伝説紀行 磐井の乱  八女市


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第138話 03年12月28日版
2008.06.15 2016.10.23 2019.03.10
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 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

磐井の生前墓?
岩戸山古墳の謎

福岡県八女市


岩戸山古墳の埴輪(八女市) 2013年4月15日撮影

 八女市北部に残る岩戸山古墳を訪れた。巨大な前方後円墳は、6世紀はじめ(西暦500年代)に、北部九州一円(九州の鹿児島・宮崎を除く)を支配下においた筑紫の国造(つくしのくにみやつこ)・磐井生前墓(生きているうちに建造した墓)だと伝えられる。
 岩戸山古墳は外堤まで含めると、東西の主軸176b、後円幅110b、高さ18b、前方幅130bというから、もちろん九州では最大級の古墳だ。磐井が、生きているうちにこのような巨大な墓を造ったのはなぜか、未だに謎は残ったままである。

磐井は英雄?

 なにせ、1500年以上もむかしの継体天皇の時代のことである。それ以前の神代の時代や卑弥呼が君臨した弥生時代から比べると、この頃から日本の歴史も少しずつ真実味を帯びてくる。朝鮮半島では百済(くだら)と新羅(しらぎ)、それに高句麗(こうくり)が入り乱れて対立していて、お隣の中国は未だ(隋国が)誕生していなかった。
 なだらかな丘陵地帯の八女の里は温暖で、むかしから住む人にとっては快適の場所だった。山の中腹を開墾してソバや稗をつくっている友太とフエ夫婦は、南方の丘に聳えるお城を拝みながら5人のかわいい子供たちを育てている。お城には、頼りとする筑紫の君がおわすからだ。


磐井の肖像

「磐井さまは、俺たち筑紫のもんの英雄たい」と言うのが、友太の口癖である。磐井は、地元の農民にはあくまでも優しく、年貢の取り立ても厳しくなかった。でも、いったん急あるときは、地元の者が真っ先に駆り出される運命にあることに違いはない。それも仕方のないことだと、友太は納得していた。
 最近も、自分が生きている間に自分の墓を造ると磐井が言い出したため、村総出の土木作業に励んでいる。別区(べつく=役所)の西方に濠を築き、山の土を運んできて、平坦地に盛り土をする。それも半端な土量では間に合わない。近郷と九州各地からやってきた数千人の男たちが一年前に完成させたばかりであった。
「磐井さまは、生きておられるのに、どうして自分の墓をお造りなさるの?」
 フエが不思議に思って夫に訊くが、友太は「わからんばい」と答えるだけ。それでも、磐井には深いわけがあってのことと、不満は言わない。

ある日突然磐井の端男に

 そんな時、友太のところに役人がやってきた。
「お墓を造るときのおまえの働きが、磐井の君の目に留まった。明日にでもお館に上がるよう」言いつけて帰っていった。心配なのはフエである。このまま夫が帰ってこないのでは」と。
「案ずることはない。わしとて、磐井さまのお役に立つことなら何でもしなければと思っていたところだし・・・」
 友太は、一帳羅に着替えると、いそいそと出かけていった。心配はするものの、これが今生の別れになろうとは、さすがのフエも思わなかった。
 お城に上がると、まず端男用の衣服に着替えさせられて、役所内の奥まった部屋に連れて行かれた。
「これからは、磐井の君のそばで働いてもらう。聞いておろうが、世の中は風雲急を告げておる。海の向こうの新羅(しらぎ)という国と手を結ばれている君は、敵対する百済(くだら)を応援する大和の者にとって目の上の瘤だからな。そうでなくとも、いつかは大和の手下にしようと考え、君のもとに何度も遣いが来ている。だが、大和が九州を制圧したら、おまえら百姓の暮らしはめちゃめちゃだ。そこで君が和解を断ると、今度は力づくでということになった。君の周辺は騒がしくなるし、動きも激しくなろう。頼むぞ」


磐井の墓

 役人はそれだけ言うと、さっさと部屋を出て行こうとした。「今度は、いつ家に帰れますんで?」
「ばか者、お家の重大事を喋ってしまった以上、お館から一歩も外に出すわけにはいかぬのだ。死ぬまでだ。心配するな、女房の暮らしは役所が責任を持つから」

