伝説紀行 狼の滝  朝倉市(甘木)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第123話 2003年09月07日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。
狼の滝


07.04.22

福岡県朝倉市(甘木)

 滝の水には毒が・・・

 ときは文明の頃というから、530年前の室町時代ということになろうか。現在100万都市福岡市民の水瓶(みずがめ)となっている寺内ダム(甘木市)が昭和52年に完成するまで、三奈木村の谷間には矢野竹(やのたけ)角枝(つのえだ)の2地区があった。
 村の人たちの暮らしといえば、女は山菜を摘み、男は山に入って猪などの猟に励んだ。
 矢野竹の猟師たちは、見上げる十石山(513b)の山中で獲物を追いかけているが、途中喉が渇くと流れ落ちる滝の水を飲むのが楽しみだった。ところが、二つある滝のうち一つの滝では、無残に食い千切られた野うさぎの死体がいくつも転がっている。年寄りは子供らに、「あそこの滝の水には毒が入っちょるけん、じぇったいに飲んだらでけんばい」と言い含めた。そんなこともあって、子供はもちろん大人まで、山に入るのを恐れるようになった。

毒水は狼の仕業?

 ある日のこと、やはり猟をしている与一が、怖いもの知らずで十石山に入った。猪や兎を追っているうちに、いつの間にか例の毒水が流れるという滝の近くまで来てしまった。その時、目の前に子牛ほどもある狼が現れた。狼は恐ろしい牙を剥いて与一を威嚇した。ひるんだら殺されると思い、持っている弁当を投げ捨てると一目散に村に逃げ帰った。命からがら帰ってきた与一は、村中を回って狼の出現を触れて回った。
「狼はダラダラ血の流るる兎ば咥えたままじゃッた」
 与一の報告はリアルで、みんなは怖くなって家に引きこもってしまった。
「やっぱり、あん滝の毒水は狼の仕業じゃったつばいの」と噂する村人を見ている村長(むらおさ)の七郎兵衛は、このままだと誰もが猟をしなくなることを心配した。写真は、現在の矢野竹地区
「山に入らにゃ猪は捕まえられん。そうなりゃ飯の食い上げたい」
 村中が困っている姿を見るにつけ、七郎兵衛は狼退治を決意するのだった。

単身狼退治に

 秋月の侍から買い求めた鎧兜を身につけ、弓と矢を手に、5日分の食料を担いで七郎兵衛、単身十石山に狼退治の出陣とあいなった。だが、探すときには見当たらないもの。1日目も2日目も、ただ熊笹を掻き分けて歩き回るだけだった。そして5日目、大木の陰に妙な穴を見つけた。中をのぞくと、野うさぎや鳥の死骸が散乱している。
「狼の巣だ」
 思わず叫びそうになるのをぐっとこらえた七郎兵衛、もう1本の楠の大木の陰に隠れた。待つこと丸1日、太陽が昇る頃に、狼が戻ってきた。巣穴に入るとすぐ横になり、雷さんのようないびきを立てて眠り込んだ。
「今だ!」
 持ってきた弓を取り出すと、狼の眼球めがけて矢を放った。矢は見事命中、巣穴の中をのた打ち回るところを、二の矢三の矢と立て続けに射ると、さすがの狼も息絶えた。七郎兵衛は持ち物を投げ捨てて矢野竹に引き返し、若者を引き連れてきて、やっとのことで狼の死骸を村まで運んだ。

「悪い狼」を信じない子供たち

「おっちゃん、狼がいなくなればあの滝で水も飲めるようになると?」
 それからしばらくたって、村の子供たちが七郎兵衛さんに素朴な質問をぶっつけた。
「ああ、多分大丈夫だと思うよ」
 七郎兵衛が生返事をすると、子供たちの質問が飛び交った。
「おっちゃん、ほんなこつ、あん滝の水には毒が混じっとたと?」 
「そうじゃと思うよ」
 七郎兵衛は生返事を繰り返した。
「おかしかばい。あっちの滝の水はおいしくて、こっちの滝の水には毒が入っとるちゅうのは」
 一人の子が言い出すと、他の子供も黙っていない。
「滝の水は十石山に降った雨が流れてきたもんじゃろ。あれだけの水に毒ば入れるには、どげんバケツがあっても足らん。いくら大っか狼でん無理たい」
「おっちゃん、ほんなこつ(本当)ば教えてくれんね」
 子供たちには、少々のごまかしでは納得してもらえそうになかった。
「実は、むかしの年寄りが、あの滝には毒が混じちょるち言ったとたい。これも、あん滝のあたりには人間を襲う狼や熊がいて、危なか山に一人で迷い込まんごとと言い伝えつたい」
「そんなら、狼は悪いこたうばしたわけじゃなかつたいね。そればってん、どうして、悪くなか狼さんばおっちゃんは殺したと?」
「そうたいね。殺した狼は何も悪かことばしとらんな。ばってん、殺さにゃ人間がやられてしまうけんね。人間が生きていくためには仕方なかつたい。悪うない動物まで殺さにゃならん」
 子供たちは七郎兵衛の話を理解できないまま、帰ろうとした。
「待て、待て。よかか、十石山の水は、ずっと下の人たちが飲むけんね、川で立小便ばしちゃならんぞ」
 聞こえたのか聞こえなかったのか、子供たちはワイワイ言いながら鎮守の森の方に駆け出していった。
 それから、矢野竹と角枝の間にある滝を「狼滝」と呼ぶようになった。その狼滝もダムの中に沈没してしまった。だが、今もそう呼んでるし、この出水が流れ出すと雨が降るとも言われるようになったそうな。(完)

 寺内ダムがある辺りを甘木市三奈木地区と呼ぶ。人生の終盤を迎えた人が心安らかに暮らせる理想郷を建設中だ。今夏の長雨でダムの貯水率は100%。静かなものである。
 福岡市民の水瓶といっても、寺内ダムはれっきとした筑後川水系なのである。家を捨て、ふるさとをなくした人たちの名盤を見ていると(右写真)、彼らが川への立小便すら遠慮して川下に飲み水を送り続けたことが、まんざらの作り話でもないような気がしてきた。

矢野竹:甘木市の大字名。昭和29年までは三奈木村の字名。昭和52年のダム完成で角枝23戸、矢野竹5戸が水没した。
ほぼ全域が十石山の南斜面をなす山地で、佐田川の峡谷に昭和52年寺内ダムが完成。杉・桧を中心とした林業と農業の地域。

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