伝説紀行 お池とから池  九重町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第188話 2004年12月12日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

お池とから池

大分県九重町


上空から望む大船山頂の御池(西日本新聞より)

 三俣山が真っ白い雪を被ると、九重の山々は人をも寄せ付けない威厳を増す。冬篭りをする植物たちにとって、この時期こそ春を迎えるための新しい芽を慈しんでいるのだ。獣たちは、誰に遠慮もせずに雪原を走り回っている。
 そんな九重・大船山(たいせんざん)(1707b)の山中に、2つの窪みがあり、不思議なことに上段には水が溜まり、すぐその下はむき出しの赤茶けた泥だけ。「水は上から下に流れる」の反対の現象に、地元の人たちは神の祟りだと畏れている。

猟師の目に母子猿が

 江戸時代も終わりの、季節が秋から冬に移ろうとする頃。田野村に住む又八という猟師は、女房のおかつにつくってもらった弁当を腰にぶら下げて、今日も九重の山を駆け回っている。どうしたことかこの日に限って鳥も猪も現われなかった。このまま家に帰ろうものなら、おかつのしかめっ面が迫ってくるに違いない。
 硫黄山の強烈な臭いをかぎながら三俣から星生(ほっしょう)、更に大船山(たいせんざん)へと登ってきた。「仕方がない、飯でも食うか」、又八はミヤマツツジ群の隙間を借りて弁当を開こうとした。
 すると、遥か前方の木陰に潜む獣らしいものが目に入った。猿である。それも桁外れに体の大きな猿で、お腹には小さな子供猿を抱いている。猿といえども貴重な蛋白源だ。又八は弁当を後回しにして、火縄銃に火をつけた。

すがりつく小猿を谷底へ

「ズドーン」、山中が震えるような爆発音とともに、弾は母子猿目掛けて飛んでいった。手応え十分で、又八は獲物に向かって駆け下りた。猿は恨めしそうに白い目をむいて横たわっていた。その親猿の手に小猿がしがみつき、恐怖の眼をこちらに向けている。


黒岳

「しっ、しっ」
 又八は、獲物の親猿には用があっても、小猿まで殺そうとは思わない。追い払おうとするが、小猿は母親のもとから離れようとしない。
「勘弁してくれよ」
 又八は、腰にさしていた山刀を抜くと、しがみついている母猿の手を付け根の辺りから切り離し、なお食らいついている小猿ととも谷底に投げ捨てた。

下の池の水が上の窪みに

 切り取った山刀の刃についた血を拭こうとして、又八が困った。べっとりついた血潮は短時間で変色して、ドス黒く曇ってしまった。手拭で拭いても、その気味悪さは増すばかりである。山の地形なら自分の庭のように熟知している又八は、少し下りたところの池の水で山刀を洗うことにした。地元の者が「御池」と呼ぶ神聖な池のことである。
 手を入れると指が切れそうに冷たい水に山刀を浸けた。すると、それまで満々とはっていた水面が下がり、やがて赤茶けた山肌を見せた。長いこと山で暮らしているが、目の前で池の水が引いてしまうなど見たこともないし、聞いたこともない。
 気味悪さで身震いしながら立ち上がって、西方に目をやった。すると、10間ほど上の窪みに満々と水がはられている。どう考えても下の池の水が上に移ったとしか思えない。仕方がなくて、又八は上の池に登って山刀を水に浸けた。今度もあっと言う間に水は引き、元の赤茶けた泥の肌をさらした。
「おかしいな」
 又八は、性懲りもなく再び下の池に。同じことが繰り返されて、とうとう山刀を放り投げて頭を抱え、草原に座り込んでしまった。

殺生の報いは山守に

 そのとき、一転空が掻き曇り、九重の山全体がグラグラと横揺れした。地響きとともに鼓膜が破れるかと思える声が又八に襲いかかった。
「やい、そこな又八。わしは九重の山々を司る神である。そなたは、絶対に許されない行為に及んだ。山の宝である猿の母子に非業の死を与えてしまったことだ。よって、わしは、同じ痛みをそなたに与える」
 姿の見えない山の神に恐れ慄く又八は、地べたにへばりついたまま、お仕置きの言い渡しを待った。
「このまま、この世におさらばして地獄に落ちていくもよし、生きていて死より辛い修行に及ぶもよし、どちらを選ぶか?」
「どうか命ばかりはお助けを」
「それなら、今後これまでに殺した獣や鳥たちの霊を慰めるために、山の生き物の僕(しもべ)になり下がるか」
 山の神は又八に対して、今後一切里に下りることを禁じ、神聖な山守男になることを言いつけた。

5年たって里人が目撃

「どげんしたものやら?」
 田野村では、女房のおかつが首を長くして亭主の又八を待っている。だが便り一本ないままに1年が過ぎ2年の歳月が去って行った。
「諏蛾守越(すがもりごえ)のあたりで変な生き物を見た」
「どう見てもあれは猿ではないし、人間だ」
 あれから5年が経過して、里の猟師たちの噂話が賑やかになった。彼らが獲物を見つけて仕留めようとすると、必ずその変な生き物が現われて邪魔をするというのだ。また何百年も生きている植物をいためたりすると、大きな石に毛躓いて怪我をする。起き上がろうとする前方を、変な生き物が走り去って行く。


大船山の麓

 それからである。九重の山では猟をする者がいなくなり、獣や鳥や植物の楽園になっていった。もう一つ。又八が上に行ったり下に行ったりした山中の窪みであるが、今でも上が水をたたえた池で、下は赤茶色の山肌をむき出しにしたままだそうな。怨念は科学を超えるのか。(完)

 九重連山は、拙著「大河を遡る」の舞台である。取材のため、何十回も通って、山の景色は知り尽くしているつもり。だが、筆者は「山は登るものではなく、下から眺めるもの」と決めているからややこしい。したがって、物語りに出てくるお池や窪みをこの眼で確かめてはいないのである。でも、山を愛する地元の人々の願いが、このような伝説を生んだことは容易に納得できる。
 さあ、来年もしっかり山中(山道)を(車で)走り回るぞ。
(写真は男池)

ページ頭へ    目次へ    表紙へ