別世界の磐井の館

「そんなあ」
 言いかけて、無駄を悟った。友太が考えていた農民思いの磐井の君の人柄とは裏腹であることを知らされたからである。今度は端男の指導員で見張り役の小椋と言う男がやってきて別の部屋に連れて行かれた。板張りの小部屋で、そこには5人の友太と同じ立場の男たちが一緒に暮らしていた。
 小椋が出て行った後、又一という男に声をかけた。
「わしらはどんなことをするんで?」
「そうよな。磐井さまが御殿のお部屋を出られたら、誰かが、またあるときは5人全員でお供をしなければならない。お部屋におわすときは、役所の中を隈なく掃除したり、お馬さまのお世話をしなければならない」
「君にお供をして、何をするので?」
「しばらくは俺たちのすることを見ていればわかる」
 翌日から早速役所内の掃除が始まった。何せ広い敷地にうっそうと繁る大木、それに雑草も次から次に生えてくる。庭掃除が終れば今度は床の拭き掃除。
「あれは?」
 衙頭(がとう)といわれる場所で起こっていることを又一に訊いた。
「黙って仕事をしろ。余計なものは見ない、聞かないが俺たちの心がけだ」
 友太が見たのは、荒縄で体中を縛られた男が、3人の役人に尋問を受けているところだった。あとで又一から聞いたことだが、縛られていた男は、体の弱い母親に精をつけさせようと、隣の鶏を一羽盗んだ罪で引っ張られてきたのだという。
「明日にも、打ち首だろうな」
 又一は、誰に言うともなく呟いた。

学者肌の磐井の君

「磐井の君のお出ましー」の声で、広い中庭がたちまち騒がしくなった。全員が砂庭に片膝をついて最敬礼した。その日は、火の国(肥前・肥後)と豊の国(豊前・豊後)の国主が訪ねてきて、重要な会談がなされるという。最大級のおもてなしをするために、別区に勤めるものにちょっとの油断も粗相も許されないことを、友太は昨日小椋から聞かされていた。
 目の前に現われた磐井の君は、友太が想像していた顔形とはほど遠かった。戦国の世を勝ち抜いてきた君主にありがちな、顔中髭だらけで、目はらんらんと光を発して人を威圧するものではなかったのである。どちらかといえば、学者肌の優男である。だが、態度と声の大きさだけは誰にも劣らない。


巨大な前方後円墳

 磐井の君に続いてもう一人、こちらは想像したとおりの強面(こわもて)青年が下り立った。磐井の嫡男の葛子(くずこ)であった。
 廊下から下りようとする磐井と葛子の前で、又一が跪いて草履を揃えた。用意された馬に君が跨ると、手綱を引っ張るのは友太らであった。早く進んでもいけないし遅すぎても駄目だと、訓練のたびに聞かされている。
 相前後して、火と豊の国主が到着し、これまた磐井の君に最敬礼する。一通りの挨拶が終ると、踵を返して大広間へ。いよいよ重要会談が始まった。丸一日かかった話し合いが終ると宴会が待っている。その間、友太らは庭に正座して、宴会場にいる小椋からの命令を待つことになった。
 磐井と2人の国主は、いずれも硬い表情で、無駄な外交言葉は発しなかった。ピンと張り詰めた空気から、遠くにいる友太にもただ事ならぬ雰囲気を感じずにはいられなかった。

大和政権が6万の兵で攻めてくる

 フエと子供の許を離れて早やひと月。小椋が友太ら5人の端男を呼んで、ある重大なことを話した。


岩戸山古墳近くの茶畑


「間もなく戦争が始まる。相手は大和の政権で、総大将は大連物部麁鹿火(おおむらじ・もののべのあらかび)である。筑紫と火・豊の連合軍は、千歳川(筑後川)を一兵たりとも渡らせないために、戦場を北岸の三井の(こおり)と定めた。敵の兵は総勢6万と聞き及ぶ」そのために、5人の端男は、一時も君のそばを離れてはならない、とのお達しであった。
 その時、朝鮮半島では百済と加羅諸国、新羅の間で対立がますます激化していた。百済と手を組む継体天皇は、新羅に大群を派遣しようとした。ところが、足元の九州で磐井が新羅と交易関係にあり、和解の勧めも拒否して、公然と反旗を翻したのである。
 一方筑紫の国では、中国大陸や朝鮮半島に一番近くて、南方には有明の海に通じる大きな河川(矢部川)があることを活用して、友好を積み重ねてきた実績がある。その大事な基盤を、大和の新羅遠征で台無しにされてはたまったものではない。磐井は、同じ立場にある火と豊の3国をまとめて大和政権と対決することを決めた。
 大和政権は、大連物部麁鹿火を大将軍に据えて、6万の兵とともに九州に向かわせた。

戦有利にあらず 

 北部九州の各地から馳せ参じた磐井軍は約5万。千歳川(筑後川)を挟んで、合計10万の兵が入り乱れての合戦が始まった。小椋の指揮の下、友太は磐井と葛子が陣取る耳納山麓の本陣に張り付いた。
「糞がしたい」と言われれば、一人が着物の裾をからげ、数人が周りを遮断して用を足させる。終れば穴を掘って後片付けをする。「味方の戦意は上々でござる」と報告を受け、ほくそ笑む磐井にすぐさま大扇子を渡すのも、戦場では端男の役目であった。千歳川で100人の戦死者が出たと告げられると、「100とか1000とかの者が死んだからといって、大したことじゃない」と高笑いをする。そんな時、磐井の細い足が大きく横ブレを起こすから、友太は他のものに悟られないよう膝を押さえる。こんな時磐井は必ず胃が痛み出す。それもあっという間の出来事、糞を漏らさないように木の葉を尻にすける。

