伝説紀行 佐賀の怪猫伝 佐賀市
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
龍造寺の怨念 鍋島の怪猫伝
佐賀県佐賀市
劇場映画が全盛の時代。年末は「忠臣蔵」で、お盆には化け猫か幽霊話が出し物の定番だった。「化け猫」の筆頭が今回紹介する「鍋島」であり、それに「岡崎」とか「有馬」が続いた。佐賀市にある高伝寺は、佐賀藩主鍋島家の菩提寺である。墓所には歴代藩主の威風堂々の墓石が連なる。鍋島に向き合って、以前の権力者・龍造寺家の墓が並んでいる。龍造寺隆信といえば、山口の毛利元就や大分の大友宗麟などと激しく戦った戦国大名である。そもそも、鍋島は龍造寺の支配下にあった。
殿の招きで出たっきり 龍造寺隆信の死後、家督は幼子の龍造寺高房が継ぎ、鍋島直茂がその後見役に。やがて、「高房が成長したら返す」という約束で、直茂は37万7千石の大名についた。
ときは流れ、龍造寺方の直系は城下に住む又一郎一人だけとなった。その又一郎は目が不自由で、母親の 愛猫に生き血を吸わせて・・・ 政は心配して、かねて付き合いのあった近習頭の小森半左衛門に尋ねた。だが、半左衛門は何も知らぬと突っぱねた。実は、碁の上での口論から、又一郎は光茂の手打ちにあい、小森半左衛門がその死骸を処理していたのであった。
ある雨の夜、愛猫のコマが又一郎の生首をくわえて戻ってきた。政はそれを見てことの始終を知ることに。龍造寺家で唯一生き残っている又一郎が殺されたいま、お家再興の望みは絶たれてしまったも同然である。 殿が得体の知れぬ病気に 時期は過ぎて、何度めかの春が巡ってきた。小森半左衛門は、又一郎の死後、龍造寺家の血筋が断絶して母親が自殺したことを知った。また、政の遺体の周りの血が舐めたように拭われていたことに不気味さを感じた。だが、それも時間とともに忘れかけていた。 愛妾に取り付いて仇討ち 光茂の愛妾お豊の方が光茂の看病にあたると、必ず光茂がおぞましい病苦に襲われる。
久しぶりに高伝寺の墓所を訪ねた。鍋島家代々藩主の墓石が、順不同に東を向いて建てられている。対して西向きに建つのが鍋島家面々の墓である。唯一、中央で南向きなのが龍造寺家「遠祖」の「秀慶公」であった。まるで行事役のよう。 |