説紀行 與止日女と鯰  佐賀市(大和町)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第211話 2005年06月05日版

2008.02.03
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

與止日女さんとなまず

佐賀県大和町


與止日女神社

 嘉瀬川は、全長57キロすべてが佐賀県内を流れている。一級河川としては大変珍しいそうな。間もなく(2005年10月1日)実施される市町村合併では、源流の三瀬村から河口付近まですべてが佐賀市内を流れることになる。
 大むかしの記録(肥前国風土記等)には、川の名前が「佐嘉川」とあり、石井樋(大和町の南端)から上流を河上川といい、下流を嘉瀬川と呼んだらしい。
 さて今回は、その嘉瀬川の中流の川上峡あたりがお話の舞台。嘉瀬川の中でもとりわけ川上(むかしは、「河上」と書いた)あたりの景色は、「九州の嵐山」にも例えられるほどに美しかった。
 周辺には神社仏閣が数多く残されている。その一つに、官人橋の西袂に祀られている與止日女神社(よどひめじんじゃ)が有名である。名前のとおり祭神は女神なのだが、貴重な水資源である嘉瀬川を護る神様として、大昔から人々に崇められてきた。地元では、親しみを込めて「與止日女さん」と呼んでいる。

河上川にはかなわが棲む

「八太よ、おさんな(お前は)たいがい(大そう)酔っ払っとるぎ、今から舟に乗ったら危なかが。悪かこつあ言わんけん、今晩はここに泊まっちいけ」
 川向こうの久地井に住む八太が、河上村に嫁に行っている姉のところに遊びに来ていて、したたかお酒をご馳走になった後のことであった。
「何が危なかね、姉ちゃん。一跨ぎすりゃ渡らるるくれえに狭か川じゃけんなたあ」
「おさんなほんなこつ何も知らんにゃあ。あん河上川ば夜中に渡りゃ、かなわちいうて怖ろしか化け物が出るぎに。そん化け物が人間ば噛み殺すばん。これまででん何人もん人が、舟ばひっくり返されち食いちぎられたこつか」
「そりゃ迷信、迷信」、と八太は姉ちゃんの小言を無視して、川の袂にやってきた。岸に繋いでいた舟に乗ろうとしてふと水面を覗き込むと、どす黒い水が澱んだように静まり返っている。昼間には、飛沫(しぶき)を跳ねながら流れていたのに。昼と夜では、川もこんなに表情を変えるものかと不思議であった。

無事を祈ったら女の人が…

「夜中の河上川にはかなわちいう化け物がおるもんなたあ」と言った姉の言葉が気になった。「川を護り、人を助けてくるるのが與止日女さんげな」、八太は再び土堤を登って、與止日女神社の拝殿に向かった。一文銭を1枚だけ賽銭箱に入れて、「どうか、かなわちゅう化け物に遭いませんごつ」お願いした。
「あーら、與止日女さんに何のお願いごとでしょうか?」
 振り返ると、姉にそっくりの美しい女が立っていた。
かなわに遭わんごつち…」
 一刻も早く舟に乗って久地井に帰りたい八太は、面倒くさそうに答えた。写真は、嘉瀬川の川上地区
「自分の命が助かるということですよ、かなわから難を逃れるということは。それにしては、賽銭が一文だけとはね…」
「そんなの俺の勝手じゃけ」と言いかけて、慌てて銭袋の中のものを全部賽銭箱に放り込んだ。
「りっぱりっぱ。その心がけが大切なのです。それでは、かなわからの難を避ける方法を教えてあげましょう」

出た!お化けのかなわ

 八太は、姉に似ている不思議な女と別れて、舟に乗り、櫂を漕ぎ出した。河上川でもこのあたりは特に川幅が狭いところで、先ほど澱んだように見えた川面がけっこうな急流になっていて、櫂を持つ手が重い。
 川の中央にさしかかったその時、乗っている舟が大揺れした。舟はまるで木の葉のように右に左に傾いて、転覆も時間の問題であった。ふと水面を見ると、前方一ヶ所から不気味な泡が吹き出している。舟べりにしがみついてなお見つめていると、白い泡の中から人間の体の倍はありそうな長い生き物が牙をむき出しで躍り出た。
「出た!かなわだ」
 姉に何度も聞かされているかなわの正体であった。化け物は、鎌首を持上げたり水中に沈めたりしながら八太の舟に近づいてきた。
かなわに遭ったら、このお札をかざして『與止日女神を恐れぬか!』と叫びなさい」、神社の境内で会った姉によく似た女が手渡してくれた紙包みのことを思い出した。