 戦いも丸一日を過ぎて、戦況がはっきりしてきた。
「お父上、これ以上戦えば味方は全滅いたしまする。お逃げくだされ。あとは私めが」
 そばにいて、戦場と本陣の繋ぎの役をこなしていた息子の葛子は、父に豊の国の宇佐方面へ逃げるよう勧めた。
「よいか、葛子。わしがいなくなれば当然そなたが軍を指揮しなければならない。我が軍に勝ち目がない以上、そなたは大和に詫びを入れよ。新羅との交易も大和からの和睦を断ったことも、磐井だけが強行したものと言え。それでも奴らは納得すまい。そのときは、粕谷にある屯倉(みくら)を献上して許しを請うのだ」
「父上に一つだけ聴いておきたい。貴方が生きているうちに巨大な自分の墓を造られた。なぜです?」
「それはだな・・・」
 磐井が言いかけたとき、新たな報せが入り、敵の大群が本陣に迫っていると告げた。墓のことなどどうでもよくなった葛子は、友太だけを供につけて、耳納の山中に逃げさせた。
 こうして、筑紫の君磐井と友太の逃避行が始まった。磐井の逃走を知った大和の兵も跡を追う。筑後川を遡り日田から北東への山道を選んだ。普段なら磐井が一言発すれば跪かなければならないものを、二人だけの世界では、主従の関係が逆さまになることもある。そうしなければ磐井も生き延びれないからである。現在の耶馬渓の奥までたどり着いたとき、磐井には生きる気力すら失せていた。

新羅王の親書を託す

「友太よ、残念じゃ」
「何を気弱な。あれだけの権威を誇られたお方としてはだらしなうございます」
 城にあっては、そんなことでも言おうものなら直ちに断首のところ。それも耶馬溪の山地では通用しない。それどころか、力なら友太の方が磐井の10倍も勝っている。
「一つだけ願いがある。わしが死んで荼毘(だび)に付したら、骨の一部を昨年造った墓に埋めてくれ。これなる新羅王からの親書とともにだ」
 磐井が懐から取り出した油紙の中身には、漢字で細かくなにやら記してある。間もなく磐井が死んで、友太は一人寂しく八女の里に帰ってきた。大和の軍が家という家を焼き払い、女子供まで斬り殺して無人の里に変わり果てていた。荒野をさまよいながら、友太は愛する妻や子供を捜したが、どこにも見当たらなかった。磐井に頼まれたとおり、巨大な墓の後方の入り口を通って、奥まった棺室にたどり着いた。人なら3人も入りそうな棺の石蓋を開け、一握りの磐井の骨と新羅王の文書を納めた。
 妻子が生きていないこの世に未練は残らず、友太は磐井の石棺にもたれて、静かに死を待った。

磐井の生前墓はなぜ造られた

 大和政権と磐井軍の戦いでは、凡そ数万人の戦死者が出たと言われる。戦後処理などで殺された農民などを含めると、その数はその何倍にも達するだろう。筑後川は、南北朝時の「筑後川の戦い」、戦国時代に大友宗麟が九州制覇をかけて攻め込んできた「原鶴合戦」、そして、関が原の戦い後の「八院戦争」など、戦死者数千人規模の戦が繰り返されてきた。
 さて、筆者の考えも及ばない謎がいくつか残ったままだ。
 磐井が友太に託した新羅からの秘密の文書にはいったい何が書き記されていたのか。大和の動きを察して磐井が新羅王に、「応援頼む」と遣いをだした。その遣いが無事新羅に着いたとして、その返書だとしたら磐井が逃亡するその時、援軍が博多湾近くまで近づいていたかもしれない。
 次の疑問は、葛子ですら知らされていなかった、巨大な生前墓を造らせた本当のわけ。単なる権威の象徴なのか、或いは宗教的意味を持つものなのか。はたまたもっと大きな意味なのか。いずれにしても、新羅王の親書と友太の遺骸と合わせて、研究が進めばいいのだが。(完)

 磐井の墓といわれる前方後円墳は、岩戸山古墳として、現在公園化されている。以前掘り出された埴輪や土器などは隣接する資料館に展示され、レプリカは、公園内に飾られている。
 広い、公園を訪れての第一印象はそれだ。親切な看板がなければ、どこが前方か後円なのかさえ素人にはわからない。飾られている埴輪は、いずれもマンガチックで面白いものばかり。動物や横の人物は、猪(豚)を盗んで裁かれている衙頭での様子という。
 体は小さいが、声はでかい。そのでかい声で九州のほぼ4分の3を治めた独裁者と、現在日本を口先だけで危険な方向に導こうとする為政者のイメージが重なって仕方がない。

*前方後円墳:古墳の一形式。日本の古墳に見られるもので、前が方形で後が円形をなす。車塚・ひさご塚とも言う。

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