伝説紀行  タニシが池  久留米市


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第232話 2005年11月06日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

タニシの恩返し
原題:タニシヶ池

福岡県久留米市


有名な3号線の丸星ラーメン

 久留米市中心部から国道3号を北に、筑後川を渡ったあたりを高野地区という。道路脇に国交省の筑後川工事事務所や丸星ラーメン屋が並ぶところ。
 明治時代の高野地区は、筑後川が大きく蛇行する南側に位置していて、久留米市街地とは陸続きの田園地帯であった。そこにはむかし、「タニシヶ池」といって大きな池が二つ並んでいたそうだが、現在その面影はかけらもない。

日照りに神頼み

 時は、大恐慌が襲った享保年間(1716〜36)のこと。高野村にヨシミという大変気立ての優しい娘が住んでいた。ヨシミは、幼いときに母親をなくして、今は父八造と二人暮しである。
 ここ数年の雨不足は、筑後川が川底を見せるまでにひどく、せっかく植えた稲も壊滅寸前であった。八造父娘も井戸を掘ったりして必死に農作物を護ろうとするのだが、大自然の猛威は容赦しなかった。
 村では、通りかかりの六部を介して、水神さまに援けを求めることにした。

六部(六十六部の略)…書写した法華経を全国六十六箇所の霊場に一部ずつ納める目的で、諸国の社寺を遍歴する行脚僧。鎌倉時代に始まり、江戸時代には俗人も行った。男女とも鼠木綿など衣装は同じで、死後の冥福を祈るため鉦を叩き、鈴を振り、或いは厨子を背負って家ごとに銭を乞い歩いた。

池の主が人身御供を要求

 六部は村長(むらおさ)に対して、神からのお告げを伝達した。
「俺はそんなこと死んでも嫌だ」
 庄屋の屋敷に集まった村人の中で、八造だけが神からのお告げを拒否した。それもそのはず、六部が言う神の声とは…。巳年巳の日生まれの15歳の少女を人身御供として差し出せだと。そこで、村中の娘を確かめたら、該当者が八造の娘のヨシミただ一人だということがわかった。妻を亡くして13年間、手塩にかけて育てた娘を、例え大池の主といえども差し出すことはできない。
「だが、主に逆らえば、村は廃墟と化してしまう。そうなれば、ヨシミはおろか、村では誰一人生き残れないじゃないか」
 村人は、「辛かろうけれども、ここは我慢してもらえんじゃろか」と、八造に手を合わせるばかりだった。

同情してタニシを助ける

 全身から気力を失った八造は、とぼとぼと堤防下のあぜ道を歩いていた。すると20間(36b)向こうで数羽のカラスが何やら啄(ついば)んでいる。カラスがたかっていたのは、干からびた田んぼの泥を掘り起こして誘い出したタニシであった。
「しっ!」、八造は棒切れを振り回してカラスを追い払った。いつもはそんなことには無関心だったはずなのに、今日ばかりは無意識のうちに小さなタニシを救っていた。
「もう少し早く通りかかれば、皆んなを援けてやれたのに。お前たちにも親もあれば子もあろう。可哀そうに…」
 思わず八造の目から大粒の涙が零れ落ちた。写真は、高野村産八幡社。昔久留米城の鬼門神として祀られた
「おとっつあん、こんなとこで何しとる?」


タニシの住み家

 帰りの遅い父を迎えにきたヨシミだった。顔を上げた八造の目が真っ赤に腫れている。

池から巨大な蛇が

 すべてを納得して、ヨシミは大池の主のもとに行くことになった。白装束に身を包み、大勢の村人に見送られて一人大池の縁に正座し、主の迎えを待つことにした。池の主が何者かも知らないヨシミは、ただ神や仏に村と父親の安泰を祈り続けた。
 その時である。それまで明るかった空が一転かき曇り、激しい稲光とともに耳を劈(つんざ)く雷鳴が鳴り響いた。真夜中のように黒ずんだ大池が大きくうねり、池の中央の水面が盛り上がった。何やら得体の知れない怪物が水上に姿を現し、鋭い牙をむき出しにして吠えている。
信じられない光景に慄(おのの)くヨシミは、気を失ってその場に倒れ込んでしまった。
 それからどれほどの時間が経過したものやら。ヨシミ一人に犠牲を強いた気後れもあって、庄屋を先頭に村人が大池の辺にやってきた。そこで、彼らが見たものは…。

大蛇はタニシに吸い付かれ

 何ということか、あの大きな池を横切るようにして、とてつもなく大きな蛇が横たわっている。
「これが、池の主なのか!」 村人は、改めて農民を支配する主の大きさに驚くばかりだった。
「何故、こんなにでかい主が死んだのか?」
 そこで彼らが目にしたものは、肝も冷える怖ろしい光景であった。体長100間(100b以上)はあろうかという大蛇の体に、黒い小さな貝がびっしり食らいついている。よく見るとそれはタニシの群れであった。巨大な大蛇は、タニシに吸い殺されたのである。
「ヨシミは何処に?」
 八造が、大蛇の周囲を探し回った。「いた!」 彼女は、池の辺で白装束のまま横たわっていた。写真は、高野地区そばの筑後川
「よかった、よかった」
「ご免な、お前にこんな怖ろしい目に合わせてしもうて」
 村人は、土下座してヨシミに詫びた。

水神さまが恩返し

 村長がポツリと言った。
「あのタニシは、水神さまのお使いかもしれないな」
 何のことやら皆目わからない村の衆が、訊き返した。
「水神さまの使いのタニシが、カラスの餌食になるところを、八造に助けられた。水神さまはその恩返しに、人身御供を要求する大蛇を退治してくれたのさ」
 こうして、ヨシミはまた八造と仲良く暮らすことになった。そして間もなく、高野村一帯に雨が降り、立ち枯れ寸前の稲田が生き返ったそうな。
「雨を降らせてくれたのも水神さまの思し召しなのかな」
 村人たちは、八造父娘に改めて感謝するのであった。

 もともと一つだった高野の大池が二つ並ぶようになったわけは、倒れこんだ大蛇の死骸に、泥が積もり、池を分断したからだと村の人たちは信じて疑わなかった。(完)

 稲刈りが済んだ頃、高野地区を訪ねた。タニシヶ池の面影でも見つからないものかと、歩き回ったが無理だった。「そんな話があることは知っとりますばってん、どのへんにあったかまではわかりまっせん」と、親切な婦人が答えてくれた。
 ここにも久留米や福岡のベットタウンとして市街化が進んでいる。特産の野菜類も、付加価値の高い大豆畑に変身中だった。このへんが立派な農業立地だったことを後世に残すためにも、「タニシヶ池」のお話しを語り継がなければなるまい。

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