伝説紀行 幽霊橋  久留米市


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作:古賀 勝

第183話 2004年11月07日版
再編:2017.10..29 2018.08.05

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 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢(とし)居所(いばしょ)なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしばだ。だから、この仕事をやめられない。
幽霊橋

福岡県久留米市荘島


かつて、幽霊橋が架かっていたあたり(久留米市荘島)

嫁が幽霊に会った

 江戸時代中期の平和な時代、久留米の荘島(しょうじま)というところに、今村時蔵という下級武士が住んでいた。嫁をもらってまだ半年の新婚気分真っ盛りである。そんな泰平の世を打ち破るように、時蔵の屋敷付近では幽霊騒動で騒がしくなっていた。噂話とばかりも言えない。何故なら、肝心の嫁のハツまでもが、橋の袂の柳の陰に立つ幽霊を見たと言うのだから。
 ハツが言うには、隣近所が冬支度に入って、彼女も薪やら渋柿などを買い入れて帰る途中だった。小川に架かる橋にさしかかると、気持ちの悪い生暖かな風が吹き抜けた。裾の乱れをなおして前方を見ると、白い襦袢を着た色白の女が立っている。どうやら手招きをしているようで、つい足を向けようとした。
「待ちなさい、その橋を渡ってはならぬ」
 後から男に呼び止められて、ハツは思わずその場に立ち尽くした。

夫が乗り出す

 何がなんだか分らないハツは、呼び止めた男を見返した。年齢の頃なら40歳くらいの渋い顔
。こう言っては何だが、亭主の時蔵とは月とスッポンとも言える良い男だ。
「あのお方が何か・・・?」
 ハツは手招きした女が、そんなに怪しい者にも思えず聞き返した。
「橋を渡れば、あなたも幽玄の世界に連れて行かれます」
 言われて橋の向こうの柳のあたりを眺めたら、もう女の影は消えていた。
「・・・そういうわけで」
 ハツは、この目で確かに見た女の幽霊と、後から声をかけた40歳くらいの商人のことを夫の時蔵に話した。だが、男が夫とは比べようのないくらいよい男だとは、さすがに言えなかった。写真:現在の本町あたり
「それなら、わしがその幽霊の正体を見極めてやろうか」
 新妻の窮地を救うためというより、泰平の世にあくびが出るほど退屈しているために、時蔵は幽霊探しに乗り気になったのである。
 夜が更けて人通りが途絶える頃から、時蔵は橋の袂に立った。3日目の夜になって、向こう岸の柳が揺れて、ハツが話していた幽霊女が姿を見せた。現実に対面してみると、想像していた幽霊に対する恐怖など微塵も出てこない。
「お願いがございます」
 幽霊は、小川を挟んで時蔵に話しかけた。
「私は、原古賀(はらんこが)で織物問屋を営む筑前屋の嫁でございます」
「そのご新造さんが、拙者に何を頼もうと言うのかな?」

「夫に殺された」と証言

「私は町外れで半月前、後から何者かに斬りつけられて、首を刎ねられました。私を殺したものが誰やら分りません。犯人は松が枝町の一本杉の根元に私の首と胴体を折り重ねるようにして埋めてしまいました。そのために、事件はうやむやになってしまい、私の亡骸も埋められたままで供養をしてくれる人さえいないのです。だから・・・」
「成仏できないでいると言うのだな?」
「それもそうですが…」
「ほかになにか?」
 幽霊は、一瞬口ごもったが、最後は意を決したように、はっきりした口調で次の言葉を発した。
「私を殺した憎い犯人が、ひょっとして・・・」
「ひょっとして、・・・誰だと言うんだい?」
「夫の田左衛門ではないかと」

殺した男は別の美人と

 時蔵は幽霊女に、亡骸の掘り起こしと供養を約束して家に帰った。翌日松が枝町の一本杉の根本を掘ると、確かに女の首と胴体が別々に出てきた。死後半月ほどだと検視の役人が認めた。
 届けを受けた番所は、幽霊の証言など問題外だとして筑前屋に問い合わせることもせず、街角に立て札を立てて遺体の心当たりがある者名乗り出よと記した。だが、申し出るものは出てこなかった。


写真:現在の松ヶ枝町あたり

 割り切れない時蔵は、ハツを連れて原古賀の筑前屋に出かけた。
「あの人ですよ、私が幽霊に会った晩、橋を渡るなといったお人は・・・」
 間口の広い店から出てきた男を指差して、ハツが大きな声を出しそうになった。男は、錦絵から抜け出たようによい男で、これまた食らい尽きたいような美人を従えていた。
「半月ほど前まで店先にいた先妻さんが急に姿をくらましたとかでね。金持ちはいいですね、先妻がいなくなればすぐ後妻を(めと)れるんですから」
 通りかかったどこかの番頭さんが、耳打ちしてくれた。

うやむやになって「幽霊橋」に

「許せない!」
 ハツは家に帰ってからも怒りが収まらない様子。
「何が?」
「だってあの男、私には幽霊に会おうとするのを止めたんですよ。危ないとか何とか言って。あいつが筑前屋の先妻さんを殺した犯人なんだ。だから私を幽霊に会わせたくなかったんだ」
「仕方がないよ、はっきりした証拠がなきゃ役人も取り合わないし」
 なんだか、キツネにでも取り付かれたような時蔵夫婦であった。そんなことがあって、夫婦が奇妙な出来事に遭遇した小川に架かる橋のことを、土地の人は「幽霊橋」と呼ぶようになったのだそうな。(完)

 その幽霊橋、最近まで荘島町の水道町近くに架かっていたそうで、お便りでいただいた地図を頼りに出かけてみた。旧武家屋敷町(下級武士)は道は狭く、ところどころが鍵形に曲がっていて、ついつい迷いそうになる。
 橋があったあたりに川など見当たらない。よく見ると、小川に蓋をした跡が見受けられる。その向こうが例の鍵形路地である。なるほど、僕みたいな土地勘のない人間は、同じところを何度も行き来していて、同じ人や同じ屋敷に何度も巡り会いそう。そんなところから「幽霊橋」の名前が付けられたのか?。はたまた、このあたり、歴史上成仏できないでいる霊が、今でもさまよっているのか?

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