伝説紀行 秋虫の地蔵さん  日田市(前津江村)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第187話 2004年12月05日版
再編:2018.03.11

プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。
虫秋のお地蔵さま

大分県前津江村


霊験現たかな虫秋愛宕地蔵さん

 前津江村赤石の虫秋地区の斜面に、威風堂々の地蔵堂を見つけた。1000メートル級の山が連なる山の麓の村である。「由来」を読むと、自然と頭(こうべ)が下がってくる。「失せ物・いぼ落とし・入学祈願・平癒祈願、霊験現たかな」お地蔵さんだとか。また、このお地蔵さんは「聖徳太子の作」とも記してある。
 お地蔵さんのおられる「虫秋」とは、また趣のある地名ではある。行けども行けども山と千尋の谷が続く秘境(今時分そんなことを言ったら地元の方に怒られそう)のまた奥が虫秋地区なのだ。秋になると、ことのほか虫たちの演奏会が賑やかなところからこんな名前がつけられたのだろうか。

不思議な老人に声かけられ

 ときは元禄9(1696)年というから、今から300年以上もむかしのこと。虫秋に13歳になるおよしという娘が住んでいた。3年前に母親を亡くし、今は父親の八郎兵衛と2人暮らしである。
 ある日の昼下がり、およしは野草を摘んだ帰り道に谷川を渡ろうとした。すると、向こう岸から見慣れないお爺さんが長い杖を頼りに近づいてきた。
「こんにちわ」
 およしが声をかけると、お爺さんがまん丸のにこやかな顔で挨拶を返してきた。
「お譲ちゃんの名前はおよしというんだね」


虫秋地区

 一瞬足元がふらつくほどに驚いた。会ったこともない老人に自分の名前を呼ばれたからである。
「お爺さんは、どうしてあたいの名前を知っているの?」
 老爺は、瀬を渡りきるとおよしと隣り合わせに腰をかけた。
「私はね、遠い西の国からやってきた無限という名前の年寄りなんだよ。お譲ちゃんのことなら何でも知っているさ」
「それで、虫秋には何をしにやってきたの?」
「それはね、おまえに会うためさ」

前世の大庄屋の頓挫

 再びのけぞりそうに驚いた。
「あたいはお爺さんと初めて会ったんだよ。そんなあたいに何の用があるの?」
「実はね、おまえに大事な話を伝えるためさ」
「大事な話って?」
 お爺さんは、持っていた杖を脇に置いて、静かに語り始めた。
 今から100年前、出羽国は飽海というところに平田政左衛門という大庄屋がいた。飽海とは、現在の山形県北部の飽海郡のことで、秋田県との県境に近い山間部である。政左衛門は、地元の林業や農業の発展のために身を犠牲にして働く名物大庄屋さんだった。
 そんな政左衛門が、村の安泰を願ってお地蔵さんを祀ろうと考えた。それも、自身が育てた木材を使ってお堂を建て、その中に住んでいただこうという計画だった。だが、運悪く志半ばで不治の病に犯されて、あえなくこの世を去ることになってしまった。
 有名な石工に石の地蔵さんを彫らせて、あとはお堂を建てるだけのときだったのに。彫りあがったお地蔵さんもどこかに消えてしまった。

父はその生まれ変り

「ここから先が大事な話なのじゃが・・・」
 お爺さんは気持ちよさそうに遠くに見える山々を見渡しながら、およしの顔をうかがった。
「でも、お爺さん。ここは出羽の国じゃないよ。豊後の虫秋だよ。道を間違えたの? しかも、お爺さんの話はあたいとは何の関わりもないことだよ。どうしてそんな話をするの?」
 およしは、目の前の無限と名乗るお爺さんが、何者なのか不安になってきた。
「そう思うのも無理もないな。人間が死んでまた人間社会に生まれ替る時、同じ血筋や同じ土地に現われるとは限らないし、いつ生まれ変るのかさえ決まっていない。ある者は亡くなった翌日に、同じ家でお祖父さんの生まれ変わりの孫として生き返ることもあれば、何十万年後にとんでもない遠い場所に出現することもある。政左衛門さんは、亡くなって100年後に、たまたまこの津江の虫秋で生まれ変ったというわけさ」
 ますますわからなくなったおよしが首を傾げた。
「じゃあ。あたいがその政左衛門とかいうお人の生まれ変りってわけ?」
「違う、違う。そのお方は、お前の父上の八郎兵衛殿なんだよ」

