伝説紀行 愛犬クロクチ  朝倉市(甘木)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第124話 2003年09月14日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

愛犬 クロクチ


07.04.22

福岡県甘木市


寺内ダムのほとり

ダムができる以前の平和な暮らし

 前回の「狼の滝」に続いて、今では寺内ダムの底に沈んでしまった矢野竹村(甘木市三奈木)の人々の暮らしについて。300年前の江戸時代のこと。
 周囲の騒がしさも聞こえず、矢野竹村の人たちは大自然を相手にのんびり暮らしていた。男たちは、見上げる十石山の周辺で野鳥や猪を捕まえて動物性蛋白源を仕込み、女は猫の額ほどの段々畑で米とか野菜を栽培する平和な村だった。
 佐吉という男、女房のマツと二人暮しだが、もう一人子供以上にかわいがっている猟犬のクロクチがいた。クロクチは、猟犬にしては珍しく体中が白い毛で覆われていて、口の周りだけが真っ黒なため、女房のマツがつけた名前だ。夫婦とも、いつも「彼」と呼んで可愛がっていた。
 佐吉は今日も、知り尽くしている十石山の樹林を、猟銃を担いで獲物を探している。後ろには、クロクチがついてきた。彼(犬)の役割は、獲物を見つけて主人に報せることと、主人が射止めた獲物を素早く回収することである。彼は、その日の収獲が多ければ、その晩のご馳走も豪華になることを知っているから、鳥や獣のちょっとした気配も見逃さなかった。

気の短い男がクロを撃った

 この日は、佐吉と彼の必死の捜索にもかかわらず、陽が落ちそうになるまで獲物にありつけなかった。少し気が短い佐吉は、イライラのし通しで、罪もないクロクチに八つ当たりしてばかり。赤松の根元の岩に腰掛けて一休みしたときも、主人の癇癪持ちを知っているので、彼は少し離れたところで一人(匹)地べたにはいつくばっていた。
「どうしたこつじゃろか、こげん獲物がおらんこつは珍しか」


 佐吉はブツブツ独り言を言いながら、そのうちにコックリコックリ舟をこぎ始めた。
「ウー、ワンワン」
 けたたましい犬の鳴き声で目を覚ました佐吉。
「さすが俺の彼だけあって、主人が居眠りしている間も、獲物を見張っとったつばいね」
 佐吉が褒めてやろうとするが、彼はますます吠えまくり、今にも佐吉に噛み付かんばかりであった。見渡しても獲物らしい姿はない。
「おまや、ご主人さまの顔ば忘れたつか。どこにも鳥とか兎とか猪とかおらんじゃなかか」
 怒っても彼は、2本の鬼歯を剥いて佐吉に吠えかかる。
「ご主人さまば馬鹿にするかっ!」
 佐吉は猟銃を彼目掛けてぶっ放した。哀れ愛犬クロクチはその場に横転して動かなくなった。

草むらから毒蛇が襲う

 その時である。「ガサガサッ」と足元の草が揺れて、これまでに見たこともない大きな蛇が現れ、がま口をもたげて佐吉に飛びかかってきた。ついでにもう一発「ズどーん」、猟銃が火を噴くと目の前で、毒蛇は即死した。
「彼は、昼寝をしている俺に、毒蛇の襲来ば教えてくれたつばいね」
 やっとクロクチの本意を知った佐吉は、罪の意識にさいなまれ、「亡骸」を抱いたまま泣きじゃくった。
「俺のために、俺のために、ごめんな、ごめんな」

蛇の死体のそばに男の遺体が

 一方、自宅でえんどう豆の収獲をしているマツのところに、クロクチが全速力で駆け込んできた。
「どうしたんじゃ?」
 マツが抱きかかえるようにしてわけを訊くが、蓄生の悲しさ言葉にならない。よく見ると、彼の体は血だらけである。
「亭主はどうした? 佐吉はいっしょじゃなかったつか?」
 何があったのか、マツは庄屋に同道願って、十石山の中腹の赤松の場所にやってきた。そこで二人は、茫然と立ち尽くした。佐吉が猟銃で自分のこめかみを撃ちぬいて息絶えていたのだ。遺体のそばには、これまた龍のように大きな蛇が銃で撃たれて死んでいる。
「なんまんだ、なんまんだ」
 庄屋は冷たくなった佐吉に手を合わせると、どうしてこんなことになったのかを解説した。
「この毒蛇が佐吉に襲い掛かったのじゃ。それを知らせようとしたクロクチを佐吉が誤って撃ってしまった。後悔の念にとらわれた佐吉は、自分で命を絶ってしまった」
「そりばってん、彼は生きてうちまで戻ってきたじゃなかですか、庄屋さん」
 納得いかないマツが食い下がった。
「そうたいね、実は彼は鉄砲で撃たれたばってん、急所を外れて助かったつたい。犬でん驚いて気を失うこともあろうたい。その間に佐吉はクロを撃ったことを悔やんで、自分で命を絶ってしもうた。気がついた彼が、主人の異変をあんたんとこにしらせに駆け込んできたというわけ」

人間、短期は損

 まだ納得しないマツさん。
「そいばってん、どうして亭主は自殺せにゃならんとじゃろか?」
「ほんなこつ、佐吉がもうちょっと・・・」
 言いかけて庄屋が口をつぐんだ。マツもその先のことを訊く気力も失せて黙り込んだ。何日かたって、マツは十石山の中腹の矢野竹村が一望できる場所に穴を掘り、佐吉を葬った。そばには日ごろ手放したことのない猟銃を添えて。埋葬に立ち会った庄屋さんにマツが改めて問うた。


「どうにも気になって」
「何が?」
「庄屋さんが、亭主が死んだ日に途中まで言いかけなさったこつですたい。『佐吉がもうちょっと…』のあと、何を言いたかったとですか?」
「ああ、あのときの・・・。佐吉があんなに気が短こうなかったら、クロクチが死んだか死んでないかぐらい確かめりゃよかったつに。せっかく毒蛇から救ってくれた利口な彼が、ご主人様に吠え立てるわけがなかつぐらいわかりそうなもんたい」
 そばにいて二人の会話を聞いていた彼が、納得したように「ワン」と一声鳴いて、墓土の上に座り込んでしまった。(完)

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