伝説紀行 万寿寺のお不動さん  大和町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第224話 2005年09月04日版
再編:2018.03.11
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

万寿寺のお不動さん

佐賀県大和町


万寿寺のお不動さん

 渓谷の美で知られる大和町の川上峡。石仏像が立ち並ぶ実相院から歩いた山中に、水上山万寿寺が建っている。地元の人は、親しみを込めて「お不動さん」と呼ぶ。ご案内によると、この寺は大治5(1130)年に善住和尚によって開山されたとか。
 ご本尊はもちろん不動明王である。これまでに全国あちこちのお不動さんを拝んできたが、こちらの仏さんほど睨みつける形相が凄いのは珍しい。ご住職にご利益を尋ねると、「家内安全・病気治癒・交通安全」等々、悩み事ならなんでも聞いてくださるそうな。


写真は、万寿寺の龍王ヶ池

 冷気漂うお庭を散策していると、曰くありげな小さな池を見つけた。名前を「竜王ヶ池」と呼び、四季を通じて水が涸れることはないという。そのわけをご住職が次のように説明してくれた

不動明王:五大明王・八大明王のひとつ。大日如来が一切の悪魔を降伏するために忿怒(ふんぬ)の相を表したもの。色黒く、眼を怒らし、両牙を咬み、右手に降魔の剣を持ち、左手に羂索を持つ。常に火生三昧に往して大火焔の中にあって石上に座し、八大童子などの使者を有する。不動尊。無動尊。

明王:大日如来の命を奉じ、忿怒の相を現し、諸悪魔を降伏する諸尊。不動・愛染・降三世など。

突然現われた若者が二振りの剣を

 蒸し暑い真夏の昼下がり。開山して間もない万寿寺で、善住和尚が木の枝を払ったり落ち葉を掃いたり、相変わらず忙しそうに動き回っている。和尚の頭を占めるのは、寺を開いて信者を迎えるのに肝心のご本尊が未だ定まらないことだった。
 今日もまた西の空に入道雲が立ち上り、やがて黒雲となって水上一帯(現大和町川上地区)に覆いかぶさっているからだ。激しい雷鳴が轟き、大豆ほどもある雨粒が万寿寺の庭に叩きつけた。しばらくして、二筋の稲光が雷雲から境内の大樹に繋がり、耳を(つんざ)く音とともに真っ赤な炎が立ちのぼった。
 潮が引くように静かになったところで、本堂に批難していた和尚が庭に出た。すると、隅に二人の若者が片膝ついて畏まっている。年長風の男がおもむろに挨拶を述べた。
「私は遠い西の国からまいった善護と申すもの。隣にいますは、弟の慈済でござる」
 善護は、自分の師から預かってきた進物だと言って、「火と水」二振りの剣を手渡し、しばらく滞在することを願い出た。

岩を叩いたら尽きない水が

 善住和尚は、兄弟が寺に滞在することを許した。それからというもの、彼らは寺の周囲を拓いて極楽の庭園を築いたり、自給自足のための畑を耕したり、いっときも休むことなく働いた。また、山を下りて、農民の田づくりを手伝い、あるときは急流に巻き込まれた子供の命を助けて、里人からもたいそう有り難がられる存在になった。
 そんな兄弟の滞在が4年目を迎えようとする頃である。
「私どもは、間もなくあなたにお別れを申さなければなりません。お世話になったお礼に、何なりとお困りのことを言ってくだされ」
 別れを告げる兄弟の本性について、善住和尚は大方わかっていた。そこでずばり、近ごろの水不足を憂いてその解決を希望した。
「心得ました」
 善護は庭に出ると呪文を唱えた。「我が尊敬する神よ、肥前国に限りなき水を与えたまえ」と。呪文が終って山からせり出している巨岩をひと蹴りした。すると、岩の裾がひび割れして清水が流れ出た。水は庭の窪みに溜まり、そこからこぼれた分が山下へと流れ下っていった。
「出来たばかりのこの池の水が涸れないかぎり、里人が水不足に泣くこともないでしょう」

若者は天に戻った

 和尚は、「ありがたや。これで、里に本来の平和が戻る」と感謝し、「天に戻ったら、竜王殿によろしくお伝えあれ」と手を振った。3年前に、二筋の雷光の梯子を伝って下界に下りてきた兄弟が、実は竜神の使いであることを、和尚は承知していたのである。
 やがて、地上に降りてきた二つの雲に、善護と慈済がそれぞれ飛び乗った。名残を惜しんで見下ろす兄弟の姿は金色に輝く竜に見えた。写真は、巨岩から染み出た水が一筋の滝に
 兄弟の姿が天上に消えた後、和尚は懸案の本尊を「火と水」二振りの剣にちなんで、火焔と忿怒の形相を表す不動明王に決めた。そしてもう一つ、善護兄弟が恵んでくれた涸れずの池を「竜王ヶ池」と名づけた。この池、竜神さまのお墨付きだけあって、開山以来未だかつて涸れたことがないという。(完)

 川上峡の官人橋袂で、通りがかりの婦人に万寿寺への行き道を尋ねた。「ああ、お不動さんだね」と、婦人は「そこを右に、それから左、しばらくして大豆畑をまた左・・・」と親切に教えてくれる。「毎月28日の祭りには、むかしは村をあげて行列をつくって出かけたものだよ。何せあそこのお不動さんは、願いごとを何でも聞いてくれますけえの」。こちらが訊きもしないことをさっさと話してしまわれる。肥前の人は親切である。


 だけど、言われたとおりに車を転がしても、なかなか目的地に着かない。危うく他所の家の庭に侵入しかけたりした。やっとたどり着いて見上げたら、山一面がゴルフ場であった。何のことはない、何度もプレーしたことのある大和不動ゴルフクラブではないか。最初からそう言ってくれればこんなに苦労もないものを、と恨んでは親切なご婦人に失礼なのだ。

 いまでこそ時間をかけずに車で行ける万寿寺だが、むかしは大変だったろう。細い山道をたどってやっと着けばお不動さんに睨みつけらるのだから。「今でも遠くに行かれた方が訪ねてこられます」と、柔和な顔でご住職が話してくれた。
 そんなに広くない庭を散策して、さあ帰ろうと車に乗り込んだら、体中が粘っこい蜘蛛の巣だらけだった。

ページトップへ   伝説紀行目次へ   表紙へ