草むらから石の地蔵が

 びっくりするおよしに、お爺さんが真剣な眼差しで向き合った。
「政左衛門殿の生まれ変りであるおまえの父さんに、お願いして欲しいことがあるのだよ」
「父ちゃんに伝えるくらいお安いご用だけど、何を?」
「政左衛門さんが前世でやり残した地蔵堂を、この津江の虫秋に建てて欲しいのじゃよ」
「そんなことなら、お爺さんが直接父ちゃんに言えばすむことじゃない。それに、お堂は建てても、ここには中に入っていただくお地蔵さまがいないよ」
 どうすればいいのか訊こうとしたら、お爺さんはもう西の方角に向かって歩き出していた。
「ねえ、お爺さんたら」
 およしが大声で呼び止めようとするが振り向いてくれない。代わりに、身の丈以上もの杖を右手に持ち替えて、草むらに大きな円を描いた。

「そんなことを言われてもなあ」
 夜になって、およしから話を聞いた八郎兵衛が困ってしまった。だが、可愛い娘からの相談をむげにもできず、、お爺さんが杖の先で描いたという円のあたりを探してみた。すると、草むらからおこも(藁で編んだゴザのようなもの)に包まれた石造りのお地蔵さまが見つかった。
「不思議なこともあるもんだ」と八郎兵衛が感心すれば、「このお地蔵さんがねえ」と、およしがお地蔵さまの顔と父の顔を見比べた。

村総出で地蔵堂を造る

 八郎兵衛が村の庄屋さんの屋敷を訪れた。不思議な老爺が言い残した地蔵堂を建てる相談をするためである。話を聞いた庄屋さんは、八郎兵衛が出羽の国の大庄屋の生まれ変りであることを信じて、村で最高の桧の木材と腕利きの大工を提供することにした。


虫秋の地蔵堂


「何たって、お地蔵さまといえば、無限の幸せを人類に施してくれる大地を司る仏さまだ。大切にお祭りすれば、きっとこの村にも福をくださるに違いない」
 庄屋さんの呼びかけで、村人総出の作業が始まり、立派なお堂が出来あがった。そして八郎兵衛父娘が見つけた石の地蔵さんがめでたく正面祭壇に納められた。時に元禄9年の10月24日であった。
 時間が経過しても、八郎兵衛は無限と名乗る不思議な老爺と、自分の前世でのことが信じられないでいた。
「なあ、およし」
「何?」
「おまえが会ったお年寄りは、いったい何者なのだろう?」
「お地蔵さまご本人かもしれないよ。だって、あたいの名前を知っていたり、父ちゃんの前世のことまでわかる人なんて、この世に何人もいないと思うよ」
 虫秋の村では、この日を境に毎年11月24日に村をあげてのお祭りをするようになった。それは平成の今日まで続いているという。(完)

 前津江村には取材で何度も訪れているのだが、思いどおりに車を走らせたためしがない。今回も、通りがかりのお爺さんに尋ねて役場への近道を訊き、細道に入ったまではよかったのだが、クネクネは走っているうちにまた元の場所に戻ってしまった。方向音痴のなせる業かもしれないが、そんな山奥が前津江村の虫秋地区なのである。
 聖徳太子が作られた地蔵像だと聞けば、やはり世の中の安泰をお願いしたくなる。大枚賽銭をはずんで手を合わせたら、「よくもこんな山奥まで会いに来てくれたのう。褒美といっては何だが、来世もまた人間社会に送り込んでやろうか」と、聞こえたような気がした。「そんな馬鹿な」と、そばから近所のおかみさんが笑っている。

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