伝説紀行 水引地蔵  筑後市(西牟田)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第215話 2005年07月03日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

正覚寺の水引地蔵

福岡県筑後市


 筑後市の北部西牟田地区は、戦国時代西牟田城の城下町であった。その面影がわずかに残る町(流地区)の片隅に「水引」なる地蔵さんが祀られているという。
 今夏の北部九州は極端な雨不足に見舞われている。期待した梅雨に入ってもお天道さんはギラギラ輝くばかり。まだ6月だというのに、真夏日と熱帯夜が続く。一方、昨年大地震と大雪で生活基盤を壊された中越地方では、集中豪雨で踏んだり蹴ったりだというのに。神さまは、お恵みを公平にはくださらないものなのか。
 報道によると、水瓶(ダム)の貯水量は50%を割り込むという。僕は、雨が恋しい県民を代表して、西牟田にある水引地蔵さんを訪ねることにした。

水を求めて川を遡る

 時は戦国時代も末期の天正の頃(1573〜92)。筑後国は未曾有の水不足に悩まされていた。西牟田村の正覚寺住職・三甫師は、今日もご本尊の地蔵菩薩前で雨乞い祈祷に余念がない。筑後地方では、田植えどころか畑の作物がみんな立ち枯れてしまうありさまだ。これでは、殿さまも庶民も皆んなおまんまが食えなくなってしまう。
 朝な夕な寺にやってくる農夫らは、「和尚さんなんとかしてください」と無理難題を言う。「そう言われてもな…」、三甫師は天を睨み、仏にすがるしか術を持たなかった。
「そうだ!」
 祈祷を始めて3日目の朝、三甫師は突然旅支度を整えると、寺男の五郎を伴って山ノ井川を遡り始めた。さらに本流の星野川を伝って源流域の星野村へ。五郎に引かせる車力には、酒とか肴が山のように積んである。

ご本尊に異常が

「どこさん(どこへ)行かしゃったつかいの?」
 突然寺から姿を消した三甫師を心配して村人が集まってきた。「人さらいに遭われたのでは…」、「まさか、若い娘ならいざ知らず、あのようなご老体を」と、勝手なことを言いながら皆んな心配している。
 姿を消して7日目の夕刻、師は帰寺するとすぐ本堂の地蔵菩薩に向き合った。村人の心配も上の空で祈り続けた。
「和尚さん、ご仏壇が…」
 翌朝、五郎が裏返したような声を発した。
「どうしたとか?五郎」
 五郎が指さすご本尊を安置する仏壇に異常が生じている。磨き上げたばかりの漆黒の厨子が、褐色をもう少し汚くしたように汚れている。猫やネズミのいたずらにしては、汚れ方が尋常ではない。

ご本尊が泥だらけに

 立ち上がった三甫師、恐る恐る手を伸ばして扉を開けてみた。
「こりゃ、たまがった(驚いた)。どうしたこつかいの?」
 ご本尊のお地蔵さんの腰から下が泥まみれではないか。蓮華座(レンゲの形をした仏像の台)は特にひどい。
「五郎、ついてきなさい!」
 何を思ったか、師が裏手の寺領の田んぼに出た。あら不思議、干上がって割れ目ができているはずの田んぼに水が満々とはられている。早苗も、背伸びでもするように葉先が勢いよく天をついている。昨日までは立ち枯れ寸前だったのに…。隣の畑に目を移した。トウモロコシや鞘えんどう・かぼちゃなどが、水分を腹いっぱい吸い込んで三甫師と五郎に愛想を振りまいていた。
「和尚さま、和尚さま」
 庄屋を先頭に村人たちが駆け込んできた。昨日までは三甫師のことを、確か「和尚さん」と呼んでいたはずなのに、今日は様づけに変わっている。

あら不思議!雨も降らぬのに水浸し

「いったい、何があったんですか?和尚さま」
 庄屋が不思議がるのも無理はない。絶望の崖っぷちに立たされていた農民たちが、朝起きてみると田んぼに水が満々と。死にかけた早苗が生き返っている。昨夜から雨らしい雨も降っていないというのにである。
 三甫師が星野村に出かけたわけは。実は、ご供物のお神酒と肴を持って池の山の麻生池に雨乞いに出かけたのであった。麻生池は、どんなに日照りが続いても、水が枯れないことで有名な池だ。そんなありがたい池の水を管理なさる神さまが池の縁に祀られている弁天さまである。
*弁財天:音楽・弁財(弁舌の才能)・福智・延寿・除災・得勝を司る天。琵琶を弾く。もとは、河川を神格化したもの。吉祥天とともにインドでもっとも尊ばれた女神。
 星野川や矢部川下流の人々は、日照りが続くと弁天さまに雨乞いに行く。三甫師がご本尊の地蔵菩薩に向き合っているとき、そのことを思い出したのだった。これも、ご本尊の思し召しなのであろう。
 7日間、麻生池の弁天さまにおすがりして寺に帰ったのだが、こんなに早くご利益があるとは考えもしなかった。弁天さまのお情けで、池の水は星野川を経由して、その支流の山ノ井川に入り、西牟田村周辺の田んぼを潤したのであった。写真は、いつも満々と水をたたえている星野村の麻生池
「それにしてもですよ、和尚さん…」
 五郎にはまだ腑に落ちないことがある。田んぼに水が貼られたことはそれとして、なぜ地蔵菩薩や厨子までが泥水を被らなければならなかったのか?
「それはだな、田んぼに水を引いたのは儂だぞと、ご本尊さまがアピールなさっているのじゃよ。そうでもしなければ、人々は仏や神の有難みをなかなか感じてくれんからのう」だって。

 その後、三甫師の正覚寺は変転して、西牟田から久留米の寺町に移転している。その際村人は、危機を救ってくれた地蔵菩薩だけは「水引地蔵」と名づけて自分たちでお守りすることにした。そのために、久留米の正覚寺のご本尊は、釈迦如来に代替わりすることになった。
 取材を終えて帰る途中、大粒の雨が激しくフロントガラスを叩いた。三甫師以上のご利益を得たと喜んだのもつかの間、すぐお日さまが照りつける。家に帰って連れ合いに訊いてみた。すると、「こちらでは一滴の雨も降りませんよ。あなたの拝み方が足りなかったんじゃないですか」と嫌味が返ってきた。それなら、近いうちに星野村の弁財天にも会わなければなるまい。
 穀倉地帯の筑後平野は、いずこも田植えを終えて一休みといったところ。でもせっかく植えた稲が育つまでには、まだまだたくさんの行程を経なければならない。農業用水はいくらあっても足りないのだ。

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