伝説紀行 千栗の土居  みやき町(北茂安)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第168話 2004年07月25日版
再編:2017.10.29 2018.07.15 2019.07.07
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

伝説的人物史
成富兵庫と千栗の土居

佐賀県みやき町(北茂安町)


筑後川を見下ろす成富兵庫顕彰碑(佐賀県みやき町)

 筑後川が下流域にさしかかろうとするあたり、佐賀県北茂安町と三根町(現みやき町)境の堤防に大きな石碑が建っている。表面には「成富兵庫茂安公築堤功績碑」と銘してある。ここでいう「土居」とは、元和から寛永年間にかけて肥前(佐賀)側の川沿いに築かれた堤防のこと。何でも、佐賀藩の重鎮・成富兵庫(なりとみひょうご)という人物が設計し指導したものだとか。
 その土居も役目を終えて、元の姿を200bだけ残して消え去った。「北茂安町」の町名は、彼の名前からきているもので、むかしは南茂安村も存在した。土地の人は、土手に杉の木が植えられていたことから、「杉土居」としても親しんできた。

水田開発の余地は

 元和年間といえば、各地の大名が水田開発に熱を上げていた約400年前である。
「筑後川河畔には、まだまだ田んぼがぎょうさんつくれる」と説くのは成富兵庫。「兵庫殿が言われる場所は、どこも水分が多過ぎて手がつけられんのではないか」とは、他の重役たちの意見。
 喧々諤々の末、「勝手にやりなされ」ということになって、すべてを兵庫に押しつけてしまった。今でいう、殿の「丸投げ」である。

 藩内の流域を隈なく見て回った兵庫が、特に目をつけたのが筑後と国境を接する千栗(なぜかちくりとは読まない)地区であった。バイパスなどなかった時代である。千栗一帯には畑も水田も見当たらない。
「ここは無理でございますよ」
 案内した庄屋の浜太郎は、頭から受け付けようとしなかった。

こちら立てれば対岸の藩が恐い

「ご覧のとおり、蛇行した川のてっぺんの千栗八幡下では、宝満川の水が合流します。いったん大雨が降りますと、勢いをつけた水が千栗の土手を突き破ってしまうとです。そこで西尾や東尾はいつも水浸し・・・」
 なるほど、それで西尾には田んぼも家もないわけだ。
「それなら、絶対に破れない土居を築けばよいではないか?」
 理屈はそのとおりである。千栗側にびくともしない土居を造れば、水が上がる心配はなくなるだろう。
「それがでけんとですよ」
 浜太郎は、棒切れを拾ってきて地面に川図を描いた。
「蛇行した大川が元に戻って西に向かうところの対岸は、久留米藩の安武村でございましょ。千栗に水が上がらなければ、その水は安武村を直撃しますとですよ」
「ほお」
「ご存知のように、久留米藩には丹羽頼母(にわたのも)とおっしゃる有名な普請奉行さまがおいでですけん」
「・・・・・・」
「もし、千栗に強固な土居を築くなら、丹羽さまは、もう一回り強か安武土居ば築いて報復するとおっしゃるのでございます」
 2018年7月、アメリカのトランプ大統領が中国に破格の輸入関税を課せば、中国もまたアメリカに相応の課税を課す。その繰り返しでついに貿易戦争に発展する姿を彷彿とさせる。

そこで自然を活かした妙案

 そうなれば、佐賀と久留米の双方で土手造りのいたちごっこになってしまう。そこで兵庫が出した結論は・・・。


延々12キロに及ぶ千栗の土居

 千栗八幡の下から3里下流の南茂安にかけてショートカットして堤防を築くことであった。一見無駄に見える筑後川右岸の広大な土地を、遊水池とする構想だった。筑後川と宝満川の上流から押し寄せてきた大量の水の勢いを、広々と確保した場所でいったん鎮めて遊ばせる。川の水が引けば、自然と遊水地の水が本流に還っていくという仕掛けであった。いわゆる“遊水池”の発想である。
 もしこの工事が完成すれば、いままで毎年の洪水で不毛の地と言われた土居の内側(川の外側)が、一挙に美田に生まれ変ることになる。
*洪水調整のための貯水池の一種。特に人工的施設を設けずに自然の形で水を導き、洪水が去ってから河道に水を戻す。中国伝来の治水工法である。
「この方法なら、いかに丹羽殿といえども、文句は言われまい」
 我が意を得たりと、兵庫は城に帰り早速図面の製作にかかった。又普請奉行に言いつけて、土居を築くための材料と人夫の確保を急がせた。出来上がった図面は、まさに壮大なものであった。千栗から南茂安村までの3里(12キロ)に土を盛る。一見、大川の洪水とは無関係の場所にである。

百姓に化けて人夫の意見を訊く

 いざ工事に取り掛かるとなると、成富兵庫にも絶対と言えるほどの自信はなかった。彼が経験したこれまでの土木技術は主に築城であり、河川工事はもう一つであったからである。そこで工事を進めながら、やり方を修正していく方法を採った。いわば泥縄式土木建築法である。
「わしも今日から百姓じゃ」
 兵庫は、工事に駆りだされる農民と同じ着物を着て作業場に出た。
「お殿さまも、モッコを担がれますので?」
 浜太郎が心配げに、兵庫の顔色を伺った。
「当たり前だ。そうしなければみんながわしのことを怪しむだろうが。だがな・・・」
「いかがなさいましたので?」
「知ってのとおり、わしは城勤めの身なれば、兵法は勝っても力仕事には自信がない。そこで頼みじゃが・・・」
「頼みとは?」
「皆まで言わすな、この馬鹿もんが。適当にわしを見えない場所に隠せと言うことじゃ」

