伝説紀行 キツネゆずり葉  筑後市


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第136話 03年12月14日版
再編:2019.06.02
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。
キツネとゆずり葉

福岡県筑後市

ユズリハの葉

種族の長キツネ

 筑後平野の東部から流れてきた山ノ井川が、やがて大木町域に入ろうとするあたり。高江地区は、明治22年まで二川村といった。その後水田村(現筑後市大字水田)に編入されて、今では筑後市の大字名である。明治22年の記録によると、あの広い地域に民家がわずか66戸しかなかったというから、森とか竹薮ばかりのたいそう淋しいところであったらしい。
 竹薮といえば必ず登場するのが、人間を騙すことを生き甲斐にしているキツネ族だ。キツネは家族単位で集団をなし、そこには長(おさ)が存在する。集団どうしで縄張り争いをしたり、あるときには大規模な戦闘が起こることさえあるという。またあるときには、部落を越えて男女が恋をすることを禁じていた。
 高江の大羽というところに、部落を取り仕切る「げげ女」という女キツネが君臨していた。げげ女は100匹ほどの種族をまとめていて、彼女に少しでも逆らうものがあれば、あっという間に噛み殺されてしまうから恐ろしい。

長メゴ担いで親類の宴会に

 げげ女にとって何が楽しいかといえば、高江天満宮の夏祭りであった。何も人間どもの盆踊りに参加しようというのではない。夏祭りにつき物のよど饅頭と重箱に詰められたご馳走が目当てなのだ。それも、種族みんなに配分するための、村長としての涙ぐましい責任感からのことであった。
 いよいよ、天満宮の祭りの日がやってきた。げげ女は、朝からそわそわそわして落ち着きがない。
 富重(現筑後市大字富重)に住む人間の朔太郎は、高江の親類に呼ばれていて、こちらも時間のたつのが待ち遠しくて仕方がなかった。
「あんたっさい、おみやげに貰うご馳走ば入るる重箱は、二つ持って行かにゃんばい」
 嫁さんに呼び止められた朔太郎が首をひねった。
「悪かこつは言わんけん、おどん(私)の言うこつば聞かんの」
 言われたとおり朔太郎は四段重ねの重箱を二通り長メゴ(重箱が4段納まるようにできた四角い篭)を背中に担いで出かけていった。
 たらふく酒と肴をいただいて、ほろ酔い機嫌で親類の家を出た朔太郎。おみやげの二つの重箱にはきっちり中身が詰められている。赤飯・鯛の姿焼き・煮しめなど、結婚式でもらうようようなもの。それに恒例のよど饅頭も。これらのみやげ品をメゴに入れて、富重の家に帰りかけたが、足は千鳥足。
「ありゃ、こりゃ、どげんしたこつじゃか?」
 村はずれの竹薮のあたりまで来て、自分の足が前に進まない。そこで嫁さんの出掛けの言葉を思い出した。写真は、久住山中で見かけたキツネ
「あのくさい、大羽んにきにゃ、ばさらかよかおなごんおらっしゃるけん、気をつけんばよ」

ベッピンさんにねだられて

「だんの(誰ですか)、おい(私の)の背中ば引っ張る人は?」
 朔太郎が振り向くと、黄八丈の矢絣の着物をまとった、歳の頃なら18歳くらいの美しい娘が立っていた。
「ねーごつの(何事ですか)? おりや、ばさらか忙しかつばってんな」
「わたしは、この先に住んでいます香代と申します。私の一生の願いを聞いて欲しかつです」
 こんなべっぴんさんに頼まれれば、どんなことでも耳を傾けないわけにはいかない朔太郎。
「うん、うん、ねーごつでん聞くけん、言うちみらんの」
「はい、家が貧乏で毎日蕎麦とトーキビしか食べていないんです。加えて母ちゃんが明日をも知れぬ重か病気にかかっていまして。母ちゃんに一度でよかけんおいしかご馳走ば食べさせてあの世に送ってあげたかつです」
 こんな上等の着物を着ていて、明日食べるものもない貧乏とは聞いて呆れる、と普通の人は考えるが、べっぴんさんを見て、歪んでしまった朔太郎の目はそうはいかない。
「わかった、ばってんがじゃん。タダでね?」
「そげなあつかましいことはよう言いません。私のようなものでよかったら、お礼にひと晩お付き合いさせていただきます」
「ふん、ふん。後ろん長メゴに、親類から貰うてきたご馳走がへえっとる(入っている)けん、かわいそうなお母さんに食べさせたらよかたい」
 娘は朔太郎と向き合うと、頬っぺたに軽くキスをした。酒の酔いも手伝って、朔太郎の頭の中が真っ白になった。「ここなら誰も来ませんから」と、香代は朔太郎の手をとって、ひなびた家に入っていった。

「重箱×2」の意味は?

「痒いっ!」
 夜が明けて、目が覚めて、朔太郎は自分がどこにいるのか見当もつかなかった。体中に大きな蚊がたかっていて痒いこと。「あんかわいか娘は」と辺りを見回したが、人影はない。そこはどうやら山裾の洞窟らしい。


ユズリハの実

 親類に貰ったご馳走は、とそばのメゴをのぞくと、四段重ねの重箱がワンセットだけなくなっている。ご丁寧なことに重箱の上にはゆずり葉が1枚だけ置いてあった。
「キツネにやられた」
 家を出るとき、嫁さんが重箱を2セット持っていけと言った意味がおぼろげながらわかってきた。
 蚊に食われて朝帰りした亭主を、朔太郎の嫁さんがどんな調子で出迎えたものやら。
「どこで浮気ばしよったね」と、箒で追い掛け回されたか。「ほーら、おどんが言うたごつなったろが。高江の天満宮さんの日には、げげ女ちいうキツネがご馳走ばねだりに来ると。じゃけん、重箱のスペアを用意しとかにゃいかんと」と、得意げだったか。お話しの続きを聞き忘れた。
それにしても、重箱の上のゆずり葉の意味は、何だったろう。

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