伝説紀行 おこよ淵  日田市(中津江村)


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作:古賀 勝

第141話 2004年01月18日版
再編:2017.02.25

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 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢(とし)居所(いばしょ)なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしばだ。だから、この仕事をやめられない。
おこよ淵
大分県中津江村

おこよ淵があったあたりの下筌ダム上流

 筑後川上流・津江川に造られた下筌ダムの右岸を、ダムができるまで広瀬(現上津江村の領域)と呼んでいた。広瀬の人たちは、津江川の浅瀬を渡って中村や栃原(現中津江村)と行き来をしていたらしい。
 いつの頃だったか、広瀬の浅瀬を渡る男は、足をとられて淵に流されて死ぬ。川で漁をしている男の頭上から不気味な女のうめき声が聞こえてくる、といった噂が広がった。土地の人たちはうっそうと繁る照葉樹の古木群で昼なお暗いこのあたりを、「おこよ淵」と言って畏れた。奥津江の広瀬(現上津江村)で、今も語り継がれる恐いお話し。

金で買われてお嫁に行った

 広瀬に、おこよという名の大変美しい娘が住んでいた。広瀬は言うに及ばず、奥津江(上津江・中津江の総称)の男たちはみんな、おこよを嫁さんにしたいと考えている。しかしおこよには堅い契りを交わした愛しい人がいて、言い寄る男たちを相手にしなかった。その男とは、日田のろうそく屋に奉公に上がっている幼馴染の亀次郎だった。
 そんなおこよに縁談が持ち上がった。相手は津江一番の金持ちの息子幾三だ。幾三の父親は金を積んでおこよの親を口説き落とした。いくらおこよが抵抗しても、この時代、親同士が了承すればどうにもならなかった。おこよは泣く泣く津江川の対岸の中村(中津江村)の家に嫁いでいった。
 亀次郎のことは忘れるしかないと諦めたおこよは、幾三に愛されているうちに、亀次郎のことも忘却の彼方へ遠ざかった。

恋人はおこよを責めた

 風の噂におこよが祝言を挙げたことを知った亀次郎は怒った。店を飛び出して広瀬に帰ると、おこよを呼び出して無断で結婚したことを責めた。
「そんなことを言われても…」
 おこよは、必死で事の成り行きを説明するが、亀次郎は許さなかった。
「まだ、おこよは俺ば好いとるとか?」
「それは、もう」
「そんなら、俺とどっかに逃げよう」
「ばってん、亀次郎さんには日田のお店が・・・」
「やめてきた。おこよと夫婦になれんくらいなら死んだほうがましじゃけん」
 若い二人は、抱き合って泣いた。


ダムそばのカメルーン弁当を売る店)


「もう、帰らなければ…」
「おまえは今、俺ば今でん好いとるち言うたじゃなかか。一緒に逃げようち」
「だから、帰って用意ばするとよ。今夜、村中のお不動さんで待っていて。必ず行くから」
 亀次郎にとって、夜までの時間は長かった。しかし、約束の時間になっても、お不動さんにおこよは来なかった。仕方なく亀次郎は、中村のおこよの家に出向いていった。

彼女の心は変った

 忍び足で近づいて中の様子を伺うと、かすかにおこよのすすり泣く声が聞こえてくる。さては俺とのことがばれたかと、亀次郎は不安になった。それでも幾三がおこよを虐めるようなら、飛び込んで力づくででも奪い取る覚悟を固めた。だが、どうもそんな感じではない。
「おこよ、おまえは俺の宝たい。絶対外の男に気を移すんじゃなかよ。もしそんなことになったら、俺はおまえを殺すけんね」
「そんなことはけっしてありません。私は貴方の虜ですから」
 何のことはない、おこよは亀次郎と逃げる気などなかったのだ。何のために俺は店までやめておこよに会いに来たのか、亀次郎の(はらわた)が煮えくり返った。このままでは引っ込みがつかなくなった亀次郎、馬小屋から馬を引っ張り出すと、棒切れで思い切り尻をたたいた。馬は、けたたましい鳴き声を発して走りまわった。
 夜中に突然響く馬の(たけ)びと強烈な蹄の音に家中の者が飛び起きた。おこよも慌てて外に飛び出した。駆け出した馬と反対方向に走っていく黒い人影を目にしたのはおこよだけだった

自分を責めて底なし淵に

 幾三の家から逃げてきた亀次郎は、津江川のほとりに寝そべった。うっそうと繁る岸辺の大木が彼に襲いかかってくるような恐怖に駆られた。
 亀次郎は、落ち合うはずだったお不動さんの壁に、おこよに対する恨みつらみを書きなぐって、姿を消した。
 一方おこよは、昨晩の人影が気になっていた。亀次郎との約束の時間に行かなかったことの後ろめたさもあり、翌朝お不動さんに出かけた。板壁に「津江の川に飛び込んで死んでやる。この恨みは忘れない」と書きなぐってある。まさか嫁に行ってしまった自分を亀次郎がそこまで思っているとは…。


下筌ダム辺の集落


 亀次郎が身を投げたと思い込んだおこよは、ふらふらと津江川の岸辺に出て、後先考えることもなく、黒ずんだよどみに身を投げて帰らぬ人になってしまった。亀次郎が生きているとも知らないで。
 それからである。津江川の浅瀬に足を入れた男が、次々に深みにはまって死んでしまう事件が相次いだのは。そのため人は広瀬近くの浅瀬を敬遠して、1里も下流まで遠回りをするようになったそうな。
 村では、相次ぐ男だけの水難がおこよによる亀次郎への恨みだと怖れ、広瀬の深みを「おこよ淵」と呼ぶようになった。(完)

 冬場の下筌ダムは、農業用水を放水しないためか堤防ぎりぎりまで水を貯えている。ダムを見下ろす食堂に立ち寄ってメニューを見ると、「カメルーン弁当」が目に留まった。今では「カメルーンキャンプ地」として、日本全国知らない人がいない中津江村である。でも、これといった観光資源があるわけではないし、人も車もまばらだ。僕らがたまに出かけるのには、これがいい。
「伝説紀行」には、いろんな種類のお話が登場する。日田市内から大山川を遡って行って、津江の村や小国郷には、なぜかこの手の恐い話が散在していることに気がつく。町から遠い世界に生きてきた人たちの一つの文化なのかもしれないが・・・。もう少し明るい話題を探さなければ。

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