見えないところでは侍もクソミソ

 今様に申せば、ブロックサインのようなもの。百姓姿の兵庫が他の役人や浜太郎に指示を出す。指示を受けた彼らは、忠実にサインを実行に移させなければならない。計画がまとまると、いよいよ農民総出の工事が始まった。遠くから馬にひかせて運んできた土を積み重ねていく。盛られた土山を一列に並んだ人夫の足で固めた。まさに人海戦術であった。
 兵庫は、出来たての土居に杉の苗を植えようと考えている。盛った土に根を這わせることで土を更に強固にしようというものだった。

 一日が終って、人夫たちはプールのような風呂に入って汗と汚れを落とした。兵庫も仕種を悟られないように気をつけながら、湯船に浸かった。風呂場はまるで芋の子を洗うように素っ裸の男たちでゴロゴロしている。


広大な遊水池を囲む杉土居(赤線)

「きつかなた、今度の仕事は・・・。お役人はどこかでのんびり昼寝でもしとるのじゃろうが、俺は自分の田んぼが気になってしようがなか」
「お城から成富兵庫さまがおいでちいうが、どこにおりなさるのかのう。あんなことをして・・・」
 裸の男たちは、恐いもの知らずで役所の悪口を並べたてている。自分のことが話題になって、兵庫は耳をそばだてた。

土を固めるに杉はダメ

「成富の殿さまちゃ、もちっと頭のよか人ち思とったがにゃ。どっかぬけとらす(調子が外れてる)」
「そうたいにゃ。兵庫さまは杉ば植えろち言よらすばってん、杉が大きゅうなって大風でん吹いたらどげんなるきゃ。根の浅か杉は、ちょっとでも強か風でも倒れるが。そしたら根こそぎ持っていかれて、せっかく作った土居にひびがはいろうもんなた。そん時土居も崩れるたい」
 なるほど、杉にはそのような弱点があったか。そこで兵庫は、蒸気で相手の顔がはっきりしないことをいいことにして、杉はだめだと言った男に訊いて見た。
「そんなら、どげんしたらよかかん?」
「わしなら杉じゃのうて笹ば植ゆるもんなた。どげな大水でちゃ笹の根なら泥にしがみ付いて崩れることはなかけん」
 よいことを聞いたと兵庫は、早速笹をかき集めて、固めた土に植え込ませた。

でもやっぱり「杉土居」に

「もうこれでよかかん?」
 庄屋の浜太郎が一件落着の合図を待ったが、兵庫は納得しなかった。
「これでは、杉を植えると言い出したわしの顔が丸つぶれじゃないか」
 逆に浜太郎が虐められる立場に。


(写真は、保存されている千栗の土居。今頃は蓮の花が真っ盛り)

「お殿さまは、どうしてそんなに杉にこだわられるので?」
「よいか、笹は地べたを這っていて、むき出しでは格好が悪い。じゃから、笹を覆うようにして杉を植えれば、格好悪さが隠せるではないか。それにもう一つ・・・」
「・・・・・・?」
「土手に植わった杉は、洪水の時に牛や馬を避難させて繋いでおける。庄屋たるもの、もう少し頭を使え、頭を」
 実は成富兵庫、せっかく集めさせた杉の苗のもって行き場に困って、思いつきの屁理屈を並べただけだったのである。でも、「佐賀に成富あり」とうたわれた成富兵庫である。間違っても一本100万円もだして欅を買い、リベートを懐に入れたどこかの市議会議員や助役と一緒にされたら迷惑であろう。
 彼がこじつけた「杉の効用」は、何百年間、「杉土居」として威力を発揮したのだから、はったりも言ってみるものではある。。もしあのとき杉を植えなかったら、成富兵庫が後世にこれほどまでに名を残すこともなかったかもしれない。
 千栗の土居は、12年の歳月を費やして完成した。(完)

 自然を活かした土木建築がいかに大事か、2003年の水俣の土石流災害、2004年7月の新潟と富山の水害が教えている。国土交通省や県庁などは、赤字国債を発行してまであちこちにダムを築いてきた。住民が疑問を投げかけると、「いざ水害の時のため」と言い訳をしてきた。だが、それも役にはたたなかった。人間は自然に逆らうのではなく、自然と共生するところから、災害をも避けられるのだということを、役人も住民も、もう一度思い直すべきだ。

 2018年に入って、自民党と政府は、カジノ法案の成立に異常なまでの執念を見せている。特に担当する石井国務大臣は、未曽有の西日本豪雨が発生しても、国会から外に出ようとしない。彼もまた、ばくち法案に血道を上げる中心人物だからである。石井さんの本職は国土交通大臣であるはず。死者・不明者250人を超す大災害時には、真っ先に現場に出て救助の指揮をとらなければならない立場である。そして、二度と同じ災いを招かないために、山河や河川のありようを考えなければならない。そのためには、変装してまでも銭湯や市場に立って、市民の意見を真摯に受け取るべきではないのか。
 そんな彼が、国会にしがみついてばくち法案の成立だけを夢見るようでは、本当に世も末ですよ。ねえ、学会の皆さま方。

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