伝説紀行 火を吐く大坊主  柳川市(三橋)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第125話 2003年09月21日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

火を吐く大坊主

福岡県柳川市(三橋町)

 


磯宝神社

矢ヶ部村を襲った難病・奇病

 西鉄大牟田天神線の矢加部駅から、沖端川を東に歩くと、磯鳥(いそどり)というしゃれた名前の集落に行き着く。柳川名物「どんこ舟」の乗り場のすぐ上流である。
 安政の頃(1854〜60年)、300年続いた徳川幕府が崩壊する直前の矢ヶ部村磯鳥では、難病奇病が発生して、次から次に人が死んでいき、パニック状態にあった。病原菌に冒されても、最初は気づかず、そのうちに体中がだるくなって体温が急上昇してくる。上がり詰めた40度近い熱は一向に下がる気配を見せず、頭痛や食欲不振が襲いかかった。ある者は下痢でやせ細り、ある者は腸が破れて大量の出血(下血)を余儀なくされた。またある者は、あまりの高熱で脳細胞が破壊されて植物人間となった。
 磯鳥の村は、まるで生き地獄の様相を呈し、他の村から完全に孤立してしまった。

死を前にして娘のうわ言

 その頃、柳河に渡辺華仲なる武士兼医者がいた。彼は殿の命により、流行り病が蔓延する磯鳥に急行した。死にかけた病人を診て回るが、高熱の原因がわからない。はらわた(腸)に毒が侵入したことまでは想像できるが、果たしてその毒がどんなものか、どこから体に入ったのか、医者としての華仲の能力を遥かに超えていた。現代でいう「腸チフス菌」に冒されたわけだが、当時の日本の医学はそこまで到達していなかった。

 腸チフス菌の発見:ドイツの細菌学者エーベルト(1835〜1926)とガフキー(1850〜1918)が発見。サルモネラ菌の一種。

「しっかりせい。病気はすぐ治るゆえ、気を確かに」と、病人の耳元で叫ぶが、言っている本人が空しくなるばかり。
「先生、これが何か言いよりますが・・・」
 娘の看病にあたっている母親が華仲に耳打ちした。
「なに、なに?」
 華仲が娘の口元に耳を近づけた。
「坊主が、大きな坊主が・・・」と、娘はうわ言を繰り返している。
「坊主か、その坊主、大きいか? それから・・・?」
「坊主が、大きな坊主が、口から火を吐いている」
 娘は華仲の問いに、必死でうわ言を繰り返した。

雑竹林に火を吐く幽霊

 渡辺華仲は、その日の診療を終えて宿に帰ろうと、沖ノ端川のほとりを力なく歩いていた。前方の雑竹林の中で淡いオレンジ色の炎を見た。今の世に人魂もなかろう、なんて考えたが、念のため竹薮に踏み込んでみた。
 かすかな炎に照らされて映し出されたのは、お盆を裏返したような丸い大きな坊主頭であった。坊主がこちらを向いた。顔は蝋のように青白い。まさしく話に聞いた幽霊だ。更によく見ると、幽霊は朱に染まった大きな口からこれまたかすかな炎を吐いていた。
「まさか、そなたが得体の知れない病気を磯鳥に持ち込んだのでは・・・?」
 先刻診断した娘のうわ言と、目の前の幽霊の姿が一致するので訊いてみた。
「あ〜い、拙者があちらの世界から持ってきたチフスでござる」
「チフス? そんなのしらねえな。お前さん、恨みでもあるのか、この磯鳥の村に」
 華仲がたたみかけると、幽霊は目をしばたかせながら応えた。
「拙者は長崎茂平と申す者。江戸から肥後に帰る途中、持病の血が騒ぎ(高血圧)、磯鳥橋の袂で倒れたまま息ができなくなった。だが、村の衆は、どこの馬の骨とも知れぬ拙者を、この竹薮に捨てたんじゃ。これでは、国許で待っている妻も子も拙者の死んだことすら知らぬままでござる。そんなわけで浄土にも行けず、かと申して生き返ることもならず、彷徨(さまよ)っていて・・・」

「病気の種を撒き散らすことを思いついた?」(写真は磯鳥地区を流れる沖端川)
「あ〜い。悪いこととはしりながら…」

成仏引き換えの取引とは

 聞けば長崎茂平なる幽霊も気の毒ではある。
「そなたが成仏できるよう手を貸そう。代わりと言っては何だが・・・、そなたが成仏する折には、村から病の毒を追い出してくれ」
「あ〜い、必ず約束は守ります。だから、拙者を浄土に行けるように葬りなおしてくだされ〜」
 そこまで言った大坊主の幽霊は、すーっと竹薮の奥に去っていき、オレンジ色のほのかな炎も消えた。渡辺華仲は磯鳥に取って返し、庄屋の勘左衛門に言いつけた。華仲の話を聞いた村人は、思い当たったのか、全員下をむいてしまった。
「みんなが黙ってしまったんじゃ、話しにならん。よかか、成仏できんでそのあたりを彷徨っているお侍さんの霊を慰めるこつが先決たい」
 勘左衛門の指示で、翌日雑竹林の行き倒れ者の遺体が掘り出されて、近くの寺で盛大に供養の儀式が執り行われた。
「それだけでは長崎殿は成仏できんじゃろう」
 華仲の提案で、今度は村の氏神様の境内に祠を造ってお祭りすることになった。すると、不思議なことにあれだけ猛威を振るった熱病が火が消えるようにおさまった。
「これで長崎茂平さんも迷わず成仏なさるじゃろう」
 城に戻った華仲の話を聞いたお殿さまも満足げにうなずいたとか。以来、日吉神社の境内にある長崎茂平を祭る「磯宝神社」は、熱病を治してくれる神さまとして、今日まで受け継がれてきた。(完)
 

 ある秋晴れの日三橋町の磯鳥神社を訪ねた。磯鳥地区の日吉神社本堂脇に長崎茂平を祀った磯宝神社(お堂)が建っていた。祭りのあとらしく、お堂には真新しい御幣や笹竹が賑やかに飾られていた。「我がファミリーに熱病が侵入しないよう」丁寧に祈願した。
 お宮さんの周りにはクリークが張り巡らされていて、黄金色に彩られた稲穂が重そうに頭をたれている。秋真っ盛りなのだ。火を吐く大坊主が出没した薄気味悪い竹薮を探したが、どこも洒落た文化住宅と整備された田畑ばかりで、当時を想像することすらできない。沖端川も最近の雨で満タン状態。こんな日は、柳川名物「どんこ舟」に乗ってのんびりしますか。

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