伝説紀行 親孝行兄妹  朝倉市(旧甘木市)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第160話 2004年05月30日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

親孝行の兄妹


2007.04.22

福岡県甘木市


甘木市内の須賀神社

贅沢言って困らせる父

 ときは、江戸時代も末期に近い宝永(1704〜11年)の頃。甘木宿近くの一木村(現甘木市)に、正蔵と15歳になる息子、それに13歳の娘の三人が暮らしていた。正蔵は、10年前に女房をなくしてからというもの仕事をしなくなり、幼い兄妹に負担がかかるばかり。無理なことばかり言って困らせる。
 今日も今日とて…。
「嘉助や、わしや酒が飲みたか」
 三人が食べていくのにも苦労しているというのに、酒など買う余裕はない。
「うちには酒がなか」
「酒なら酒屋で売っとろうもん。それば買うてくればよかろうもん、そげなこつもわからんか」
 正蔵に怒鳴られて、表に出たもののどうしていいかわからずにウロウロするばかり。
「兄ちゃん、これ売ってくるけん、待ってて」
 妹のハルが一声かけて宿場のほうに駆けていった。売る物とは、死んだ母親が娘のために縫ったただ一枚の余所行き着物だった。
「それだけはやめとけ」
と、嘉助が止めル野も聞かずに、ハルは宿場のほうに走っていった。

医者を呼びたいが金がない

「お兄ちゃん、おとっちゃんが餅ば食いたかち言いよる」
 またまた、正蔵の悪い癖が。
「お前が着物ば売った金が少し残っちょるけん、それで餅米ば買おう」
 嘉助は一人分だけ餅米を炊いて餅を搗いた。そんなある日、正蔵が火傷しそうな高熱に襲われた。医者を呼びたいが金がなくては来てくれない。隣の爺ちゃんに見てもらったら、「これは心の臓をやられとる重い病気じゃ。宿場の薬屋に売っちょる朝鮮人参ば擂ってのませにゃ」と怖い顔で言われた。
「その人参は、いくらぐらいするもんじゃろか」
「そうたいね、10日分で三分くらいじゃろか」
 三分どころか、家には一文の銭もない。困った嘉助が薬屋の前をウロウロしていると、中から女将さんが出てきてわけを訊いた。
「感心なお子じゃ、おとっちゃんのこつばそげん心配して」
 女将さんは「あんたが大きくなって、覚えちょったらそんとき代金を払ってもらう」約束で、朝鮮人参を分けてくれた。人参のジュースを飲んで、正蔵は一時は元気になったが、1週間もしてことりとあの世にいってしまった。
「もっともっと親孝行ばしなきゃいかんじゃったつに…」
 嘉助とハルは、弔問もない枕辺で、正蔵の遺体に何度も頭を下げた。

位牌に向かって最敬礼

 それからの兄妹は、亡父が好きだった白湯や酒を、生前に飲んでいた時間に毎日欠かさず手向けた。また墓前に額ずいて成仏を祈ること、雨の日も風の日も続けた。
「おとっつあん、これからハルと二人で田んぼに行ってくるけん。寂しかろうばってん、許してください」
 嘉助は、まだ父が生きてそこに寝ているような素振りで位牌に挨拶した。そんな“美談”は、たちまち甘木から夜須・朝倉一帯に噂として広まった。聞きつけた秋月の役人が訪ねてきた。
「そちら兄妹のことを殿が大変感心しておられた。褒美を遣せとの言いつけじゃ」
 突然の侍の来訪に戸惑った嘉助は、「子供として当たり前のことをしただけ」と、褒美の件を断った。
「ずいぶん傷んでおるのう、この家は」
 殿さまの使いということもあって役人は、「せめて家の修理くらいを藩でやらしてくれ」と頭を下げた。写真は、甘木市内を流れる小石原川
「それはなりません、私ら兄妹にとって、この家はかけがえのない父の思い出が残る場所です。いかにお城からの言いつけでも、こればかりは」
と断った。
「嘉助よ、強情もそこまでにしとけ。おまえらのことば村中が心配しておる。せめて、家の普請くらいはお侍さんにお願いしろ」
 言われて嘉助は、梁から上だけをなおしてもらった。お陰で雨が降っても漏らなくなった。

殿さまのご褒美

「どうして、全部修繕してもらわんかった?」
 宿場の薬屋の女将さんが、「もったいなか」を連発しながら、ハルに訊いた。
「兄ちゃんは、父ちゃんの匂いがするところはそのままがいいって」
 どこまでも父親思いの兄妹である。あの世に逝った正蔵も、生前の無理難題を振り返ってさぞ居心地が悪かろうに、とは近所の雀たちの噂話。
「ところで、その後、親孝行の兄と妹はどうなったか?」
 時代が過ぎて、ある人が追跡調査をしたそうな。それによると、
大げさに褒めた秋月の殿さまも、わずかな家の修理だけでは引っ込みがつかず、嘉助に「鞍崎嘉右衛門」なる名前を授け、生涯年貢の免除を言い渡したとか。一方妹のハルはというと、娘になって大変器量よしになったので、方々から嫁にと申し出があった。彼女はそれを全部断って、これまた“独身”を貫いた兄とともに仲良く暮らしたとのこと。
「兄妹とも独身を通したという証拠でもあるの?」と訊かれて、ある人は、
「それはね、甘木村の宝泉寺の墓所にいけばわかるたい」
「どんな風に?」
「寺には鞍崎という墓が二つあって、一つは嘉右衛門、もう一つがハルと記してある。二つの墓は寄り添うように建っている」
と答えた。
 嘉助とハルは、本当に兄妹だったのかな。(完)

「忠臣蔵」の江戸時代は、親孝行が何よりの美徳とされた。親孝行は為政者への尊敬啓発に直結する。つまり、各地に残る嘉助のような「孝行話」は、お上が勧めているような気がしてならない。でも、先祖や先輩を敬うことは悪いことではないし、現在でも皆さんが話と墓を大事に保存しておられるから、掲載した次第。

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