伝説紀行 ろっきゅうさん  柳川市


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第154話 2004年04月18日版
再編:2018.07.29
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。
ろっきゅうさん
【関係資料:柳川藩史】

福岡県柳川市


矢留の六騎神社

 柳川では、漁師のことを尊敬の念をこめて「ろっきゅうさん」と呼ぶ。「六騎殿」が訛り、親しみを込めてそうなったんだそうな。むつごろうや斉魚(えつ)など有明海特有の珍魚たちが顔を出すこの季節にはぴったりの話題を一つ。

 漁港のある沖ノ端のあたり、むかし「矢留浜」といって寂しい魚村だった。平安時代の終わりの頃、この村に刀や棒切れを杖の代わりにした6人の男たちが彷徨いこんだ。リーダー格の男が、大きな漁師の家に救いを求めた。
「我らは壇ノ浦の合戦で破れた平家の武将でござる。どうか一夜の宿を願いたい」
 応対に出た主人の為佐(ためすけ)が、彼らを奥まった座敷に通してわけを訊いた。6人の名前は、リーダー格の難波善良、それに浦川源左衛門、加藤藤内、若宮兵六、鳴神藤助、是永多七だが、本当は、全員が「平」の姓を捨ててつけた名前だと言った。六騎神社脇に掲げられている「六騎の絵」

要川の決戦を経て

「平家にあらずんば人にあらず」とまで言われた時代もあったが、平清盛が亡くなるとすぐ、一族は衰亡の一途をたどった。源頼朝は弟の義経に命じ、逃げる平家を瀬戸内海から壇ノ浦(関門海峡)まで追い詰めた。
 文治元(1185)年、御印と頼む安徳幼帝が海中に沈むと、平家の武将や女たちは、我れ先に九州や四国の山中に逃げ込んだ。難波らも、平の姓を捨ててそれぞれに平家一族の逃避行に加わった。太宰府から筑後へ。矢部川を渡るとき追ってきた源氏方とあいまみえたが、瀬高の清水寺の僧兵に助けられ更に南下、要川で壊滅的敗北を余儀なくされると、その後は霧散状態に。
「これからは、難波殿を頭にして生きていこうぞ」
 6人は、兄妹の契りを結ぶと、形(なり)を百姓の姿に変えて飯江川(はえがわ)から沖ノ端川を伝い、ここ矢留村にたどりついたというわけである。

漁師に変身して

「昨日も今日も源氏方の追っ手がこの村に参りました。こうなったら、皆さまには私らと同じ漁師になってもらうしか匿いようはございませんな」
 為佐は、彼らに有明の海での漁業を営む決心を促した。翌朝から捻り鉢巻で小さな舟に乗り込み海に出た。蛸やワラスボ、ワタリカニ、クツゾコなど、彼らにとって捕まえる魚は、姿も名前も生まれて初めてのものばかりであった。
「このままだと為佐らに迷惑をかけるばかりで心苦しい。彼らに手助けできることはないか」
 6人は時々集まって、今後のことなど相談をした。


有明特有の魚介が並ぶ沖ノ端の魚屋

「私らの知恵で、港を造りましょうぞ。漁師が安心して漁に出れるよう、基地を整備するのです。それから、大勢が一艘に乗りこめる船を造れば、漁も大掛かりにできましょう」
 都で船を操り、港の整備に当たっていた是永多七が提言した。それはいいと、早速多七を中心に村総出の港湾建設作業が始まった。
「難波さま、昨日も隣村の男が賊に襲われ、獲った魚をみんな持っていかれました」
「賊は漁師だけではなくて、大海から筑紫の川(筑後川)に出入りする船も狙います。奴らは乗組員を皆殺しした上に、陸の産物をすべて奪い取るのです」

海賊退治が功を奏して

 海賊退治なら難波ら武将にとって最も得意とするところ。出来立ての大きな船に乗り込んだ6人は、出没地点の海上で待ち伏せして、一網打尽に賊をやっつけた。
「ありがとうございます。これで安心して漁ができます。また大きな船のお陰で、村の者が力を合わせることができ、これまでの何倍もの水揚げが続いております」
 矢留村の漁師たちは、難波らを守り神だと崇めた。だが、何年たっても源氏の追っ手は迫ってくる。中には褒賞目当てで密告をするものまで出て、難波らの運命も次第にか細くなっていった。
「善良よ、急ぎ伊勢の宮に詣でよ」


写真は、沖ノ端漁港

 ある晩、難波善良の枕元に神が立たれた。翌朝、百姓姿の難波が伊勢神宮に向かった。参詣を終えて帰ろうとすると、足元に半分に割れた鏡が落ちていた。
「これぞ、大切なお告げやもしれぬ」、難波は急ぎ矢留村に引き返した。その頃村ではある噂で持ちっきり。
「氏神さんで、毎晩怪しい光が出るばんも」
 難波らは、光を発している氏神の境内を掘った。すると半分に割れた鏡が。難波が伊勢神宮から持ち帰った鏡とぴったり合致した。

村に守られ、子孫も繁栄して

 それからというもの、不思議と源氏の追っ手がこなくなった。そして、矢留の漁業は豊漁続きで、村はますます繁栄した。
「あれもこれも難波さまたちのお陰です」
 村人は感謝して、これからも一緒に暮らすことになった。子供もでき孫も生まれて、平家の落人の家系はますます繁栄。村人は、漁師になった6人の武将のことを「六騎殿」と呼び、村に祠を建ててお祭した。それが現在も矢留小学校の裏手に残る「六騎神社」である。六騎殿が、いつの頃からか訛って、「ろっきゅうさん」になり、そのうち漁師の総称として呼ぶようになったんだと。写真:矢留の六騎大神宮

 ろっきゅうさんを祭る「六騎神社」は、どんこ舟が到着するお花(旧立花邸)から、北原白秋の生家手前を折れたところに建っている。桜が満開の頃で、大勢の観光客がそぞろ歩きを楽しんでいた。でも、ろっきゅうさんのお宮さんを訪ねたのは僕だけだった。(完)

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