吹きつけるがよい」だと。
 地蔵菩薩の声はそこまでだった。

地蔵菩薩の霊力なり

「もちろん、お地蔵さまのお力を得て孫の耳は正常に戻りました。それからですよ、耳の不自由な方々のために、私が新しか火吹竹ばここに持参するようになったのは。かわいそうなあなたの娘さんの耳が聞こえますように、私も一緒にお地蔵さんにお願いしてさしあげまっしょ」
 老婆は、作兵衛と並んでお地蔵さんを拝み、供えてあった火吹竹の1本を握らせた。
「この竹を娘さんの耳に当て、力いっぱい吹きなされ。さすれば、お地蔵さんの霊力が耳を塞いでいるものをとり払ってくださるはずですけん」
 作兵衛は、持ち帰った火吹竹で娘の耳に吹き付けた。すると、娘の目が輝きだして、周囲の音に鋭く反応するようになった。
「バンザイ、バンザイ・・・」 立ち上がった作兵衛は、感動の余り我を忘れて叫び続けた。そして間もなく、地蔵さんへのお礼に、真新しい火吹竹をお供えしたそうな。(完)

 佐賀県との境をなす三瀬峠の背振山脈は、福岡から眺めると、目の前に屏風のように立ち塞がっている。昭和35年に国道に指定された肥前路を峠に向かうには、豆腐屋で有名な石釜あたりから連続する急カーブと急坂を登っていかなければならない。


ループ建設中の曲渕付近(2008年10月撮影)


 昭和の初期まで1軒だけ残っていた峠の茶店では、お地蔵さん参りの人のために、甘酒・砂糖餅・うどん・おこし・飴がたなどが振舞われたと記録されている。

 それにしてもむかしの人は、愛する家族のためには自らの苦労など省みないで、こんなに険しい山道を登ったものだと感心する。これなら、お地蔵さんでなくとも、願いを聞かないわけにはいかなかったろう。そんな素朴な信仰も、今はむかしの話になってしまったのか、お地蔵さんの周囲には火吹竹など見当たらなくなった。
 福岡への帰り道、山中に巨大なコンクリートの柱が幾本もたっているのに気がついた。現在の有料トンネルから新しい道路を延長して、ループ状に早良街道へと降りてくるための工事らしい。2年後に完成すれば、もう三瀬峠を越える人もいなくなるのかな。ということは、峠の聾治し地蔵のことも人々の記憶から消え去っていくということなのか。
(2007.04.01)

 ループが完成すると、聾治し地蔵さんとの縁も少しずつ遠くなってきた。あまりの時間短縮に、先を急ぐ身では仕方ないなと自分に言い聞かせる。この作品を発表した6年前から、たくさんの方がお便り下さった。中には、難聴の方からも。昔話や伝説は、意外なところに広がっていくものだと感心したりする。
最近訪ねたときは、祠もすっかり苔むしていて、なんだか寂しそう。「ときどき顔を見せるからね」と挨拶して、山を下って来た。(2011年06月29日)

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