酔っ払い乗船はご法度

「與止日女神を恐れぬか!」、八太が言われたとおりにお札をかざして、大声で叫んだ。
「うおーん、うおーん」、化け物はそのまま空中に浮き上がったあと、巨体もろとも水中深くに潜っていった。その姿と鳴き声、それに空中から落ちた時の衝撃で、八太はそのまま気を失ってしまった。
「大丈夫かん?」、かすかに聞こえる姉の声で薄目を開けた八太。「生きている」と正直実感した。
「姉ちゃんがあげんやめとけちゅうのも聞かんで、しゃっちい川ば渡ろうちするけんこげなこつになるばんた。そいに酔っ払っての夜中の船乗りはご法度ち、言いよるのに」
 姉は、八太の無事を喜ぶ前に説教を始めた。
「あさんな、持っとる銭ば全部與止日女さんに差し上げたげもんなたあ。そいから女の人にお札を貰うた。そんお札ばかなわに見せたぎ、あさんな助かった」
 重い頭を辛抱して聞いている八太が起き上がった。
「そげなこつば、どげんして姉ちゃんは知っとると?」

鯰がかなわを飲み込んだ

「何ば言うかね、この馬鹿もんが。姉ちゃんは、可愛いか弟のために毎日與止日女さんにお参りしとるばんた。昨夜も胸騒ぎがしておさんの後ば追いかけたつたい。舟は出た後じゃったばってん、川の真ん中んにきから悲鳴が聞こえたけんが。庄屋さんや神主さんに頼のうで、村総出で大っか舟ば出してもろうたと」
「姉ちゃんも、あのかなわば見たつじゃね?」
 夢や幻ではなかったのだ、あのかなわを見たのは。だが、姉や村の人たちは何故かなわに襲われなかったのか。
「それがたい、岸に大きな(なまず)が打ち上げられとったと」
「はあ?」
「鯰はかなわを飲み込んどって、そん鯰も飲み込まれたかなわも死んどったわけよ。あさんは鯰に命を助けてもろうたとたい」
 ますますわけがわからなくなった八太。「どうして、鯰が俺ば助けたと?」と問い直すことになった。
「まだわからんのか、こののろまが!」

與止日女さんの弟子とお使い

 姉は、八太の頭の周りの悪さにうんざり顔だった。
「よかね、鯰は與止日女さんの使いばんた。あさんがお宮さんで会うた女の人が、おまえば守ってくるるごつ鯰に頼んでくれたきい。じゃけん鯰は、自分の命ば犠牲にしちかなわば飲み込んでくれたつたい」
 それでもまだ八太には理解が行き届かない。
「おさん(お前)が会うた女の人は何者かって?、その人は與止日女さんの第一の弟子たい」写真:與止日女神社の大楠と嘉瀬川
「姉ちゃんじゃあんめえかち思うとったが、あん別嬪さんは?よう似とったもんな」
「あさんな、いくつになっちも姉ちゃん離れができんたいね。姉ちゃんが別嬪さんちねえ…、ホホホ、ハハハ・・・」
 まんざらでもなさそうな姉の照れ笑いであった。

 我が身を犠牲にしてまで八太を助けた鯰の噂は、たちまち肥前国中に広まって、與止日女神社へのお参りが耐えなくなった。それほどまでに嘉瀬川流域の民を守ってくださる與止日女さまとはどのような神さまなのか。村の物知り博士が説明してくれた。
「與止日女さんの本当の名前は世田姫といいなさって、神代の神功皇后(じんぐうこうごう)の妹君じゃて。皇后が九州に遠征なさったみぎり、ついてきた世田姫が荒ぶる嘉瀬川を鎮められたのが縁で、この地に残られて川と民を守ってくださるようになった」んだと。
 八太が鯰に助けられてからである。河上村周辺で鯰を捕まえたり食べたりしなくなったのは。(完)

 樹齢2000年といわれる大楠の根元に立って川上峡を眺めていると、不思議と気持ちが落ち着く。前方の官人橋(明治時代までは勧進橋といっていた)の鮮やかな朱色が、峡谷の水の藍に溶け込んでいて、つい夢心地になってしまう。「九州の嵐山」と呼ばれる所以であろう。
 むかし川上峡には中ノ島があって、人々は西側の河上宿から中ノ島へ、更に東側の都渡城宿へと、並べられた板橋を渡って行き来していた。大水害で中ノ島が消滅したのを機に、板橋がコンクリートの橋に架け替えられ、昭和24年の水害から、場所を元の橋より約80m上流の現在地に移して鉄製のワーレントラス橋が完成した。橋が朱色に塗られたのは、昭和40年頃のこと。
写真は、明治期の勧進(官人)橋
 さて、今年の川上峡に泳ぐ鯉のぼりは心なしか元気がなかった。先に九州北部を襲った大地震を予知できなかった川上川の鯰が、自信をなくして風を吹かせなかったせいではないかと誰かが噂をしていた。


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